information:08 『17』という不吉な数字

 殺害予告事件はクロワッサン一家の絆が深まるのとともに解決した。

 情報屋の仕事もこれで終わりだ。

 ネーヴェルたちは対価を頂きエメラルド邸を出た。


 既に空は茜に色に染まっており、夕刻を告げる鐘まであと数分と言ったところだ。


「たくさん頂いちゃいましたね」


 両手に荷物をいっぱいに持っているセリシールが言った。

 その荷物とはネーヴェルが要求した対価――ブラックマウンテンという高級品のコーヒー豆と葉野菜、そしてココアパウダーである。

 セリシールが持ち運びできる最大限の量を頂いたのだが、彼女は普通の女の子だ。

 怪力という隠れた特徴もなければ、格闘技に嗜んでいたりもしない。

 だから葉野菜以外はそれほどたくさん受け取ってはいない。そう。葉野菜以外は。

 両手いっぱいの荷物のほとんどはクロロのために要求した葉野菜である。

 メイドたちがエメラルド邸にある葉野菜をかき集めてくれたのだ。そう指示したのはパンである。おかげで葉野菜のバラエティは豊富だ。

 ちなみにコーヒー豆とココアパウダーは二箱ずつだ。一般的に売られている箱状の物を合計四箱だけ受け取ったのである。


「しばらくは食事に困らないな」


「ンッンッ」


「食事に困らないって、クロロちゃんだけですよね」


「ンッンッ」


 クロロは言葉が通じているかのように声を漏らして相槌を打っていた。

 そんな情報屋三人の会話を途切れさせたのは夕刻を知らせる鐘だった。

 鐘の音が鳴り終わるよりも少し前にセリシールが口を開く。鳴り終わるまで待てなかったのだろう。


「今回もは手に入りませんでしたね」


「仕方ないさ。あの情報だけは五年間いくら探しても手がかりはゼロなんだから。まあもうそろそろ情報の一つや二つ見つけないとだけどね」


「ですよね。あれからもう五年ですか……」


 茜空も相待ってどこか寂しげな表情を浮かべるセリシール。

 そんなセリシールを慰めようと、元気付けようとしてなのか、クロロがいつものように「ンッンッ」と声を漏らした。

 動物は会話ができない代わりに“人の気持ちを人以上に理解している”という説がある。

 偽りの気持ちを見抜いたり、心の奥底に隠した本当の気持ちを見抜いたり、動物の第六感のようなものは優れているのである。中には未来予知に匹敵する能力を持つ動物もいる。

 賢いクロロならその第六感のようなものは特に長けているだろう。可愛らしい表情の裏ではセリシールをものすごく心配しているのだ。


「ありがとうございます。クロロちゃん。大丈夫ですよ。私は元気です!」


 両手に持った荷物と一緒に豊満な胸の前でガッツポーズを取って元気アピールをする。

 そんな時、ネーヴェルたちを呼び止める声が彼女たちの鼓膜を振動させる。


「情報屋さん! 待ってください!」


 振り向くとそこにいたのは、息を切らす茶髪の中年男――ヴァン・E・クロワッサンだった。


「ヴァンさん! どうしたんですか。そんなに慌てて。あっ、もしかして私、何か忘れ物とかしちゃいましたか!?」


 セリシールの質問に対してヴァンは息を整えてから答える。


「いや、違います。やっぱり支払った対価が少なすぎると思ったので……だからこれを渡したくて……」


 ヴァンは何の変哲もないただのメガネをネーヴェルたちに見せた。


「メガネ……ですか?」


 何の変哲もないただのメガネを渡したいが為に慌てて走ってきたのかと、セリシールは不思議に思った。

 しかしネーヴェルは見抜いていた。


カメラではなさそうだね」


「はい」


 一言で返事をしたヴァンは深く息を吸った。そして――


「録画録音機能、さらには度数の変更も可能。ライトも搭載し、防水耐熱耐冷はもちろんのこと、トラックに踏まれても傷ひとつつくことがない耐衝撃性。ソーラー充電と振動充電で一日中付けっぱなしでも電源が切れることはなし! そして世界中どこでもネットに繋ぎ通信することも可能です」


