第34話 ベッドの上で触れる唇

「んっ、うぅ………」


 目覚めて早々、私は呻いた。

 全身の感覚が蘇り、明らかな違和感についていけなかったからだ。ついでに日差しが眩しかったから。

 熱が刺さってると言えばいいのか、力が抜けて重い体が所々ジンジンする。

 蠢きながら身体を起こして自分を見下ろした。


「うわ………」

 まさか10分も待たずにもう一度呻くことになるとは。

 服を着てないのはもちろんのこと、四肢に胸元、脇腹にまで、身体中にキスマークがいくつも刻まれていた。


 もちろん、記憶はちゃんとある。

 小連翹は一秒たりとも私から離れることなく、何かに押し流されるようにひたすら貪ってきた。


 私が叫んでも、身体が跳ねても、動けなくなっても、ずっと抱き締めて唇を触れさせた。

 良く言えば情熱的、悪く言えば執拗といったところか。前はあんな感じじゃなかった気がする。

 彼女の中で何かが変わったのだろうか。

 とはいえ、その結果が大量のキスマークとは………どう反応すればいいのやら。


「これ、ちゃんと消えるのかな?」

 試しに擦ってみるが、当然無くなるわけもない。

 時間を確かめようと、落ちていた自分のバッグからスマホを取り出す。

 そこに反射して映っている自分の首筋にも、しっかりと痕が残っていた。


「何なのもう………」

 何でまた襲われなきゃならなかったのか。おまけにこんな痕までつけられて。

 普通に怖かったし、痛かった。

 でも不思議なもので、怒りも悲しみも湧いてこない。

 ただまた体を許してしまった事実だけが、羞恥を生み出し頭をぼんやりとさせる。


 時間は午後2時。

 結果論だが、お昼近くにご飯を食べたのは正解だった。いや、そういう問題ではないが。



「って………あれ、小連翹は?」

 私はそこでようやく家主がいないことに気がついた。

 私の隣どころか、廊下にもその姿が見えない。

「おーい、小連翹?万代さーん?」

 一応主人格の名前も呼ぶが声がしない。

 ベッドの下には、彼女が着ていた制服が脱ぎ捨てられたままだ。

 着替えてどこかに行ったのだろうか。


 とりあえずこの格好のままでいるわけにはいかない。風邪引くし、何より普通に恥ずかしい。

 私は自分の服を拾うと、ベッドに腰掛けたまま着替えた。


 恥ずかしい所につけられた痕は隠せたものの、首や手首につけられた痕はしっかり見えてしまっている。遠目で見ても気が付かれるだろう。

 帰ったら糸魚になんて言い訳しようか。


 気怠い身体を無理矢理動かして、ややフラフラしながらベッドから立ち上がる。

 さて、ここからどうしよう。

 襲われたとはいえ、友達の家にお邪魔しといてぐっすり寝てしまった手前、勝手に出て行ってしまっていいものか。

 首を捻って考えていると、玄関の扉が開いた。


「小連翹………」

「あぁ?起きてたのか」


 戻ってきた家主の人格が入れ替わったままなのは、すぐに分かった。

 口調もそうだが、万代さんが絶対しないであろう格好がそれを物語っている。

 前にデパートに行った時に買っていた服装だ。よっぽど気に入ったのかな。

 さすがにアクセサリーまではつけていないが、短い革ジャンとショートパンツという露出度の高い格好は相変わらず目立つ。

 そして何故か手にはビニール袋を持っている。


「その格好で出かけたの?」

「何着て歩こうが俺の自由だ」


 ブーツを脱いで部屋にあがると、持っているビニール袋の中身を私に放った。

「おっと!………って、缶コーヒー?」

「コイツ茶しか持ってねぇんだよ」

 小連翹も自分の缶コーヒーを取り出した。


 万代さんの家には茶葉はあるけど、小連翹は使えなさそうだからな。

 飲み物買うために外に出ていたみたいだ。

 それはそれとして、近所の人が彼女の姿を見たら驚きそうだけどな。大丈夫かね。


 受け取ったコーヒーを一口飲んだ私は、ラベルを見て目を丸くする。

「あっ、これ微糖………」

「こっちの方がいいんだろ」

 小連翹は私の隣に座ると、フルタブを開けた。


 前に苦手って言ってたの、覚えててくれてたんだ。

「ありがと」

「………」

 私の言葉に返すことなく、小連翹はコーヒーを一気に煽った。



 何で私を襲ったのか。まだ気になったままだ。

 でもどうせ聞いたところで小連翹は答えてくれないし、正直今更な気もしてしまう。もう襲われた後だし。


 けど一つ、思ったことがある。

 小連翹が本気で人に手を出す時は、何か心が乱れた時だ。

 その矛先が私に向いたのなら、もしかして………


「ねぇ小連翹。私、万代さんに何か悪いことしちゃったかな?」

「はぁ?」

「その………何となく、そうかなって」


 敢えて本音はボカして話した。

