伊勢山田奉行所物語

克全

第1章:出会い

第1話:行き倒れ

「お嬢さん、大変です、表に行き倒れです!」


 御師宿の表を掃いていた三年目子供の太松が慌てて報告する。

 旦那さんが檜垣一門の会合で留守なのと、女将さんが寝込んでいるのを知っているから、まだ十五歳と年若いゆうお嬢さんに報告するしかなかった。


「早く助けて差し上げなさい。

 お伊勢参りの方なのでしょう?

 行き倒れになっておられるなら、助けて差し上げるのが御師宿の務めでしょう」


 ゆうお嬢さんは、厳しい叱責の言葉にならないように気をつけながら話す。

 丁稚奉公に来てまだ三年の子供に厳しく言っても育たない。

 祖父からそう教えられて育った。


「それが、癩病のようなのです」


 奉公に来たばかりの何も分からない一年目子供でもない太松だ

 おゆうお嬢さんの気性も分かっているのに、直ぐに助けなかった理由があった。

 人々から忌み嫌われる病を得た行き倒れだったからだ。


 今はまだ朝早い時間だから、御師宿に逗留されている伊勢講檀家の方々は、寝ておられるか部屋で休んでおられるが、もう少しすれば起きて来られる。


 お伊勢様に参詣しようとする朝一番に、癩病の行き倒れを見たい訳がない。

 檀家の方々は、穢れを払い功徳を積むために参詣に来られてはいるが、その為の相手は伊勢の非人、外宮なら拝田衆の役目と決まっているのだ。


 ゆうは一瞬の間で多くの事を考えた。

 御師宿に穢れを入れる訳にはいかないが、御師宿だからこそ、お伊勢参りの途中で行き倒れになって病人を見捨てる訳にはいかない。


 こんな時のために、檜垣屋は別宅を持っている。

 準備のいいゆうの祖父が、檜垣屋が大きくなるに従って用意した家だ。


 昔京であった話なのだが、天皇の行幸随行員に選ばれていた公卿が、重病になった実父を、出入りの非人に河原に運ばせて穢れを逃れたのだ。


 実父は河原で死んだので、その公卿は天皇の行幸に随行できたそうだが、祖父からその話を聞いたゆうは、そんな人間には絶対になりたくないと思ったのだ。


 人でなしの公卿と同じにならないように、家族や住み込み使用人が病になった時のために、敷地を別にした施療院のような家を買ってあるのだ。


 いや、檜垣屋は別宅だけでなく、二十を越える屋敷を持っている。

 貸家もあれば小さな御師宿もある。

 檜垣屋は伊勢山田で一二を争う御師宿なのだ。


「直ぐに番小屋に行って人を呼んできて。

 見殺しにはできないけれど、檀家の方々には会わせられないわ」


「はい、直ぐに行ってきます」


 信心深く思い遣りの深いゆうは、直ぐにでも表に出て行き倒れを助け起こしたかったが、巫女として神楽を舞う身でそれはできなかった。


 助ける為とは言え、介抱するために手を触れた行き倒れが死ぬような事があれば、穢れを受けしまう。


 穢れた状態では神楽を舞う事が許されない。

 禊をすれば罪穢れを払う事もできるが、檀家衆が納得してくださらないかもしれないので、慎重になるしかなかった。


 人でなし、現金、情け容赦がないと言われるかもしれないが、お伊勢様の神職は聖域から出る事も許されないのだ。


 正禰宜一族から分家して御師宿を営む地下権禰宜家となった檜垣屋だが、穢れに対する忌避感は激しい。


 十万を超える檀家を抱える檜垣屋では、一日たりとも休む事が許されない。

 今日も中番頭や小番頭が、朝早くから大名家と旗本家の代参を迎えに出ている。


 能力のある手代も、広大な御師宿に泊まっている担当檀家を接待するか、明日以降御師宿に泊まられる方々を迎えに出ている。


 多くの客間を持つ広大な御師宿は常に予定が詰まっているのだ。

 一日たりとも穢れで休むわけにはいかないのだ。


 神楽殿に隣接する八七畳もの大広間は別にしても、二八の客室に十の中庭。

 意匠の限りを尽くした前庭に、茶室と池を配した裏庭。


 客殿に匹敵する大きさの建物には、伊勢講の方々をもてなすための台所に配膳室、脱衣室に湯殿、御師はもちろん手代子供、料理人女中下男の部屋まであるのだ。


 その全てが朝早くから夜遅くまで、檀家を接待するために動いている。

 今も檀家の方々の朝食を用意するために使用人が走り回っている。


「お嬢さん、番太さんを連れてきました」


「表に倒れている行き倒れを別宅に連れて行ってあげて」

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