第4話 真白
「――だからって別に訳なんて教えてもらわなくても結構よ」
「まあそう言わずにさ」
すたすたすたと、足早に環子と黒恵は二人揃って下校途中、ちょうど中等部に差し掛かった時。
「どいて・どいて・どいて――――!!」
塀の上から威勢のいい声と、小柄な人影が降ってきた。
勢いの割には足音も立てずに着地した少年は、色素の薄いサラサラの髪の下から覗く、大きな澄んだ瞳で二人を見上げる。
少年……いや、美少女の間違いか。
「あ、クロちゃん……と環子ちゃん、こんにちわー。じゃ、そーゆうことでバイバイ!」
「真白っっ」
言うが早いかあっという間に真白の背中は小さくなった。陸上短距離選手が悔しがるほど。
「なんなんだ、あいつ」
「あら、なんか団体で来たわよ」
中学生の男女五人組が、必死の形相で駆け寄って来た。
「真白クンったらー、何でそう逃げ足が速いのーーー!!」
真白の逃走の理由は、追跡を諦めた彼らが教えてくれた。
「あ、クロエ
説明してくれたのは顔に気合の入った女の子。
――なるほど、それじゃあ逃げるな、あいつ。
黒恵は真白の性格をよく分かっている。
「そりゃ無理だって。真白はそういうの嫌いだし。それにあんまり無理強いすると嫌われちゃうよ?」
その言葉に、がーんという効果音が似合いそうな表情になった彼ら。
そんな彼らに構っていて、はたと気づいた。一緒に居た彼女はどうした?
「環子!」
既に遠く歩み去ろうとしていた環子の背中に声を掛けるが、彼女はちらりと振り返って手を振って立ち去った。
「あーあ」
また明日がある――黒恵は何の疑いもなくそう思っていた。
◇
「クロちゃん、おそーい!」
かなり先にやって来てしまった通学路の途中で、真白は姉の黒恵を待っていた。黒恵の脚ならそんなに待たずに一緒に帰れると思ったのだが。
「違う道、行っちゃったかな? 環子ちゃんもいたし……」
踏ん切りを付けるとさっさと家路に着く。もたもたしてクラスメイトに追いつかれるのはひどく間抜けな話だ。
閑静な住宅街、和モダン風な古い一軒家が真白たち河野一家の住処だった。
帰宅一番乗りの真白は、テレビを付けてみたが大して面白くなかったので消して、あちこちうろうろしていた。
何だかひどく落ち着かない。
「クロちゃん、おそーい。ツマンナイ」
こんなことなら友達と遊びに行けばよかったと後悔しても始まらない。ミスコンに出ろと煩い連中からさっさと逃げてきたのだから。
美少女コンテストなどもう二度と出るもんかと、硬く決心していた。スカートを穿く趣味は無い。
一時間後、まだ黒恵は帰らない。
――今日の夕食当番はクロちゃんなのに。
現在兄弟四人だけの生活だが、祖父と同居している頃から食事の準備は当番制を取っている。買い物をしたとしても、通学路の途中にあるスーパーでいつも済ませているし、色々物色するような姉ではない。
携帯電話は連絡が付かなかった。
――きっともうすぐシュウちゃんが帰ってくるだろうし……
相談して探しに行こう、そう思った矢先、スマホの着信音が響いた。
「?」
河野兄弟は、緊急事態を想定して、全員携帯電話を持ち歩いている。
兄弟間のグループメッセージとは違う基本設定音に、画面表示を見ればショートメールが受信されていた。しかも知らない番号。
ちりちりとうなじがざわつく。
ものすごく嫌な感じ――――
普通なら開かない。どんなフィッシング詐欺か知れたものではないから。
でも、直感に誘われて真白はメールを開いた。
文章は簡潔だった。
*****
本文:黒恵が誘拐された模様。
犯人を追跡中。追って連絡を待て。
*****
宛先違いか悪戯である可能性も高いが、この朴訥とした文章が違うとカンが言っている。
