おまけ 藤宮氷菓と水無月東弥


 9月5日。僕が高校を後にしてすぐの事であった。


「………はあ、なーんか、スッキリしたような、さっぱりしたような、悲しいような、安心したような、変な気分。とにかく、からっぽね」


 藤宮氷菓が屋上で空を見上げていた。朝ヶ谷ゆうに振られた彼女は傷心のまま動けずに、屋上に座り込んでボーッと時間が過ぎるのを待つ人形だった。


 お弁当には手をつけていなかった。手をつけられなかったのかもしれない。ゆうと一緒に食べるつもりで持ってきたお弁当だ。一人で食べるつもりなんてさらさらなかったのかもしれない。


「最初からさ、無理だって分かってたんだよ。なんで水無月の口車に乗っちゃったかなぁ。全部アイツのせいだ。ゆう君と天ヶ崎さんが遠距離になったくらいで疎遠になるかってんだい。ちくしょう」


 朝ヶ谷ゆうとは高校に入ってから知り合った。はじめは堅物だなぁと思って敬遠していたけれど、席が隣という事もあってか話す事も増えて、意外と優しいところや面倒見の良さに次第に安心感を抱いていた。安心感が居心地の良さに変わって、気づいたら恋をしていた。


 化粧を頑張って覚えて、ネイルを教えてもらって、とにかく可愛くなりたかった。朝ヶ谷ゆうに褒めて欲しかった。あの優しい笑顔で褒めてもらえるだけでもっと頑張れる気がした。


「あっはは、酷い顔。これが恋をした後の顔かぁ。いやーーー、大泣きしたなあ」


 スマホのインカメラで見てみると、なんともまあ滑稽な顔をしていた。化粧はグチャグチャ。泣きはらした目は赤く、どこかの原住民族の意匠いしょうのようですらある。朝ヶ谷ゆうもこれを見たはずなのに、自分でも見たくない顔なのに、顔色すら変えなかったのはなぜなのだろう。彼の優しさなのだろうか。それとも……?


 藤宮には分からなかったが、不思議と、悪い顔ではないと思えた。


 と、誰かが屋上のドアを開けるのがカメラ越しに見えた。藤宮は慌ててスマホをしまって顔を隠すと「誰?」と聞いた。


「どこにもいないと思ったら、まだここにいたのか」


 水無月東弥だった。


「もう5限始まってるでしょ。あんたこそなんでここに来たの」


「なんでと言われてもな……。藤宮の事が心配だったから来ただけだ。そうとう泣きはらしたな。だが、良い顔だ」


 水無月はツカツカと歩み寄るとポケットからハンカチを取り出して藤宮に渡した。


「よく、頑張ったな」


「…………嬉しくなんか、ないし」


「強がる必要は無い。泣きたいときは我慢せずに泣け。……と言っても、もう大丈夫そうに見えるが」


「うん、平気」


 とはいうものの、水無月から受け取ったハンカチで顔を拭いていると、また涙が出てきた。


 水無月は静かに頭を撫でた。


「……実はな、朝ヶ谷をたきつけろと言ったのは天ヶ崎蝶なんだ」


「…………なんで?」


「さてな。だが、辛い役割をさせてしまったな。申し訳ない」


「別にいいよ。私もスッキリしたかったから。いつまでもゆう君に片思いしてられないよ」


「……………すまないな」


「いいっていいって」


 楽しかったなぁ。と藤宮は空を見上げた。


 澄み渡っていた。雲一つない快晴の空はあたかも鏡写しの心であるように思えた。


「……理解しかねる」


「何が?」


「君を振った朝ヶ谷の見る目の無さだ。俺にはアイツの感性が理解できない」


「あはは、慰めてくれるの? 嬉しいなぁ」


 ところが水無月は藤宮の頬に手を添えるとクイッと彼女を振り向かせた。


「慰めではない。本気だ」


「……………へ?」


「俺がなんで彼女を作らないか分かるか。すべて君のために空けているんだ」


「え、ちょ、ちょっと待って!? え、なに? 嘘、嘘だよね?」


 突然の告白だった。あまりに脈絡が無くて、突拍子も無ければ現実味も無い告白。


 しかも相手が水無月東弥である。学校一の美少女でさえ彼の前には子猫のようになってしまう。そんな彼が、自分のために席を空けていた……?


「じょ、冗談なら怒るよ! そうやってからかうのもいい加減にして!」


 藤宮は屋上の隅へと走って逃げた。けれど、心はドキドキして顔が火照っている。空っぽだと思った心が再び燃え上がるのを感じていた。


「冗談でこんな事をするわけが無い。俺だって一目惚れくらいする」


「こ、来ないで! 来ないでよ!」


「なぜ」


「いま来られたら、私、私………どうしていいか、分からなくなる」


「センチメンタルな相手に優しくするのは、恋愛の常套じょうとう手段だ」


「だから私に恋を教えろなんて言ったのね!」


「そうだ。君の彼氏になれるなら俺はなんだってするぞ」


 藤宮は完全にパニックを起こしていた。逃げ場の無い隅を選んだせいもあるだろう。フェンスに背中を押し付けて、それでも逃げようと足だけは動かしている。


 水無月の目は鋭かった。獲物をこれと決めて必ず仕留める目をしていた。


「俺に恋を教えたのは君だ。絶対に幸せにさせるからな」


「……なんでときめいてるの私、ときめかないでよ、やだ、やだ」


 来ないでよーーーーーーーーーー! 


                  ☆☆☆


 その後、2人の関係がどのように変わったか。それをここに記すのは差し控えたいと思う。これはあくまで僕と天ヶ崎舞羽のすったもんだの記録である。彼らの事を書いてしまっては主旨が逸れてしまいかねない。


 藤宮氷菓はさらに可愛くなった。とだけ、付け加えておこう。


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