第48話 天ヶ崎舞羽と朝ヶ谷ゆう 2


 ほどなくして舞羽が部屋を訪れた。彼女の部屋は一つ離れた408であるらしい。制服からいつものダボダボスタイルに着替えて、聞けばもうシャワーを終えたらしい。私は清潔なのだ! と、部屋に入るなりベッドに寝転がって早くも自分の部屋のように扱っている。


 僕がシャワーを浴びて出てくると、舞羽はお菓子の袋を開けて食べ始めたところだった。


「今日ってすっごいドラマチックだったね」


「……そうだな。色々ありすぎた」


「あはは、ゆうは特にだろうね」


 舞羽は朗らかに笑っているが、僕はまともに見ることができなかった。浮気を摘発される男の心境とはこういうものなのだろう。心臓がバクバクと音を立て、背中に脂汗をかく。世界の終わりが近づいているような心地だった。


 舞羽が「はい」と言ってポテトチップスの袋を僕の方に差し出した。僕は、食べづらいだろうと思ってそれをパーティ開きにするが手をつけられない。


「ごめん。本当は舞羽が知る前に僕の口から言うべきだったんだ」


「何を?」


 舞羽はお菓子をぱりぱり食べながら聞いた。緊張感が無いように見えてその目は笑っていないように見える。


「お前が引っ越してからの二週間、僕は藤宮と恋をしていた。告白のようなこともされた。付き合ってはいないが、舞羽が気分を悪くするには充分だと思う。何も言い訳ができない。舞羽………ごめんなさい」


 僕はそう言って頭を下げた。あとは、煮るなり焼くなり好きにすればいいと思った。舞羽が嫌いになったと言うのなら僕は受け入れるしかない。僕がやった事はそれだけ重い事なのだ。簡単に許してはもらえないだろう。


「ふぅん………」


「……………………」


 舞羽は何か思案しているようだった。僕の男としての真贋しんがんを見極めているのだろうか。こんな軟派な男と恋をしても良いのか。それを考えているように思われて、僕は心臓が痛くなった。


 だけど、これで諦めるつもりは無かった。ここで引き下がっていてはこの気持ちが薄情だったという事になる。それだけは嫌だ。嫌われたのならもう一度好きになってもらう。過ちを償う真の方法は行動で示すしかない。その覚悟をしたうえで僕はここへ来た。


「でも、ゆうはこっちに来たよね。なんで? 藤宮さんも良い人だと思うけどなぁ」


「いや、僕はお前がいないとダメなんだ。心底お前の事が好きなのだと痛感したんだ」


「それなのに藤宮さんと恋をした」


「………そうだ」


「そっかそっか。………………ねぇ、顔をあげて?」


 舞羽は寄り添うような口調で言った。話の流れが不穏であるだけにそれが嵐の前の静けさであるように思われて怖かった、でも、僕はビクビクしてはならない。ビンタをされるなら、それを受け入れなければならない。


 僕は覚悟を決めて顔をあげた。


 ところが、


「んぐ――――――!?」


 僕を襲ったのは平手では無かった。


 僕は驚いて目を見開く。僕の眼前にあったのは目を閉じた舞羽の顔だった。手は両頬に添えられて、僕の唇は柔らかい物に触れている。


 暖かい。とても暖かくて甘い味がした。


「………んっ」


 何をされているのか分からなかった。怒られるのが一番理解しやすい。許してもらえるなら嬉しい。だけど、まさか、


「ん…………んぅ………ぷはっ あはは、なんだか塩の味がしたね!」


「舞羽………何を? というか、なんで?」


 なんで、キスをした?


 僕は信じられなかった。


 舞羽に怒られるものと思っていた。拒絶されると思っていた。それがまさか口づけが返ってくるなんて、夢にも思わなかった。


 僕が驚きに硬直していると、舞羽は照れくさそうに俯いて、こう言った。


「ゆうが、馬鹿だから。馬鹿で可愛いから」


「ば、馬鹿……?」


 舞羽はなんだか喜んでいるように見えた。あんな話を聞いた後なのに、むしろ嬉しそうにしているのはなぜだ。僕には理解ができない。


「馬鹿だよ。だって、本当に藤宮さんが好きなら東京になんてこないじゃん。学校抜け出したんだよね。いっぱい走ったんだよね。私のために」


「それは、そうだよ。だって、お前に気持ちを伝えるのにラインなんて、僕達は……」


「うん。私もあまりライン使いたくない。だから、まだ藤宮さんに気持ちがあるならむしろこんな事わざわざ言わないでしょう? 私は東京にいるんだから隠しておけばいいじゃない。それを正直に話して、ごめんなさいって、いっぱい、いっぱい私のためにしてくれて………えへへ。ほんとうに可愛い」


「………………………」


「ゆうってこんなにお馬鹿なんだね……馬鹿、ばーか! えへへへ」


 口に手を当てて笑う舞羽がなんだか大人に見えた。


 こんな舞羽の一面は見たことが無かった。小悪魔的なからかいとも違う。大人びた色気を漂わせて、空気までもが甘ったるく感じられるような、妖艶な雰囲気。


「私、本当に嬉しかったよ。藤宮さんがゆうの事好きなのは分かってたから。ちょっと、怖かった。でも、ゆうが嘘を吐いていないの分かるから。こうやって私を選んでくれて、とっても嬉しい。………だから」


 ――――――だから、もう放したくないんだよ?


 そう言って彼女は、また唇を奪った。


                  ☆☆☆


 ほどなくして僕は眠ってしまったらしい。


 許してもらったという実感は無いけど、舞羽の楽しそうな表情に安心したのだろう。1日走り回った疲れが限界に達して、僕は、舞羽と話しているうちに意識を失ってしまった。


「ゆう、ゆう……? あぅ、寝ちゃった」


 舞羽はポリポリと頭を掻いた。


 まだ話し足りないという表情で、僕を置いていっていいのかと考えているようだ。


「どーしよ……。これ、鍵ってどうやって閉まるのかなぁ。私が帰った後で失敗してたらどうしよ……ゆう、危ないよね。うん、ゆうが、危ないから、これは仕方ない事なんです」


 僕は泥のように眠っていたから舞羽が何を決断したのかは知らない。ゴソゴソという衣擦れの音がして、布団が2人分の膨らみを作る。


「それにしてもまさか……ただの勘だったのに当たってるとは思わなかったなぁ。藤宮さんと恋したんだ。ゆう。………うぅ、いまさら悔しくなってきた。私、負けない。絶対負けないもんっ」


 だから、私、どこにも行かないからね。と、そんな呟きが聞こえた気がした。


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