 何度もプレゼンをしてきたのだろうか、それとも開発に携わってきたのだろうか、慣れた様子ですらすらと語った。


「す、すごいです!!! 最先端すぎます!!!! こんなにすごい物いつ販売したんですか?」


「あっ、いや、これは試作品です。販売するかどうかも今は不明……いや、販売されることはないかもしれませんね……」


「え? どうしてですか? こんなに良い機能が揃ってるのに」


 そんなセリシールの素朴な質問に答えたようと口を開いたのはヴァンではなくネーヴェルだった。


「性能が良すぎるが故に犯罪に使われてしまう危険性もある。盗撮、盗聴、この小型メガネならそのくらいの犯罪なんて容易いだろうからね。性能だけを盗めば最先端技術で戦闘機も作れてしまう。それの対策案ができるまでは製造ができないって感じかな?」


「そ、その通りです」


 ネーヴェルの考察は正しかったらしい。


「それに加えこれだけの性能だ。莫大な費用を要するに違いない。今はまだ製造するべき時期じゃない、と判断したんだろうね」


「さ、さすが情報屋ですね……」


 水晶のように輝く瞳を持ったネーヴェルは、水晶玉のように何でもお見通しなのかもしれない。


「これは私たちクロワッサン家からのほんの気持ちです。情報屋に役立つと思います。受け取ってください」


 ヴァンはメガネを渡そうとするが戸惑ってしまう。ネーヴェルの手もセリシールの手も塞がっているからだ。

 ネーヴェルはクロロを抱き抱えている。セリシールは先ほど頂いた大量の対価だ。

 戸惑っていたヴァンにネーヴェルは救いの手を差し伸べる。


「ボクが受け取るよ」


 文字通り“手”だ。

 クロロを片手で器用に抱きながら、もう片方の手を出している。

 その小さな手のひらの上にヴァンは高性能メガネを置いた。


「ありがとう。これはとても役に立つ代物だ」


「はい。ぜひ活用してください。あと、それと……」


 まだ何かある様子のヴァンだが、困ったような表情をしている。

 困り事があるのではない。発言していいのかどうかに悩んでいるのだ。


 沈黙の時間が三秒続く。

 もしテレビなどで五秒以上の沈黙が続けば放送事故と言われてしまうだろう。会話の中でも五秒の沈黙で気まずくなったりもする。

 その許容範囲であるギリギリの三秒。この三秒の沈黙の後、ヴァンは口を開く。

 ここで口を開けたのは、スピーチや会議で数多く発言してきた経験が活きたのだ。心地の良い三秒の間を、五秒の沈黙を体が無意識に覚えているのである。


「盗み聞きしてしまったかのようで罪悪感があるのですが……先ほどお二人の会話の中で『私たちの欲しい情報』と聞こえてしまい……どんな情報が欲しいのかな、と気になってしまって……もし良ければ我々クロワッサン一家も微力ながら協力しますよ。いや、協力させてください」


