information:16 人格が変わってしまうほどの拷問
「こ、ここは……」
意識が覚醒したばかりの男がいた。
その男のぼやけた視界に最初に映ったのはウサ耳を付けた銀髪の幼女だった。
「やっと起きたかマヌケくん。ここはとあるビルとでも言っておこうか。麻酔がちょっとだけ効きすぎていたみたいだね」
穏やかな声だが、穏やかではない状況にマヌケくんと呼ばれた男――マヌーバ・Q・スピカの背筋が凍る。
そして覚醒したばかりの頭で状況を理解する。拉致されたのだと。
それを理解した瞬間、戦慄した。吐き気を
当然だ。拉致された身でありながら、体の自由を奪われていないはずがないのである。
マヌーバはパイプ椅子座らされて縄で体を縛り付けられているのだ。まさに拉致被害者そのものの姿だ。
「ネ、ネーヴェル・クリスタル……わ、私をどうするつもりだ!?」
「どうするつもりって……キミならこの状況を理解できるだろ? 国家アホ安局の副長ならね」
マヌーバに再び戦慄が走る。役職名を言われてこれから何をされるのかを悟ったからだ。そして目の前のウサ耳を付けた銀髪幼女が悪魔に見えたからだ。
否、悪魔に見えたのではない。幼女は悪魔そのもの。裏社会ではウサ耳の悪魔と呼ばれ恐れられている存在だ。
「と、取り調べ……いや、そんな甘い言葉ではなさそうだな……ご、拷問か……」
「その通り。キミが情報を――知ってる情報の全てを吐くまで拷問は続くよ。それか、その命が尽きるまでだね。とにかくボクの拷問を楽しんでいってよ」
「そ、そんなの許されるはずがない! 私は国家保安局の副長だぞ! 私を拉致してただで済むとは思うなよ! キミたちは犯罪者となって永遠に火の目を見れなくなるぞ! 温かい食事もゆっくりと取れない! 国を敵に回すことになるんだぞ?! それでもいいのか!?」
「……口を開くのなら情報を吐く時だけにしてほしいな。まったく惨めだぞ。それにこの国の敵はキミたちだろ? それを全て教えてくれればそれでいいんだよ」
「くそっ、ウサ耳の悪魔め……」
マヌーバは吐き捨てるように言った。
それを聞き流したネーヴェルはテーブルの上に置かれているリモコンに手をかけた。
その様子を見たマヌーバは、慌ててこえを上げる。
「ま、待て! 私に何をする気だ?! わ、私は何をされても何も答えないぞ! そ、それにここはどこなんだ?! 私はどのくらい眠っていた?! 国家保安局はどうなってる?! 連行した男たちはどこだ?! こ、答えてくれ!」
恐怖心からかそれを先延ばしにしようと無意識に質問を投げ掛け続ける。
当然ながらそれに応えることはなく、小さく細い指はリモコンのスイッチであるであろう箇所に伸びていく。
「さて、取り調べのエキスパートは、どれだけボクの
不穏な言葉をかけた直後、ネーヴェルの指はリモコンのボタンに力強く触れた。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「今日は私が取り調べをする日です!」
意気込みながら言ったのはセリシールだ。
ネーヴェルとセリシールは一日交代でマヌーバを拷問する計画なのである。
そして今日はセリシールの日だ。だから意気込み、特別気合いが入っているのだ。
「私の作戦はこうです! “飴と鞭”作戦です! ネーヴェルさんはとてつもなく怖い拷問をしていると思うんですよ。だから私はすっごく優しくしてぽろっと情報を聞き出そうと思ってます。相手に寄り添って心を開かせるのです! 鞭が強力な分、私の飴は
「ンッンッ」
ネーヴェルの代わりに返事をしたのは、黒い艶やかな毛並みともふもふボディが特徴的な生き物――ミニウサギのクロロだ。
肝心のネーヴェルはと言うと――
「……ん? 何かいったかい?」
コーヒーを嗜みながら新聞を読んでいた。セリシールの“飴と鞭”作戦の内容は一切聞いていない様子だ。
そんなネーヴェルを見たセリシールは思わずため息がこぼれる。
「はぁ〜、ネーヴェルさんらしいですね。まあいいですよ。超絶有能な助手である私が情報を聞き出してきます! 重要な情報を入手すればネーヴェルさんも私を
「ンッンッ」
「私頑張っちゃいますよー!!!」
「ンッンッ!!!」
クロロの可愛い声ともふもふボディに背中を押してもらったセリシールは、何の変哲もない本棚の前に立った。
