第8話 ミユの記憶

 リノンに連れられてミユが広間に入ると、ディーが本を読んで待っていた。

「その服は少し古いがな、なかなか似合っているな」

「ありがとう、全身が映る大きな鏡はないの?」

「この部屋にはないな」

「だよね……」

 ミユの目にはおびただしい数の本しか映らなかった。壁に並ぶ棚は全て本で埋まり、通路は人がやっと通れるだけの幅しかない。ディーは読みかけの本を棚に戻すと、天井を指差した。

「調子が悪いと落としよるでな、気をつけると良い」

 ミユが見上げると、やはり天井には本棚が並び、本で埋めつくされていた。

「あんな高い所はどうやって取るの?」

「登れば良い」

 ディーはミユの手を取り、狭い通路をすり抜けて歩いた。

「手を離すでないぞ、ここで迷うと出られんようになるでな、後を見ろ」

 ミユが振り返ると、通ったはずの通路に本棚があった。

「ここの棚は誰も見とらんと好き勝手に動くでな」

「本が行方不明にならない?」

「次に読む本は棚が選びよるでな、問題無い」

「何それ……自分で選べないの?」

 どれぐらい歩いたのか、どうやら部屋の中心にたどり着いたらしい。一本のねじれた木が床からそびえ立ち、天井まで届いて枝を張っている。蜘蛛の巣のように広がった枝は天井を支えているらしいが、葉は一枚も付いていない。

「ミユ、ここに座ってくれ。幹にもたれても良いで楽にしてくれ」

 ミユは木の根元に描かれた小さな魔法陣の上に座った。

「あとはこれを手に持って、静かに目を閉じていてくれ」

 ディーは小さな木の枝をミユに手渡した。

「これ何?」

「記憶を書き写すペンだな」

 小枝の先にはとがった青い石が付いている。

「小さな魔法の杖ってわけね。私に使えるの?」

「アが手伝うで心配ない。さあ、しばらくは静かにして目を閉じていてくれ」

 ミユの額にディーがそっと手を触れると、ミユはアクビをした。

「マニュスクリプタ」

 ディーがささやくと、小枝の青い石が黒く光り始め、ミユは眠りに落ちた。

「さて、どこに咲くかな……」

 ディーは天井を見つめた。


 庭にいる猫。お姉ちゃんと手をつないで街を歩いている。砂場の城。海の水がしょっぱくて吐き出した。カエルの鳴き声。誕生日のケーキ。同じマンションに住む友達のみるちゃん。雨が振ってきた。大好きな滑り台。風邪をひいて学校を休んだ。雷。宿題。スマホの制限を解除したらママに怒られた。キャンプでカレーを作った。船酔い。チョコレートを渡した男の子は次の日に引っ越してしまった。原宿の裏通りにできたお店。初詣。制服にみんなでお揃いのリボンを縫い付けた。冷蔵庫の卵。坂道で自転車がパンクした。新しい水着。お姉ちゃんが就職して一人暮らしを始めた。花火。テニスのラケットに弦を張った。飛行機がずっと雲の中。たまには勉強。可愛い制服。福音シスターズのグルミちゃんを推してみる。バイトの面接。二人の子供。火を吹くドラゴンに追いかけられた。美味しいお肉。……誰?


「起きたかな?」

「……ディー……なんか変な夢を見たわ……長くて……」

「記憶が一度に再生されるでな、しかし眠っていたのはほんのわずかな時間だ。手のひらに雨粒が七つほど落ちる間だ」

「そうなの? よく寝た気がするけど……」

 ミユは魔法の小枝を不思議そうに見つめると、ディーに返した。

「それではついて来てくれ」

 ディーはミユを立ち上がらせると、しっかりと手を握ってねじれた木を歩いて登り始めた。

「えっ? えっ!」

 ディーの体は横になって浮いたまま、木の幹に足を付けている。

「ミユは螺旋らせんの階段を知らんか? 幹に足を付けて歩くだけだ」

 手を引かれたミユはどうやったのか、木の表面を靴の裏で踏むとそのまま歩いて登ることができた。

「目を閉じて歩けば酔わずにすむでな」

 ディーとミユは木の柱をぐるぐると回り天井まで登った。足元には本棚が並んでいる。

「登って取るってこう言うことなのね」

「お館様、見つけました! こちらですっ」

 ミユが見上げると、床にリノンが立って手を振っている。

「なんか変な気分だわー」

「だから目を閉じて歩けと言ったのだ、枝をみ外すと落ちるでな」

「いや酔ってないけどっ、それ先に言ってよっ!」

 指差すリノンの真上まで来ると、枝から伸びたつるの先に一冊の本がぶら下がっていた。

「あの本はもとになった者の手でないと外れんで、ミユがもぎ取ってくれ」

「つまり収穫ってことね……」

 ミユが本を軽く引っ張ると枝から外れ、蔓はバネのように飛び跳ねてリノンの足元に落ちた。

「ずいぶん立派な本だけど、何て書いてあるの?」

「『枕木美遊 十六歳』という本だな」

 ディーはパラパラとページをめくって読み上げた。

「ここのえ農園@竹下通りで見つけたお店、産地直送のフルーツを使ったパフェがとても美味しい。

 コサイン@意味は不明、買い物では使わない。

 コシヒカリ@美味しいお米。

 コタツ@入ったら抜け出せなくなる暖房器具、猫とミカンとの相性は素晴らしい」

「なるほどねー、私の知ってることが載ってるのね」

「文字だけではないぞ、そなたが覚えている色や形も記されておる」

 ディーが広げたページには、見覚えのあるパフェとコタツの絵が描かれていた。写真とさほど変わらない精密さである。

「確かにこのパフェというものは美味しそうだな。コタツは足だけを温めるのか……興味深いな」

「そんな知識が役に立つの?」

「粉もん@たこ焼き、お好み焼き、もんじゃ焼き、焼きそば……」

「ゴメン、それ絶対に知らなくていいことしか載ってないわ」

「これは美味しそうだな……」


                       〔第8話 ミユの記憶 終〕

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