閑話1 テイルとの別離

閑話1.


 『麦穂の剣』は、新進気鋭の冒険者パーティだ。


 まだ結成されて長くはないが、数々の依頼をこなして実力を順調に伸ばしていることから、次代の英雄になるかとギルド支部で噂され始めている。


 所属しているのは、リーダーで斧使いの戦士アンリ、双剣使いの獣人ウル、多彩な魔法を使いこなす魔法士リエッタ、そして最後に魔法剣士のテイル。年若く容姿に優れた者ばかりのため、将来性抜群で華もあるとよく冒険者たちの話題に上っている。


 しかし、そんな彼女たちには最近一つ悩みがあった。


 そう――メンバーの一人であるテイルが、パーティを脱退すると言い始めたのだ。


 テイルの言い分はこうだ。己と他三人には実力や才能に隔たりがある。だからこのまま一緒にいれば、いつか無理がたたって大きな失敗が起こる。そうなる前に、自分は抜けさせてほしいと。


 テイルと同じ村出身の三人は、当然揃って反対した。確かに今はテイルの実力がわずかに劣っているかもしれないが、訓練を欠かさない彼はいずれ自分たちと同等の実力を身に着けるはず。それに、今まで小さな頃から四人でやってきたのだから、こんなところで別れるのは嫌だった。


 また本人には言っていないが、三人とも穏やかで面倒見のいいテイルを憎からず思っており、離れがたかったということもある。


 そういった経緯もあり、三人から見た最近のテイルは、いつも何かを考え込んで悩みを抱えているようだった。


 しかしそれも一時のことで、すぐに実力を伸ばしたテイルがいつもの木漏れ日のような笑みを見せてくれると、三人はそう信じてやまなかったのである。


 ――そんな風に、事態を甘く見ていたからだろうか。




 三人はいま山中の魔物討伐にて、悲鳴を上げて崖から落ちたテイルを見て頭を真っ白にする。


 いつもそつなく遊撃をこなし戦闘の負荷を管理するテイルは、今日だけなぜかいつもより浮足立っているように見えた。三人が相手しきれないグレイウルフを引き付け、次第に自分たちから距離を取って戦闘していたのは把握していた。


 それでもテイルなら、三人が魔物を片づけるまでいつものようにしのいでくれると、そう思っていた。


 ――それが誤りだったのか。


「テイル……!」


 初めに動いたのは狼の獣人ウルだ。滑らかな黒髪を激しく棚引かせ、俊敏な動きでグレイウルフの間を抜けて崖へ駆けていく。


 アンリとリエッタもすぐに続こうとして、しかしグレイウルフに道を阻まれる。テイルのことを思って顔を真っ青にしたまま、アンリが吠える。


「――っ……どけえ!!」


 手にした斧に紫電を纏わせ、後先考えない剛力で複数の魔物をまとめて吹き飛ばす。それでもまだ数体が残ったが、直後に火水風土の多様な魔法が押し寄せすべてを吹き飛ばした。


「邪魔、しないで……!」


 魔力の急激な消費に息を荒らげ、リエッタはその可愛らしい顔を歪ませる。しかし走り出したアンリを見て、すぐに後を追った。


 そして二人が崖までたどり着いたとき、そこには数体のグレイウルフの死体と、崖端で呆然とひざまずくウルがいる。アンリとリエッタは急いで谷底をのぞき込む。


「う、うそだよね、テイル……」


「テイル、くん……?」


 血の気を失った二人の視線の先には、絶壁に引かれた剣でついたと思しき傷跡と、負荷がかかって崩れたようなくぼみ。その下には剣の跡はなく、どこまでも深い闇の底が広がっている。


 もしこの高さから人が落ちたらどうなるか。幼い子どもでも理解できる。暗い谷底で待っているのは、残酷な死のみだ。


「あ、あぁ、そんな………………そ、そうだ! 魔法! リエッタ、テイルが魔法を使ってなんとか助かってる可能性はないの!? 私たちもすぐ降りてテイルを助けに行けば……!」


 アンリがわずかな可能性を手繰り、思いついた考えを口にする。もはや望みはそれしか残っていない。そして実現している可能性があるなら、すぐにでも動かなければ。


 しかし、そんなアンリのわずかな希望は、絶望に染まったリエッタによって否定された。


「――むり、だよ……。こんな高さから落ちたら、きっと谷底ではすごい速さになってる。その衝撃を防ぐのにひとつの魔法じゃぜんぜん足らないよ。複数の魔法をいっしょに、弱すぎず強すぎない力でつかわないと……」


「で、でもそれなら、全く可能性が無いわけじゃあ……」


「むりなの……。魔法をつかうには――魔法陣をつくるには、ある程度は物理的に動きのすくない状態じゃないとダメなの。魔力が体の外にでたら、物理的な力を無視できない。強い風を受けるなかで魔法陣をつくって維持するほどの魔力制御なんて……」


「そんな……」


 普段は滅多に余裕を崩さないアンリが絶望に打ちひしがれる。


 それでもアンリは、ごくわずかな可能性に賭け、身体強化を使って崖を降りられないかと考えたが、しかしそれもまるで現実的ではないとすぐに気づく。奈落の底まで続くような断崖絶壁を、落下の風圧はないにせよ峡谷という地形特有の暴風の中で下まで降りるのは、どんなに身体強化に優れた者でも無理だ。


 もし下まで降りてテイルを探すとしても、道具を揃えて準備を整えた上で降りる必要がある。そして時間をかけてそうしたところで、奇跡的にテイルが生き残っていても大怪我を負っているだろうことを考えれば……。


 現実を理解したアンリは、うつろな目でつうっと涙を流すウルとリエッタを見て、胸の内で何かが崩れ落ちる音を聞いた気がした。


 これまで自分たちとともにあったテイル。いつでも優しく穏やかで、三人に引っ張りまわされても仕方がないなと困ったように笑うその顔。


 これまでともに過ごしたたくさんの思い出が次々に脳裏へと浮かび上がり、そしてそれが消え去るような錯覚を覚える。


 気づけば瞳から涙がこぼれ、開いた口から絶叫がほとばしっていた。


「あああぁあぁああっぁあああ…………ッ――――!!!」


 動くもののない深い山の中、悲痛な叫びが響き渡る。残酷なまでに澄んだ空気は、アンリの叫びを受けて、いつまでも止まることなく震えていた。




 ――――そうして、『麦穂の剣』の一行はやがて山を下りた。


 それなりに距離のある街まで急ぎ、できる限り時間をかけずに準備を整え山に戻るも、時間はすでに丸一日以上が経過していた。


 それから決死の思いで崖を下った先で見た物は、テイルが着ていた服の切れ端に、何かにかみ砕かれたような小さな骨片が複数――。しばらく谷底を探索するも、一行はそれ以上なにも見つけられず、現れたシルバーウルフの群れに追われて帰還を余儀なくされた。


 アンリたちが分かったことといえば、谷底では地上にいる同種よりはるかに強力な魔物が徘徊しており、テイルが落下したであろう場所にわずかな痕跡が残っていたということのみだ。その二つの事実と、そもそも無事に谷底へ降りられた可能性が極めて低いことから、三人は認めざるを得ない。


 テイルの命が、不幸にも散ってしまったのだということを。


 ――それからの三人は、街へと帰り、しばらく抜け殻のような日々を過ごすことになる。世界のどこを見ても色が褪せて見え、まるであらゆる幸福が消え去ってしまったかのようだった。


 このさき、自分たちがまた笑えるようになるなどと、この時の三人はわずかたりとも考えることができないのであった――



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