第14話 存在する理由

「お前、生きてたのか」

「何とか、ね。待ってたよ」

「はぁ?」


 昨日私を殴り、それから一日経った彼女の姿は見るだけでゾッとするものだった。

 白い夏用の制服や細い手は所々返り血がついており、彼女があれから人に暴力を振るっていたの明白だ。

 考えずに殴り過ぎたためか、拳は少し痛めて皮が剥けているように見える。

 いつもは整えられて清潔感のある黒髪は乱れており、彼女の表情を隠してしまう。その奥から覗く凍てついた目が私を睨みつけた。

 その姿はとてもお嬢様とは程遠く、荒れ果てた野良犬みたいだ。


「失せろ。お前に用はない」

「私は用があるの。万代さんにも、あなたにも」


 いつもの万代さんよりも低い声。人格交代したままなのは確かだ。

 万代さんは私を一瞥すると、すぐに背を向ける。


 殴り殺されそうになったのが昨日だ。あの時の殺意が消えたとは思えない。

 駐車場に先生達の車はほとんどない。生徒がいなくなって、夕方になったから帰ったのだろう。

 助けてくれる人はいない。襲われたら、今度こそ殺される。


「ハッ、今さら悪かっただのごめんだの言いに来たのか?」

「それもある、かな」

「馬鹿らしい。ンなモン、何の意味もねぇ」

「分かってるよ。でも、言わないといけないから」


 私はゆっくりと万代さんに近づいた。一歩一歩、たしかに歩み寄る。


「もうやめなよ。こんな事、万代さんは望んでない」

「あぁ?何で俺がアイツの事情なんざ考慮しなきゃならねぇんだよ」

「あなたはずっとそうしてきた。そう思うから」

「………ンなわけあるか」


 一瞬、言葉に躊躇いがあった。

 すぐに冷たくあしらい、目を逸らす。それでも構わず、私は万代さんに近づく。


「万代さん………あなたと代わる時、いつも辛そうな顔してた。たぶん、嫌なことがあったんだと思う」


 前に万代さんの家に行った時は違ったけど、それ以外の時はそうだった。

 襲われそうになったり、嫌なこと言われたり、そんなの辛いに決まってる。

 でも万代さんはこれまで、自分がされてきたことに怒ったり恨んだりしたことは一度もない。

 生まれた悪意を自分から切り離していたから。どんな時でもいい人でいようとした。

 それは表面的に見れば良い事かもしれない。悪意なんて無い潔白、理想とも言える人間像。

 でも良い性格で生きていけるほど、彼女を囲む世界は甘くなかった。


「万代さんが悪意を向けられたと思った時に、あなたは現れる。だから目に映る人全員が、殺したいほど憎い人に見える。そうなんでしょ?」


 目に着くヤツ全員を殺したい。

 昨日言っていた言葉の意味、考えれば当たり前のことだ。

 表に出て来れば、目の前にいるのは悪意を向けた者。そして自分の中には、煮えたぎるほどの怒り。

 だから目に着く人達全員に殺意が湧く。


「あなたは悪意から万代さんを守ってきた。これまでしてきた事、全部万代さんのためだったんだよね?」

「………コイツがくたばりゃ俺もくたばる。だからやってやっただけだ」

「それなら、何で今ここに来たの?」

「………」


 何も言えなくなり、万代さんの目が細くなった。

「花の水やり、しに来たんでしょ?」


 誰もいない学校に来て、そのまま真っ直ぐ花壇に来たんだ。考えられるのはそれくらいしかない。

 万代さんのことを守ってあげてたなら、彼女の代わりに水やりをしてあげる。

 そう思ったから私もここに来たんだ。


「あなたは、万代さんを守るために生まれた。私はそう信じてる」

「黙れ、失せろ………」

 万代さんは怒りを振り払うように出て行こうとする。

 私は咄嗟に彼女の手を握った。

「待ってよ。これ以上、万代さんの人生をめちゃくちゃにしないで」

「黙れ………」

「こんなことしたって何の解決にもならないよ。もう一度話し合おう?」



「黙れっつってんだよ‼︎」



 振り向いた万代さんが拳を握りしめた。真っ直ぐに放たれたそれは、私の顔面に突き刺さる。

「きゃッ!」

 万代さんは地面に倒れ込んだ私の胸ぐらを掴んで睨みつけた。



「何が信じてるだ、何が話し合おうだ、笑わせんな‼︎どいつもこいつも綺麗事ばっか並べて、結局自分のことしか考えてねぇんだよ‼︎俺も好き勝手して何が悪い‼︎」