 小連翹も万代さんの一部だから。そう思った私なりの気遣いだ。

 あっさり一蹴されるかと思ったが、小連翹はコーヒーから口を離して天井を見上げた。


「そうだと言ったら、何だってンだ。謝るか?」

「内容次第ではね。今のところ思いつかないし」


 もしかしたら、私の知らないところで万代さんを傷つけちゃったかもしれないし。

 そういうところは徐々に知って、間違ったら修復する。それが人付き合いってものだろう。


「ハッ、よくそんなめんどくせぇことするな」

「めんどくさい、ねぇ………まぁ、それくらいはする関係ってことかな」

「………そうかよ」


 我ながらクサいことを言ってしまい、背中を丸めた。

 けど事実だ。

 たぶん、他のクラスメイトを無意識に傷つけたとしても、ここまでしようとは思わない。

 多少悪いなぁと思って、向こうの反応を見て、それでおしまい。

 でも万代さんなら。

 めんどくさいことを自発的にやろうとするくらいの関係値はある。少なくとも私はそう思ってる。


「で、どうかな?」

「知ったことか」


 結局取り合うつもりはなかったようで、またコーヒーを飲み出した。

 ちょっと恥ずかしいこと言ったのに………

 半ば自業自得なことに若干不貞腐れていると、小連翹がこちらを振り向いた。


「ただ………その言葉、アイツに言ってやればいいんじゃねぇか」

「えっ?」


 意外な言葉が出てきて、私は顔を上げた。

 相変わらず不機嫌そうな表情だが、いつもとは違う。

 どこか遠くを眺めてるように、目力が薄くなったように感じる。


「何で?」

「さぁな」


 自分で言っておいて『さぁな』って何だ。

 会話を打ち切ると、小連翹は飲み終わった缶を握り潰してシンクへと投げた。

 そこそこ距離があるはずなのに、投げられた缶は壁にバウンドしてシンクの中に落ちた。

 行儀は悪いが、大したコントロールだ。


 内心拍手していると、私もコーヒーを飲み終わっていた。

 流石に小連翹と同じことをするわけにもいかないので、缶は持ったまま足を伸ばす。

 どうやら、小連翹から万代さんのことを聞き出すのは無理そうだ。知らないというよりも、話したくないように見えるし。


「まぁいいや。でも、理由はなんであれ襲うのはやめてよ。私、そういうつもりで一緒にいるわけじゃないし」

 仲良くなりたいとは思っているが、それは別に性的な意味でじゃない。

 何より、自分が知らぬ間に私とそんな関係になってたなんて知ったら、万代さんが悲しむに決まってる。


「へぇ………その割には、いい声で鳴いてたが」

 小連翹は嗤うと私に手を伸ばした。指先で唇を撫でられて、キスされた感触が蘇る。

「そ、そういう問題じゃないの」

 全身の毛が逆立ち、顔を背けて手を退けた。

 まったく………暴力の心配は減っても、別の意味で手が出されるんじゃ変わり無しだ。


「だったら、何しに来たんだよ」

「えっ?」

「お前から来たんだろうが」

 そういえばそうだった。襲われてその辺どうでもよくなってたな。


「ちょっと心配だっただけだよ。メッセージの返信無いし、花壇に水あげてなかったから」

「………そうか」

 小連翹の口角が少しだけ上がったような気がした。

 変化が僅かで何を考えているか分からないが、まぁ落ち着いたなら良いとしよう。



「だったら………今日はもういいな」

「はっ?っととと!」

 振り向いた瞬間、小連翹がこっちに倒れてきた。激突に近い形で何とか受け止める。

 後ろがベッドだというのに、何で毎回私の方に倒れてくるんだ。

 なんて気絶してる人に文句言っても仕方ない。

 とはいえ、体調は良くなったようなので一安心だ。

 来た時には悪そうだった顔色が、気がつけば良くなっている。

「気絶した後の方が顔色良いってのもどうなんだか」


 このまま様子を見ていようかとも考えたが、私がいたらそれはそれで混乱させてしまいそうだ。

 今日はもう帰ろう。無事は確認できた。


「万代さん、小連翹、またね」

 誰にも聞こえない声でそっと囁くと、背中を撫でてベッドに寝かせた。

 起こさないように静かに部屋を出て家に帰る。



「ただいま」

「あぁっ、やっと帰ってきた!もう、こんな時間まで何してたの?」

 家に入るなり、リビングにいた糸魚が叫びながら顔を覗かせた。

 コントローラーを持っているし、どうやらゲームをしていたみたいだ。

「色々あったの。別にいいでしょ」

 部屋に行こうとすると、糸魚が目を丸くしたままこちらをジーッと見てくる。

 眉を顰めて、首を傾げて………


「何、どうかした?」

「お姉ちゃん…………買い物は?」

「あっ」


 忘れてた。

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