第3話 黒恵(1)


 まだあまり馴染みの薄い教室とクラスメートが登校しつつある中で、男子学生の制服に身を包んだ華奢な美少年が、親しげに環子に話しかける。


「ちぃ兄がさぁ、朝帰りしたんだ」


 にまにま笑いながら、朝一番の発言がこれ。

 とたんに環子の脳裏に浮かび上がる、ある一つの光景。

 早朝、耳元でささやかれた低い「おはよう」の声。


「……………………それで?」


 環子は素知らぬ顔を装ったが、それとわかるほど動揺していた。

 美少年は追い打ちをかける。


「大人の階段を昇ちゃったんだな」


 美少年こと黒恵くろえがぐっすんと涙を拭く振りをして、からかい半分で言うと、


「冗ぉ談っっ、何言ってんの! 何にもないわよ!! バカ言わないで!」


 環子の反応は、真っ赤な顔での激しい反論。珍しいことだと黒恵は目を丸くした。


「……て言うことは、やっぱり一緒にいたんだな、環子」


 きれいな顔をしかめている環子を見て、くつくつと肩を震わせて笑う。


「こういう手に引っかかるとは思わなかったよ」


 簡単な挑発に乗ってくるほど単純ではないはずなのだ、環子は。


「ちぃ兄は誰と一緒かだなんて言わなかったけど、様子で大体察しが付いたんだ。朝まで一緒にいるなんて熱烈だぜ!」


「……………………………………なんで熱烈なのよ」


「あの兄貴を見りゃ分かるだろ? 女性にすっげー淡白! 冷淡! 見てるこっちが寒くなるほどなのにさ、寄ってくる者が後を絶たず。デートしたって必ずその日のうちに帰ってきてたんだ。それが環子相手じゃ……(にやにや笑って)自分から女のコのために動くのなんて初めてだよ」


「ふぅーん、そう。それはそれは……」


 迷惑な話だ――と環子は思ったのだが、相手には伝わっていないようだ。


「それに、あのちぃ兄を笑い飛ばしたのって環子くらいだぜ」


「だっておかしくない? あーんな顔してあの言葉遣い。昔の少女漫画の王子さまって感じがモロで、ついつい笑っちゃうのよね」


 彼に見とれる女性陣は数多く存在するが、笑い飛ばしたのは環子だけだろう。だから余計に興味を持つのかもな――と黒恵は思う。



 ちぃ兄こと朱李は、この黒恵のすぐ上の兄である。

 青嗣せいじ朱李しゅり黒恵くろえ真白ましろの四人兄弟は、知り合った環子に何かにつけ構う。特に朱李と黒恵は。



「オレは見慣れてるし、聞き慣れてるからなんとも。でも、そんな環子だからこそお似合いだと思うけどな」


「…………結構よ」と言ったとたん、聞き耳を立てていたクラスの女生徒が、「ええー?」と非難の声を上げた。


「なんなのよ!?」


 環子はちょっとびっくりした。


「だってぇ、朱李さんっていったら我が校伝説の美少年でしょう? 大学に行ってしまった今だって、根強いファンが多いんだから! クロエの兄弟ってみぃんな美形だけど、朱李さんは特別よぉ」


「ほらな、これがフツーの反応」


 黒恵が両掌を上に向け肩をすくめて見せる。


「フツーじゃなくていいわよ」


「そりゃ確かに、タマコって特別美形だもん。ここまでくると嫉妬を超えちゃうわよねー」


「ねー」と少女たちは頷きあう。


 特別美形か――そんなことに頓着したことがあまりない環子は、黒恵に矛先を向けた。


「特別な美形と言えば黒恵だって。女にしておくのがもったいない……」


 と言いさしたとたん、


「いやーーーっっ!!」と絶叫されて、黒恵と環子は後ずさる。


「クロエは“美少年”なのよ!!! 女なんて言わないでぇーーー!!」


「まあオレは別に男でいいんだけど……」


 しり込みしながらぼそぼそ言う黒恵に、環子はキッと視線を向ける。


「だめ! いい加減目覚めないと。折角きれいな女の子に生まれついたのに、どうしてそうなのかしら。皆もよ! どんなに現実から目を背けても、黒恵は女子トイレに入るし、胸だってあるわ!」


 先に妙なことを言った事は棚にあげ、環子は黒恵の胸のふくらみがある部分に触れた。


「Cカップは軽くあるわね」


 ふっと不敵な笑みを浮かべてクラスメイトを見返すと、彼女たちは涙を流さんばかりに「やめてぇ」と哀願していた。



 ――無害な理想の異性――



 美形で成績もほど良く、スポーツ万能で喧嘩にも強い。

 女性にしては長身な黒恵は、女の子にやさしい、まさに理想の異性。女子校ならよくある光景だが、ここは男女共学。男子の立つ瀬は無い。


「皆もそういうし、オレはこれで構わないんだ。大体なぁ、15年間男として生活してきて、今更女に戻れって方が無理があるぜ!」


「どうして男として育ったの?」


 勢いでつい環子は訊いてしまったが、


「オレに興味ある? ふふ、これで相思相愛だな、環子」


 と茶化され、あまつさえダンスでパートナーをリードするような格好で上向かされ、顔を近づけてくる。


 オンナノコたちの目は萌えていた。


「ちょっと……黒恵?」


 悪戯っぽく笑って彼女は「あとで」とそっと環子に耳打ちした。




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