 殺意の篭った彼女の目からは、涙が流れていた。

 それを隠すように私の胸元に顔を埋める。



「俺はただ存在したいだけなのに………誰からも、『自分』からも邪魔者扱いされて、爪弾きにされて!この気持ちがお前に分かるのか⁉︎あぁッ‼︎」



 彼女の悲痛な叫びが中庭にこだました。

 色んな感情がぐちゃぐちゃに混ざって、全部私にぶつけられる。それは私一人で受け止められるものじゃない。

 それでも………

「やっと、言ってくれた………」

「ッ………」


 私は万代さんを抱きしめていた。もうどこかに行ってしまわないように、強く引き留める。


 私達の鼓動が重なり合い、耳の奥から響いてくる。

 離れていた人が近くにいると思うだけで、心の底から何かが込み上げてきた。


「やっぱりそうだよね。邪魔者扱いなんて、されたくないよね」

「お前………」

「ごめん………いくら予想してても、言ってくれないと自信持てなくてさ」


 人の気持ちなんて分かるわけない。人の痛みが分かち合えるなんてこともない。

 いや、例え分かったとしても、本当に気遣ってやれる人なんてごく僅かしかいない。

 結局みんな自分の好き勝手に生きてるんだ。

 だから人は人を傷つけるし、私だって万代さんを苦しめた。


「でも私、万代さんのことを邪魔だなんて思ってないよ」

「知るかよ。そんなの………」

「上辺だけだと思うなら、それでもいいよ」

 言葉だけで全てを伝えられるほど、私達の関係は深くない。それなら今は、このままでいい。


「けど、もういなくなろうとしないで。傷ついたなら………また、殴りに戻ってきてよ。そこで言いたいこと、全部言い合おう」

「………ふざけんなよ、勝手なことばっか言いやがって」

「勝手だよ。勝手だからこそまた会いたくて、本音が聞きたくて、ここまで来たの」

「くだらねぇ。何の意味がある」

 胸ぐらを掴む手に力が篭る。私はその手をそっと掴んだ。



「だって、一緒にいたいから。万代さんとも、小連翹おとぎりとも」



「小連翹………?」

 聞き慣れない単語に彼女は顔を上げた。

「あなたの名前。名無しのままだと面倒でしょ?」

「俺の、名前………?」


 本当は割と前からあった方がいいかなとは思ってたんだけど、つけるタイミングなくて言いそびれていた。

 ずっと『万代さん』か『裏の万代さん』だったけど、私はともかく万代さんがそれだと呼びにくいだろう。

 本来の読みは小連翹おとぎりそうなんだけど、そこは語呂良く区切った。まぁ当て字ってことで。


「嫌じゃない、かな?」

「………ハッ、どうせ元は名無しだ。何でも構わねぇよ」

 表情を窺おうとするも、鼻で笑った万代さん、いや小連翹は顔を伏せてしまった。

 けど声は笑っていた。それが嘲笑なのか、はたまた別のモノなのか、分かる必要はないだろう。


「ねぇ、後のことは私に任せてくれないかな?万代さんも、話せばきっと分かってくれる」

「どうだかなぁ」

「万代さんは、小連翹が生まれた理由を知ってる。それなら必要性も、心のどこかでは分かってるはずだよ」

 きっと今すぐ分かり合うのは無理かもしれない。それでもいつか、彼女なりの答えを出すはずだ。


「フッ、ハハハハハハッ!ヒャハハハハハハハハハッ‼︎」

 口元を緩めた小連翹は声をあげて笑った。顔を近づけると、額を重ね合わせる。


「そうか………好きにしろ。また、遊ぼうぜ」


 獰猛な笑みを浮かべて、小連翹は目を閉じた。力が抜けて私に身を委ねる。

「小連翹………」

 彼女の名前を呟くと、優しく背中をさすった。




「んっ、んん………あれ、ここは………学校?」

 しばらくして目を開けた彼女の声は、さっきまでとは違う澄んだ清らかな声だ。

「万代さん?」

「終夜、さん?何で………私、こんなところに?」

 万代さんからしたら、夕方に公園にいたはずなのに、気がついたら学校にいたんだ。

 やや混乱しながらも周りを見渡すが、私の傷を見て目を見開く。

「きゃっ⁉︎終夜さん、どうしたんですかその傷………ッ⁉︎」

 慌てて私に手を伸ばそうとするが、自分の手が血塗れていることに気がついた。

