information:02 依頼主の娘に届いた殺害予告

「娘が殺される! 頼む! 助けてくれ!」


 セリシールの肩を激しく揺らしながら叫ぶ中年男性。

 彼が今回の客だ。


「と、とりあえず落ち着いてください。は、話を聞きますから」


 切羽詰まった状況だというのは一目瞭然だ。それでも客には一旦落ち着いてもらわなければいけない。

 落ち着いてもらわなければ訊けるものも訊けない。正確な情報が入らなければ、情報屋としても求めている情報を入手する道のりが遠退とおのいてしまうのである。


「か、金ならいくらでも払う! だから娘を!」


「わ、わかりましたから! それに相談の段階でしたら料金は発生しません。情報の取引時に正当な金額をいただ……きますので……はい。正当な金額を……正当な……」


 段々と声が小さくなっていくセリシール。

 彼女の脳裏には先ほどの光景が――黒いテーブルの上に並んだ大量の札束の光景が過ったのである。

 だからこそ情報屋が提示する正当な金額に、否、ネーヴェルが提示する正当な金額というものに自信がなくなったのである。


「こちらにどうぞ……」


 セリシールは中年男性の客を席へと案内する。

 先ほどまで大量の札束が並んでいたあの黒いテーブル。そのテーブルの正面に設置されている黒い革のソファーへと案内したのだ。


 男性は慌てながらソファーへと座る。

 座った直後始まる貧乏揺すり。腕も組んだり組まなかったりと落ち着きがない。

 それも当然だ。彼の発言から彼の娘が殺されようとしているのだから。父親なら落ち着けなくて当然である。

 そんな男性の様子を水晶のような瞳に映したネーヴェルは口を開く。


「電話をくれたヴァン・クロワッサンだね。ようこそ。バニラビへ」


「バニラビじゃなくてバニー・ラビットですよ。挨拶の時ぐらい訳さないでください。それとこれブラックコーヒーです。香りを嗅ぐだけでもリラックス効果が期待できます」


 セリシールは屋号を訳したネーヴェルを訂正しつつ、ヴァンの前に白い湯気が立ち昇るブラックコーヒーを置いた。

 ヴァンはセリシールの言葉に縋る気持ちでコーヒーカップを手に持つ。

 そして口元に近付けていき、その手が止まった。


「あ、甘い香りが……するのですが……」


 ヴァンの鼻腔を刺激したのは甘い香り。ブラックコーヒーから甘い香りがしたことによってヴァンは驚き、手を止めて尋ねたのだ。

 その疑問に答えるのはブラックコーヒーと称した甘い香りのする何かをコーヒーカップに入れた張本人ではなく、ウサ耳のカチューシャをつけた銀髪の幼女だった。


「それはココアだね」


 その一言でヴァンの疑問は解決する。


「た、確かに……色もココアの色をしてますね……味もココアです……」


 解決したばかりの疑問。しかし新たな疑問が生まれる。なぜココアがコーヒーカップの中に入れられているのか。

 薄桃色の髪をした超絶有能そうなスーツ姿の女性は確かにブラックコーヒーと言った。それも香りの効能まで説明をした。

 そこまでしたのにも関わらずてコーヒーカップの中にココアが入っているなどあり得ないのだ。あり得ないのだが……


「す、すみません。間違ってしまいました。うっかり。うっかり〜」


 自分の頭に軽くゲンコツをし、舌を出して見せたのはブラックコーヒーだと思ってココアを入れた張本人セリシールだった。メガネもズレている。

 その姿は超絶有能そうな姿とは全くもって正反対。一言で表すとすれば――


「天然……ですか」


 否――


「ポンコツだよ」


 セリシールを天然だと表現したヴァンをネーヴェルはポンコツだと訂正する。


「わ、私のことは気にせずに進めてください! 娘さんが大変なんでしょ?」


 セリシールは顔を真っ赤に染め本題へと戻した。そして間違えて入れてしまったココアをコーヒーに入れ直すことなくネーヴェルの隣へと腰掛ける。


「その通りです! 娘の命が! 一刻を争います! だから協力を! 情報を!」


「わかったから落ち着け。キミの娘を助けるためにも冷静に経緯を話してくれ」


「娘を助けるため……わ、わかったよ。ありがとうお嬢ちゃん」


 ネーヴェルの『娘を助けるため』という一言で冷静さを取り戻したヴァンは、娘の命が危うい理由について話し出す。


「実は今朝……娘の元にこんな手紙が……」


 ヴァンはスーツのポケットからくしゃくしゃになった手紙を取り出す。


「随分とくしゃくしゃだね」


「手紙の内容を読んだ時に頭に来てしまい、無意識に握り潰してしまってね……」


