憂鬱な朝

「わかりました」


 ワタシはそうメールを返し、業務連絡を恙無く終える。“支配人”から送られてくる文章はどこを切り取っても人間味はなく、機械を通してやりとりをしているような簡潔さがあった。眼前に起きる様々な事象は尽く、惨事となり、全国的にニュースとして報じられるが、この段階に於いてまるでそのような気配を感じさせない。“支配人”は淡々と、臨むのだ。


 山荘で起きる事柄を予測しようとするのは甚だ難しい。思案に耽り、夜も眠れないような不安を抱えるなど馬鹿げている。例え霧の中を歩こうとも、ワタシはただ“支配人”の背中を追って、首尾よく事件事故に立ち会い、神様の目となり耳となる所存である。


 目覚まし音は不快の極致だ。快然たる眠りにあるワタシの肩を叩き、現界に浮上するまで執拗に迫る。自ら設定したとはいえ、やはりというべきか。起き抜けは常に気怠く、催した欠伸に口が開きっぱなしである。社会人であるならば、致命的な朝への憎しみがある。ただ聞いて欲しい。空が未だ、白み出したばかりの時間なのだ。誰だって眠気を引きずるはずだろう?


「五時……」


 八つ当たり気味に頭を掻きむしり、ワタシはベッドから起き上がる。歩行に怒気が混じるほどの不機嫌さはこの際、階下に住む部屋の居住者には見逃してもらおう。今日は特別、予定が立て込んでいるのだ。新幹線での長距離移動に加えて、山道を歩く盛大なアウトドアは、ワタシの性質から乖離しており、快活に口笛を吹いて一日を迎えるような軽やかさは全くもってない。居間や廊下、洗面所に点々と玉のような嘆息を落とす。外聞に執着し、とことん着飾るような真似はしないが、寝間着で山道を歩くような愚かな風体は避けたい。ワタシは愚鈍な手足をどうにか操って、着替えを済まし、約束の待ち合わせ場所に向けて足を動かす。


 登山の険しさを事前に聞かなかったワタシの落ち度ではあるが、わざわざ靴を買い下ろすほどの気概はなく、履き慣れたスニーカーをいつものように爪先に引っ掛けてしまった以上、ワタシはこの判断を省みる気はさらさらない。“支配人”の指示を受けるだけのカメラマン役として終始し、道程に被る万難は解脱の一環と捉え、甘んじて享受するつもりだ。


「ガチャ」


 玄関の扉を開け放つと外気が雪崩れ込み、ワタシはたじろいだ。テレビの購入を見送り、世間を賑わせる情報の一切を携帯電話に任せてきた。蠱惑的なネットニュースの文字面に拐かされて、天気予報などの先々の事柄についてすっかり疎くなっていた。息が白々と目の前に蠢き、寒風がワタシの身体にまとわりつく。季節は冬に差し掛かり、肩をさする姿も珍しくない町中で、ワタシは冷たい風を肩で切りながら駅へ向かう。平日の明星を迎えたばかりの歩道を歩く人影は尽く、棺桶に片足を突っ込んだ睡眠もままならないご老体であった。ワタシが如何に非人道的な時間に身体を動かしているのかを察することができ、辟易と息が漏れた。

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