「ひぃッ⁉︎な、何これ………!」

 自分の姿を見て万代さんの顔が真っ青になる。

「ま、まさか、私………また、終夜さんを傷つけてしまったんですか?」

「あぁ………まぁ」

 変に誤魔化しても無駄なので素直に答えた。


「そんな………」

 縮こまった万代さんは、泣き崩れて項垂れた。拳を握りしめ、震える声を漏らす。

「ごめんなさい。私の、私のせいで………」

「ううん、今回は私も悪かったから。これくらいは、ね」


 万代さんが離れないように、しっかりと彼女の体に腕を回した。そっと背中をさする。

「ごめんね、追い詰めるようなこと言っちゃって。万代さんの気持ち、ちゃんと考えてなかった」

 心の問題なんだ、正論でどうにかなるものじゃない。そんなこと、考えれば分かったはずなのに。


「でも、言った言葉は嘘じゃないから。そこは、分かって欲しいかな」

「………そう、ですか」

 売り言葉に買い言葉ってわけじゃない。伝え方に問題はあったけど、私の気持ちに変わりはない。


「ねぇ、私の話、聞いてくれる?」

「………はい」

 私の腕の中で、万代さんは頷いた。


「万代さんが、人に暴力を振るうのは悪いと思ってるのは知ってるし、私もそう思うよ」

 前とは違う。一言一言、噛み締めるように丁寧に囁く。

「でもね、暴力にも種類があると思うんだ。純粋に人を傷つけるためじゃなくて、自分を守るためとかさ」

「しかし、私がしてきたことは、許されることではありません………」

「もちろん、理由があったら何してもいいわけじゃないよ。それに嫌って思ってることを無理に納得する必要はないし」

 傷つけたことへの罪悪感からなのか、万代さんは私の服を掴んで額を擦り付けた。


「私が言いたいことは、どんな人でも存在することに意味があるってこと。それがどんな最低なことでもさ、その意味否定されたら辛いじゃん?」

「それは………」



「万代さんに二つの人格が存在する理由は、万代さん自身が一番分かってるはず。その理由に良いも悪いも無いと思うよ。必要だから生まれた、それだけだと思う」



 自分の中に人を傷つけようとする意思がある。

 それは悪いことかもしれない。

 でも生まれた意思に罪を課してしまえば、それは人間としての存在を否定することになると思う。

 そしてその否定される苦しみは、やがて人の心を壊してしまう。

 大きく息を吸い込んだ万代さんは、少しだけ息苦しそうに悶える。



「だったら、私はどうすればいいんですか………?」

「強くなるしかないんじゃない?どんなに悪いものも、振り回されなければ怖くないでしょ」

 我ながら何とも抽象的な答えだ。でも、私が言えることはこれくらいしかない。



「まぁ、小連翹がそう簡単に大人しくなるとは思わないけどさ。

「えっと、小連翹………?」

「あぁ、裏人格の名前だよ。ごめんね、勝手につけちゃって」

「いえ。名前、つけたのですね」

 そういえば、万代さんって裏人格の存在知ってからも名前つけようとしなかったな。何か理由があったのかな?

「うん。呼ぶ時不便かなって思って。勝手で申し訳ないけど」

「………いいえ。きっと小連翹さんも、喜んでいると思いますよ」

「そうかな?」

 小さな声でしんみりと呟かれた言葉は、何故か力強く感じ、私の身へと染み込んでいった。



「さてと、そろそろ帰ろっか」


 陽が傾いて、夕陽が私達へと差し込んでくる。もうそろそろ陽が暮れてしまう。


「そういえば、何故私はここに?というかこんな時間なのに、何故誰も学校にいないんですか?」

「それは………帰りながら話すよ。とりあえず帰ろう?」


 立ち上がると、万代さんに手を貸して立たせる。

 もう生徒は全員帰ったはずなので、この状況を先生に見つかったら何言われるか分からない。

「さぁ、行こうか」

「あっ、ちょっと待ってください」

 さっさと出て行こうとするが、その前に万代さんに引き止められた。


「せっかくですし、花壇の水やりだけしてもいいですか?」

「………うん、いいよ」


 晴れやかな笑顔を見せた彼女に釣られて、私も笑って一緒に物置へと向かった。

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