 ヴァンは過去の自分の行動を恥かしく思いながらも四つ折りになっているくしゃくしゃの手紙を広げた。

 そしてその手紙をネーヴェルではなくポンコツ助手のセリシールの前に置いた。

 セリシールは手紙を受け取った直後、内容を見ずに隣に座るネーヴェルに渡した。

 その行動を瞳に映したヴァンは呆気に取られる。


「あっ……えーっと、あなたは読まないのですか?」


「私は超絶有能な助手ですので、社長であるネーヴェルさんから読むのは当然かと」


「しゃ、社長!? このお嬢ちゃんが!?」


 ヴァンは取り乱しながら立ち上がった。

 取り乱すのも無理はない。ウサ耳カチューシャをつけた幼女が情報屋の社長だと誰が第一印象だけで気付くのだというのか。

 そんな絶賛取り乱し中のヴァンのことを気にすることなく、ネーヴェルは受け取った手紙の内容の確認を始めた。

 ネーヴェルにとってはこのやりとりも何百回と行ってきているため、慣れてしまっているのだ。毎回リアクションをとったり説明するのが億劫に思うほどに。


 ネーヴェルが手紙の内容を読んでいるその横で、彼女の助手であるセリシールも覗き込むようにしながら手紙の内容を読み始める。


「なんですかこれは? 暗号……ですか?」


「暗号じゃないよ。逆さなだけだね」


 手紙に書かれている内容はこうだ。


『パンヲコロス』


 殺害を回避するための身代金の要求や殺害予告を出した理由などは一切書かれていない。

 ヴァンの娘であるパンを殺すという文章だけが記載された殺害予告だ。


「パンを殺す……ね。このパンって名前の人がキミの娘かな?」


「うん、あっ、はい!」


 ヴァンはネーヴェルからの質問に先ほど同様タメ口で返そうとしたが、ネーヴェルが情報屋の社長であることを理解したからか、敬語で返事を返した。


「キミからの電話が来たのは確か11時39分21秒」


 ヴァンの瞳を見ながらすらすらと喋るネーヴェル。

 時間を秒単位まで答えているが、着信履歴のようなものを確認しているわけではない。さらには適当に時間を言っているわけでもない。

 ネーヴェルは覚えているのだ。秒単位まで正確に。


「11時39分って、私たちが映像を見てた時間じゃないですか! いつ電話に出たんですか!? 私、ネーヴェルさんが電話に出たところなんて見たことないです!」


 セリシールが驚いているのは電話に出た正確に時間を答えたことに対してではなく、電話に出た姿を見ていなかったことにだ。


「電話はシールくんの前で出たよ。と言ってもキミは映像に夢中で気付いていなかったけどね」


 そう。ネーヴェルはセリシールの目の前で電話に出ていた。国家保安局と指名手配犯のハラハラドキドキ逃亡劇を観ているセリシールと付け足すが。


「そんな夢中に……私が? 超絶有能な私が?」


 自問するセリシールを余所にネーヴェルは話を続ける。


「そして現在の時刻は……」


 ネーヴェルは視線を壁にかけてある時計に向けた。それに釣られてヴァンも壁を見る。


「……12時48分14秒。キミはから電話をかけてきたね?」


「は、はい。どうしてわかったんですか?」


「電話越しに聞こえてきた情報とここに来るまでにかかった時間でだね。他にも色々とあるんだけど……まあ、そんなことは置いといて。ここに来たってことは国家アホ安局に長い時間待たされた挙句、相手にされなかったってことかな? おそらくアホ安局の前に探偵事務所にも相談しに行ってたよね? 殺害予告の手紙を発見してからならそれくらい可能だ。というかそういう行動を取るよね」


 探偵が推理するかのように淡々と喋るネーヴェル。

 その姿にヴァンが得た印象は――


「あ、あなたは……探偵か何かですか?」


 その言葉はネーヴェルの推理が全て正しいということを表す。

 ネーヴェルは冷めたブラックコーヒーで喉を潤わせた直後、ヴァンの質問に対して口を開く。


「探偵じゃないよ。ボクは情報屋だ。ありとあらゆる情報から導き出しただけさ。あっ、そうだ。あともう一点確認しておきたいことがあるんだけどいいかな?」


「確認したいこと?」


 ヴァンは鸚鵡おうむ返しで聞き返す。


「キミの今朝の朝食はトーストかな?」


「ど、どうしてそこまで!?」


 開いた口が塞がらないほどに驚愕の色を見せたヴァン。

 それに対してネーヴェルは鈴の音色のように静かに言葉を続ける。


「そのくしゃくしゃの手紙から微かに小麦とバターの香りがしたからね。おそらくキミは朝食の最中にこの殺害予告の手紙を読んだのだろう? 朝食を取りながら新聞や郵便物の確認をするのが習慣なのだろうね」