少しだけ逡巡して、真白はこの内容を兄弟たちに知らせようとアプリを起動した時。
カタン――――物音に真白は飛び上がる。
いつになく緊張していたのだ。
「どうしたんですか、真白」
いつもと様子が違う弟に声を掛けたのは朱李。
真白は兄が帰ってきたことにも気付かなかった。
「シュウちゃん!! これ見て!!」
礼儀に厳しい朱李に、お帰りなさいというのも忘れて飛びついた。
メッセージ画面に目を通した朱李は、自身のスマホを取り出す。
マナーモードで気づかなかったが、同じ番号から同じメッセージが届いていた。
「どう思う? ほんとにクロちゃん帰ってこないんだよ」
真白が下校の様子を説明すると、朱李は額を押さえた。
「本当なら、その途中で攫われたんでしょうね」
ただ、環子も一緒に居た、ということが何かしら引っかかった。
「ボクが戻ってみればよかったんだ。……あれ、シュウちゃん、その手紙は?」
真白が気付かずにいたポストの手紙は、朱李が持ってきたのだが、切手が貼られていないのを見て取って言ったのだ。
「どうも胡散臭いですよ」
宛名は“河野家の皆様へ”。発信者名は無い。
黒恵が帰らず、不審なショートメール。明らかに疑ってくれと言わんばかりだ。
*****
河野家の皆様へ。
皆様のお力をお借りしたく、突然手紙を差し上げました。
既にお嬢さんには快く了承を得て、こちらに来て頂いております。
つきましては、お三方にもご同道願いたく、下記の場所までご足労願えないでしょうか。
午後6時 ○○埠頭○○倉庫街××
*****
「慇懃ですが、明らかに脅迫ですね。埠頭の倉庫街? なんの捻りも無いありきたりの待ち伏せ場所ですが、一体何時この手紙をポストに入れたのか……」
朱李の表情には侮蔑の色が現れていた。
「ボクたちがいない間に入れておいたんじゃない? ほら、最初からクロちゃんを誘拐する予定を立てていたら、問題ないよね。それに“お嬢さん”なんて書いてるし。こう言うのもなんだけど、クロちゃん見て、お嬢さんなんて言葉が出てくるかなぁ」
「失礼ですよ、真白。黒恵はちゃんと女の子です。でもそうですね、それで納得いきます。さて、問題は指定の場所に素直に行くかどうかですが……。とにかく兄さんに連絡を入れましょう。行動はそれからです」
「うん、そうだね。ねぇ、このメッセージと手紙は別の人だと思う?」
両者は文体が違う上、内容も異なっている。
「そう見るのが自然ですが……」
朱李が言いかけている時、またショートメールを受信した。しかも二人同時に。
*****
本文:○○区○○○町×××-× 内藤邸。
*****
「手紙の指定場所とは違いますね。……一体誰なんでしょうか」
こちらを混乱させる作戦かもしれない。そう思うのは穿ち過ぎだろうか?
「この内藤って誰だろ。シュウちゃん、知ってる?」
「――いいえ」
何故自分たちに狙いをつけたのか。
兄弟たちが常人にはない力を持っていることを知ってのことか。
それとも、知っている誰かに聞いたのか――
ともかく、誘拐犯を突き止めれば判る事だ。
朱李は長兄の青嗣に、わざと職場に電話をかけて連絡した。緊急だと匂わす為に。
午後4時過ぎ。どうせもう少しで退社時間だ。
そう、5時の退勤時間から6時の指定場所は、ちょうど間に合う時間だろう。全て予定されていたという事か。
朱李の整いすぎた顔は、怒りでますます凄みを増し、真白も緊迫した凛々しい表情になっていた。
今なら誰も女の子扱いはしないだろうが、残念なことにその顔を拝める幸運な者はいない。
そうして二人が長兄と示し合わせた場所に出かけた後、その跡を追跡する影が一つあった。
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