その本棚の八段目の二十一冊目に指を触れる。その本を取るわけではなく、逆に力を入れて押し込むようにしたのだ。
すると、押し込まれた本と共に本棚も軽々と押されていく。重量感と存在感がある本棚を指二本で動かせるほどセリシールに筋力はない。
これは
セリシールが向かおうとしている場所は、拉致したマヌーバがいる取り調べ室もとい拷問部屋。
つまり、この隠し扉の先にマヌーバがいる拷問部屋があるのである。
「行ってきます!」
挨拶をしたセリシール。ネーヴェルは小さな手を軽く振って「いってらっしゃい」と返事をした。
それを桜色の瞳に映したセリシールは、満足そうな表情になりながら、扉の先へと入っていく。
少し歩いたセリシールは、拷問部屋までの残りの道のりをスキップと鼻歌を奏でながら進んだ。
ネーヴェルに送り出してもらったことが相当嬉しいのだ。
しかしそのスキップもすぐに終わりを迎える。拷問部屋に到着したからである。
「よしっ! 超絶有能な助手として飴と鞭作戦頑張っちゃいますよ!」
豊満な胸の前で小さくガッツポーズを取り、再び気合いを入れ直すセリシール。
気合が入ったところで拷問部屋の扉に手をかけ、その扉を開いた。
「マヌーケさん!」
開口一番元気よく相手の名前を間違える。蔑称とも呼べる呼び方は相手の心を傷つけるだろう。今から飴と鞭作戦を決行しようと言うのなら開始一秒で失敗だ。
「今日は私が担当しま……す……ぬん?」
セリシールの頭の上にハテナが浮かんだ。この場面で普通浮かばないものなのだが、目の前の光景がそうさせたのだ。
「ゆ、許してくれ……なんでも……何でも、情報なら吐くから……」
すでに観念しているマヌーバの姿があったのである。
体は椅子に縛り付けられているが、重心を前にかけて頭を垂れようと必死だ。
「えぇええ!? ちょ、ちょっと! どうしたんですかマヌーケさん! そんなんじゃ私の力の見せ所がないじゃないですか! なんですでに観念しちゃってるんですか! ネーヴェルさんにどんな拷問を受けたんですか!?」
セリシールは知らない。ネーヴェルがどのような拷問を行いマヌーバをここまで追い詰めたのかを。
ただ知らないのはこの瞬間だけだ。何でも情報を吐くと言ったマヌーバの口はその言葉通り軽くなっており、今の質問に答えるため一呼吸してから口を開く。
「ずっと……」
「ずっと?」
「ずっとウサギが草を食べたり寝たりする映像を観させられていた……」
「えっ? そ、それだけですか?」
予想外の回答が鼓膜を振動させ、呆気に取られる。
実際にマヌーバの前に設置されているモニターには、可愛らしいウサギのほのぼのとした映像が映し出されていた。
セリシールの瞳に映ったシーンは、草原を颯爽に走った後、草をむしゃむしゃと食べ始めるウサギだ。
「最初は私もそう思ったよ。でも現実は全然違かった。ほのぼのした癒し映像を、永遠と思える時間の中、見続けると人はおかしくなるんだ。実際に私がおかしくなっている。頭と心ではウサギを拒んでいるのに……体が……体がウサギを求めているんだよ。私は……私はどうなってしまったんだ!? これは禁断症状というやつか? そ、そうだ! 確か情報屋には看板兎なる黒いウサギがいるはずだ! さ、触らせてくれ! 触ることさえできればこの体の
懇願するマヌーバ。まるで無実なのに死刑を申告された人のような必死さだ。
「あ、え、えーっと……その……」
あまりの人の変わりようにセリシールは困惑中だ。
気合十分で挑んだのに結果がこれではどうしていいか分からなくなってしまうもの。
そんな困惑中のセリシールを見たマヌーバは口を開く。
「そ、そうだ。先に情報を教えよう! 私は、ある人物の――」
「あー、ちょちょちょっとー! ちょと待ってください!」
重要な情報を口にしそうだったマヌーバをセリシールの慌てた声が遮る。
「な、何ですか? 情報が欲しんでしょ? だったら聞いてくださいよ。私は、ある人ぶ――」
「だからちょっと待ってくださいってー!」
再びマヌーバの言葉を遮るセリシール。
二度繰り返されて行動にマヌーバは小首を傾げた。このまま口を開くことなくセリシールの言葉を待つ。