「…………」


 驚愕で言葉を失うヴァン。つまりネーヴェルの推理は全て当たったということになる。

 しかしこの推理が当たってしまうということは、ネーヴェルにとって不都合であった。


「これで嗅覚による情報で辿るのはほぼ不可能になったか……」


 予告状に付いている小麦とバターの微かな匂いがヴァンのものであるのなら、そこから犯人を特定するのは不可能になったということ。

 精密機械や科学技術を使って解析すればそれは不可能ではなくなる。だからネーヴェルは不可能という言葉の前にと付けていたのである。

 しかしそんな悠長にしていられないのが現状だ。


「ネーヴェルさん! この予告状、手書きですよ! 今時、手書きっておかしくないですか!?」


 喋る機会を伺っていたのだろう。セリシールが勢いよく喋り出した。

 それに対してネーヴェルはセリシールを試すかのように口を開く。


「何がおかしいの?」


「だって! 手書きだと執筆で誰だかバレちゃうじゃないですか! 一人一人文字には特徴がありますし! これで犯人が特定できるんじゃないですか!? 私はこの文字からして男性だと睨んでます! それも年配者!」


 ドヤ顔を決めるセリシール。なぜか眼鏡もピカピカと反射している。

 そんなセリシールの姿にネーヴェルはため息を吐いた。


「シールくん。一人一人文字に特徴があるのは事実だよ。だからと言って同じ執筆の人間を探すってなると簡単じゃないんだよ。精密機械や科学技術を使って解析しても二日以上はかかる大掛かりな作業になるよ。それに執筆者は殺害予告をした人物とは別人だね。こちら側を撹乱させるためにわざと手書きにしたんだ。それに気付かないと無駄に体力と時間を消耗するだけになるだろうからね。犯人の思う壺だよ」


「……ぐぅ」


 ギリギリぐうの音が出たセリシールにネーヴェルは追い討ちをかける。


「あと男性で年配者って言ったけど、それは少し違うね。文字の書き方からしてボクが思うにこの国の文字が読めない外人が書いたんだと思うよ」


「ど、どうしてですか? 文字が読めないのにどうして文字が書けるっていうんですか? 犯人との関係性とかは?」


 不貞腐れているセリシールは思いついただけ質問繰り出した。その数わずか三つ。どうしてですかという具体性がない質問を除けば二つだ。

 そのセリシールの振り絞った質問にネーヴェルは淡々と答え始める。


「まず犯人との関係性はないよ。文字がわからない観光客を犯人は狙ったんだろうね。言葉が読めないからこそ『パンヲコロス』という物騒な殺害予告を書いたんだ。親切にしたり金を渡したりすれば書かせることなんて容易いはずだからね。そのために真似て書きやすい表記をあえて選んだんだよ」


「……ぐ」


 今度はぐうの音の『ぐ』だけがギリギリ出たセリシール。もう反抗する力も残っていなかった。


「さて情報収集しないとだね」


 そう呟きながら立ち上がったネーヴェルは、未だに困惑状態のヴァンに向かって口を開く。


「あっ、そうだ。お金はいくらでも払うんだったよね?」


 十歳ほどの見た目の幼女の顔からは想像ができないほどの不敵な笑みを浮かべながら問いかけた。

 ヴァンはゴクリと一度生唾を飲み込んだ後、「はい」と答えた。

 娘の命が助かるかもしれない情報が手に入るのならお金などいくらでも払うつもりでここに来ているのだ。はい、と答えて当然だ。

 答えるまでに数秒間かかったのは、幼女の表情に驚いただけであって命と金を天秤にかけていたわけではない。

 そもそも命と金を天秤にかける行為自体間違っている。お金をどれだけ積んだとしても命よりも重くなることはないのだから。


「うん。その言葉が聞けてよかったよ。それじゃ今回の取引は『パン・クロワッサンを助けるための情報』をボクたちが提示し、それに応じた正当な対価をキミが支払う。でいいよね?」


 ネーヴェルは小さな手を差し出した。


「はい! よろしくお願いします! 娘を助けてください!」


 ヴァンは差し出された小さな手を両の手で握り返した。

 とても小さな手だ。だが、ヴァンにとっては希望に満ち溢れた大きな手だった。


「情報屋バニー・ラビットに任せてよ。ヴァン・クロワッサン。どんな情報でも手に入れてみせるからさ」


 ネーヴェルは自信満々に答えた。

 そしてネーヴェルの背後では胸の前でガッツポーズを取るセリシールの姿もあった。


「まずはパン・クロワッサンのところまで案内してくれ」


 ネーヴェルたちは有力な情報を得るためパンの元へと向かうのであった。

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