 家族の絆を、父親としての尊厳を守ってくれた情報屋だ。感謝しても感謝しきれない。だからこそヴァンは聞こえてしまった会話を聞かなかったことにはしなかった。

 協力したいのだ。大恩人の情報屋に。


「ネーヴェルさん……」


 どうしますか、と言わんばかりの表情でセリシールはネーヴェルを見つめる。

 判断するのは全て彼女――情報屋の社長であるネーヴェルなのだから。


「いいよ。まあ隠していたわけじゃないからね」


 ネーヴェルはゆっくりとヴァンの瞳を見た。その後、水面に落ちる一滴の雫の如く口を開く。


「ボクの両親は十七年前に起きた大量無差別殺人の犠牲者になった。その犯人はここにいるポンコツ助手の父親さ。ボクたちはこの事件の真相が……が知りたいんだ」


「セリシールさんの父親がネーヴェルさんの両親を…………」


 気まずそうな、それでいて申し訳なさそうな顔をするヴァンにセリシールは優しい言葉をかける。


「私がちょうど一歳の時です。なので何も覚えていませんから私たちのことは気にしないでください」


 セリシールは当時一歳の赤子だ。何も覚えていなくて当然である。


 年齢不詳の幼女ネーヴェルの両親が殺されたのが十七年前というのがわかり、ネーヴェルの年齢は十七歳以上だということが確定したが、ただそれまでのこと。

 ネーヴェルが口にしただけで本当に両親が殺されてしまったのかは不明だ。そして口にした両親が血の繋がった実の両親なのも不明だ。

 結局のところネーヴェルの情報は一切不明のままだ。だが、それでいい。今はネーヴェルのことではなく事件のことを話しているのだから。


「十七年前の……大量無差別殺人……まさかあの、ホランドを震撼させた事件の……」


 ヴァンは小刻みに震え始める。

 思い出しただけで大の大人が濡れた子ウサギのように震えてしまうほどの大事件だということだ。


「そう。一夜にしてホランドの人口が半分になるほどの大量無差別殺人事件」


「は、犯人は全員捕まり処刑されたと聞いたことがありますが……」


「それは公に公開された情報だね。『犯行に及んだ十七人を全員処刑した。その肉親も含めて』ってやつだね。肉親であるシールくんが生きてる時点で正しい情報ではないね。それに犯行に及んだ人数は全員で十七人ってのも間違いだ」


「そ、それはどう言うことですか?」


「黒幕とでも言うべきかな。そいつがまだ生きている。だから全員を処刑したわけではないってことだよ。国は国民を安心させる為に十七人だけの犯行と嘘をついたんだ。いや、黒幕がいることに気付いていないんだ。でも『全員』と言った判断は正しかったと思うよ。国民の恐怖心をケアするのも国の役目だからね」


「そ、そんな……黒幕が……そ、それじゃネーヴェルさんたち情報屋は、その黒幕の情報を集めていると言うことですか?」


「うん。そんな感じだね。キミは……キミたち家族は危ない橋を渡る必要はないよ。だから今の話は忘れてくれ。と言っても思い出してしまうだろうけどね」


「衝撃すぎて忘れることはできそうにないですね」


「まあ、それもあるが、そう言うことではないよ。直にまた事件が起きるだろからさ」


「事件が起きる……って、十七年前の大量無差別殺人事件がですか!?」


 ヴァンは叫んだ。直後、己の口を両手で塞いだのは自分の声があまりにもデカかったと自覚したからだ。

 そしてキョロキョロと周りを見る。誰かに聞かれていたらまずい話だという認識もあるらしい。


「規模はどのくらいのものかわからないけど、確実に今年中に事件は起きるよ」


 水晶色の瞳を持ったネーヴェルは未来が視えるわけではない。予知能力もない。

 けれど断言できるのだ。断言できるだけの情報があるのだ。


「不可解な事件は十七年ごとに必ず起きている。しかも犯行人数はどの事件も十七人。そして月は不規則だが必ず事件は十七日に起きている。ボクはこれが偶然だとは思えないんだ」


 十七年周期。十七人の犯行。十七日。偶然だと言うのには無理があるほど、奇妙に“十七”と言う数字が並んでいる。

 ヴァンは驚愕のあまり絶句している。

 そんなヴァンにセリシールが優しい言葉をかける。


「でも大丈夫ですよ。今年の事件は天才であるネーヴェルさんと超絶有能な助手である私が被害を最小限に、いいえ、未然に防いでみせますから! だから大丈夫ですよ!」


 セリシールの何ひとつ根拠のない言葉。もっと良い言い方をするのであればポジティブな言葉だ。

 セリシールらしいその言葉は、時に人の心を救うことがある。勇気付けることがある。

 言葉とは魔法のように不思議なものなのだ。


 その魔法にヴァンはかかっていた。

 この二人ならきっと事件を未然に防いでくれるだろう。黒幕の陰謀も今年で終止符が打たれるだろう。と、期待してしまう。

 根拠のない期待ではない。数分前に既に彼女たちの……ネーヴェルの天才ぶりを、輝かしい才能を見たばかりだ。それが根拠となっているのである。

 だからこそ絶句していたはずのヴァンの口がゆっくりと動き出す。


「そうですね。ネーヴェルさんたちならきっと……いいや、ネーヴェルさんたちだからこそできそうですね。私が言うのもおかしな話ですが、どうか、ホランドを……ルフモ連合国を守ってください。先ほどから言っている通り、何かあれば私も協力します! させてください!」