「私に情報を言ってもそれが偽りのない情報なのかどうか判断できませんから、ネーヴェルさんを呼んできますね。本当は私の飴と鞭作戦で聞き出したかったのですが……仕方がないです」
「そ、そうか。それならぜひ、ウサギを! 看板兎の黒いウサギを! 頼む。いや、お願いします。どうか、どうかウサギをお願いします」
懇願を続ける惨めな姿にセリシールは思わずため息を吐いた。
「はぁ〜、わかりましたよ。もう、気合い入れたのにこの展開にはガッカリですよ……どうせならもっと耐えてくださいよ。何で一日で心が折れてるんですか。観念するの早すぎですよ! それでも国家保安局の副長なんですか? 凶悪犯の相手をしてきてるんですよね。それどころか凶悪犯に協力者がいて貴方が指示してるんですよね。何でそんな人がこんなにもあっさりと……」
セリシールはネーヴェルを呼ぶ前に鬱憤をぶつけ始めた。
あまりにも期待外れだったためこの数分間のやり取りで鬱憤が言葉にして溢れるほど溜まってしまったのである。
「まあ、ネーヴェルさんがすごいってことが改めてわかりましたけどね。相手の心情がどうたら、現在の生活や境遇がどうたら、生まれ育った環境がどうたら、って情報をなんかこう上手くまとめて計算して、この拷問方法を選んだと思いますしね」
「……早くウサギを……早くもふもふを……ふかふかであたたかいウサギを……」
「効き目がありすぎて壊れてませんよね?」
かなり引き気味でセリシールは踵を返した。
ネーヴェルを呼ぶために事務所に戻ろうとしたセリシールの豊満な胸が何かにぶつかり、物理的にぼよんっと弾んだ。
何にぶつかったのか、桜色の視界で確認すると、そこには今まさに話題にしていた人物の姿が――ネーヴェルの姿があった。
ネーヴェルの身長が低すぎてぶつかるまで気付かなかったのである。
「おっ、ネーヴェルさん! ちょうど呼びに行こうとしてたところでした! ちょっと聞いてくださいよー! マヌーケさんが――」
「大丈夫。大体把握した」
と、セリシールの話を最後まで聞くことなく、彼女を横切ってマヌーバの正面へと立った。
「随分と早く観念したようだね」
「そうですよ! 早すぎです! 私の出番がありませんでしたよ! もう少し私にも出番をくれても良かったんですよ!」
物足りなさにセリシールは文句を垂れる。
そんなセリシールを「そうだね」と言って軽く受け流す。
その後、ネーヴェルの発した音域と同じくらいの音域で「ンッンッ」と鳴く声がネーヴェルの平らな胸元あたりから発せられた。
ネーヴェルはマヌーバが今最も求めている存在であるクロロを連れてこの場にやってきたのである。
「ウ、ウサギだ! ウサギ様だ! ネーヴェル・クリスタル、いや、ネーヴェル様! そのウサギ様を私に触らせてください! 何でも情報を話します! 何でも! 何でもです!」
今まで以上に懇願するマヌーバ。瞳も充血、口からは唾液が垂れている。
目の前にウサギが現れたことによって、禁断症状が極限まで発症してしまったのである。
ネーヴェルが行った拷問に名称をつけるのならば、ネーヴェル式ウサギ拷問だろう。
ウサギが好きで好きでたまらなくなり、無くてはならない存在になる。そして触れたくて触れたくて仕方のない症状が起きてしまう。
もはや薬物依存症の類、否、それ以上の依存効果だ。
「ウサギ様をー!!!!!!!」
「うるさいからダメ」
ネーヴェルはマヌーバにとって強烈な一言で返した。
マヌーバはセミの抜け殻のように静かになった。しかしその視線はクロロに向けられたままだ。
瞬き一つすらしていない。できない状況なのである。
「ウサギに触りたければ静かに情報を吐け。嘘偽りはもちろん許さない。一生ウサギを触ることができない体にしてやる」
「そ、それだけはどうか……」
「そして直接的ではない遠回りな言葉もダメだ」
「わ、わかりました」
「では発言に気を付けながら知ってる情報を全て吐いてもらおうか。ウサギに触れるためにね」
「は、はい!!!!」
傍から見ればあまりにも阿呆すぎる取引である。
それだけネーヴェル式ウサギ拷問は、効果覿面だということ。
そしてウサギという生き物がいかに魅力的か、ということが証明されたのであった。
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