「ああ、その時は声をかけるよ。高性能メガネもこれから活用させてもらうね。それでは私たちはそろそろ帰るよ。暗くなるとうちのポンコツ助手が迷子になってしまうからね」


「ま、迷子になんてなりませんよー!!! 横を歩くネーヴェルさんが小さくて見失うだけですよ! 決して迷子ではありません!」


 訳のわからないツッコミをするセリシールは、道路に向かって駆けた。

 そして荷物でいっぱいとなった片手を上下に激しく振り始める。


「ヘイ! タクシー! ヘイ! タクシー!」


 タクシーを止めようとしているのである。

 迷子にならない一番の方法だ。そして重たい荷物を楽に運ぶ方法でもある。


「シールくん。何度も言うが、客が乗車中のタクシーを止めることはできないよ。それにタクシーじゃない車も止まってくれないよ」


 それは行きの時と同じ発言だ。


「わかりませんよ! きっと止まってくれます!」


 どこからその自信が湧いてくるのかは不明だが、その言葉を言い終えたのとほぼ同時に奇跡が起きた。

 腕を上下に振るセリシールの前に一台の真っ白な車が止まったのである。


「ほ、ほら! 見てください! 超絶有能な助手である私がタクシーを一台止めましたよ!!」


 タクシーを一台止めただけで大はしゃぎのセリシール。

 そんなセリシールにネーヴェルは呆れてため息を吐く。


「それはシールくんが止めたタクシーじゃなくて……」


「お待たせしました。ハクトシンタクシーです」


「ボクが呼んだタクシーだよ」


「い、いつの間に呼んだんですかー!?」


 前面部がウサギの顔に改造されておりボディは真っ白、様々な種類のウサギのステッカーが貼られた車――ハクトシンタクシーの再登場だ。

 運転手はもちろん、顔の切り傷とサングラスが特徴的な強面の男――ボブ・ダイヤモンドだ。

 ネーヴェルたちはヴァンに別れを告げてからハクトシンタクシーに乗車する。

 ヴァンはハクトシンタクシーの真っ白なボディが見えなくなるまで見送った。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



 ルフモ連合国・ホランド。とあるビルの8階2号室――情報屋バニー・ラビット――扉前。

 事務所の扉の前に到着したネーヴェルたちの瞳に見慣れない光景が映る。


「ネーヴェルさん! お花! お花です!」


「見たらわかる」


 事務所の扉の前に花が置かれていた。様々な色と種類の花だ。

 花は花瓶に入れられており、リボンまでされている。情報屋に贈られたフラワーギフトであることが一目瞭然だ。

 しかしメッセージカードなどが添えられておらず、贈り主の情報は不明だ。

 セリシールは両手に持っている荷物を地面に下ろし、花瓶のどこかに贈り主の情報が書かれていないかの確認を始める。


「誰がプレゼントしてくれたんですかね? 浮気調査のお姉さん? それとも銃の密輸の時のマフィアさん? 入試問題の時のお坊ちゃまくんのご両親ですかね? あっ、この花すごくがしますよ! いろんな花が混ざり合うとこんな香りになるんですね!」


 次々と花を贈ってきそうな人物を口にしながら花瓶を隅々までチェックするセリシール。

 やはりどこを探しても贈り主の情報は一切書かれていなかった。


「シールくん。花瓶の扱いには注意しなよ。キミなら割りかねない」


 気を付けるように、と忠告しながらネーヴェルはクロロを抱き抱えながら事務所に入る。


「超絶有能な私が花瓶を破る訳ないじゃないですかー!」


 そんなセリシールのフラグとも言える言葉が鼓膜を震わせた瞬間、まさにそれが起きた。


 バリリィィィーン


 花瓶が割れた音である。


「言ったそばから、キミは何をして――」


 呆れながら振り向いたネーヴェルだったが、瞳に映った光景に目を疑い、声を失った。


 割れた花瓶の隣でセリシールが意識を失い倒れていたのだ。


「――シールくん! シールくん! おい! しっかりしろ!」


「ンッンッ! ンッンッ!」


 倒れているセリシールに駆け寄るネーヴェル。

 ネーヴェルの腕から飛び降りてセリシールに駆け寄るクロロ。


「シールくん! セリシール!」


「ンッンッ! ンッンッ!」


「しっかりしろ! セリシール! セリシール!」


 いくら声をかけてもセリシールから返事はなかった。

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