第44話 朝ヶ谷ゆうと東京
言わずと知れた日本の首都『東京』。その推定人口はおよそ1400万人とされている。所狭しと建てられたビル群の合間を縫うよう線路が走り、その移動距離は東京をぐるっと一周するよりも長いのではないだろうか。東京は日本の心臓と言って差し支えない『機能』であった。日本を日本たらしむるための心臓。効率と生産性を求めて繰り返された都市開発の果てに東京は居住地としての豊かさを失い、人々は仕事のために東京を訪れるだけの細胞である。離れたところから電車を使って東京へ訪れて、心臓を動かす動力として働いて、また電車を使って帰っていく。あたかも血管が体内を巡っているように線路が東京中を巡っていた。
そうした血管は駅の構内にすら敷かれているのだった。
「これが、東京か……」
平日の昼間だというのに人でごった返す駅の構内。僕は
個性が無いように思えた。
「いや、こんな事で怖じ気づいていてはいけない。舞羽が待っているんだ」
僕はとにかく自分を奮い立たせると電車の中で調べた道程を思い起こし、目を皿にして立川という文字を探した。この中に立川に向かう人もいるはずである。その流れに乗る事に集中した。
できれば放課後すぐに会ってやりたい。学校から出てきた舞羽を出迎えたい。
16時だ。彼女を驚かせるためには16時までに高校へ着かねばならない。それ以降は舞羽が帰っている可能性だってあるわけだから、16時というのは妥当な判断だと思われる。
僕は何としても行かなければならない。天ヶ崎舞羽の待つ青陽高等学校へ。
それからは取捨選択の連続だった。天井に吊り下がる看板を見て行くべき先を判断する。どの流れに乗るか見極める。そして電車の時刻までに辿り着かねばならないのである。
正直に白状すると、僕は立川へ着くまでの記憶がない。正解のルートを探し出すので精一杯だったからだろうか。どこを通ってどう歩いたのか思い出す事ができないのだ。ただ、舞羽に会いたいと強く念じていた事だけは覚えている。
気がつくと僕はタクシーの中に座っていた。のろのろと流れる景色をボーッと眺めているうちに、ハッと我に返ったのだ。
「そうか、僕はやり切ったのか」
どうにか電車を乗り継いで立川に辿り着くことができたのだろう。僕は無意識のうちにタクシーに乗り込んで高校の名前を伝えていたに違いない。タクシーは迷いなく進んでいるように見えた。ドッと疲れを覚えた。と同時に深い安堵を覚えてシートに体を沈ませる。
あとは待っていれば自動的に学校へ運ばれるであろう。慣れない事の連続でてんてこ舞いだったが僕はやり切ったのだ。これはウィニングランのようなものである。僕は車窓を流れる景色を見て、灰色が徐々に軟化していくのに驚いていた。コンクリートばかりだと思っていた東京にも自然があることが僕には意外だった。
「東京も都心を離れれば緑があるんだなぁ……というか、なんか、進みが遅くないか?」
電車から車の移動に変わったからとか、そんなレベルの差ではなく、明らかに車の進みが遅かった。
車の列がやけに目についた。どうやらタクシーと同じ速度で走っているようである。それらの列の中に僕の乗っているタクシーもあった。
運転手が気だるそうに話しかけてきた。
「近くの公園でイベントがあるとかで渋滞してるんだよ。申し訳ないねぇ。このぶんだと君の言ってた高校に着くのは17時ごろだろうなぁ」
「……え?」
「悪いねぇ。何やら急いでいるようだけど、こればっかりはどうしようもないんだ」
「そ、それは困る! 僕はどうしても青陽高校に行かなければダメなんだ!」
僕は自分でも驚くくらいの大声を出していた。運転手は驚いたように僕を振り返る。けれど、すぐに申し訳なさそうに目を前方に戻した。
時計を見ると時刻は15時48分。
「申し訳ないけれど、学校まではまだまだかかるよ」
―――――――こればっかりはなぁ。
☆☆☆
さて、16時になった。
青陽高校は小高い丘の上に建つともっぱらの不評である。生徒は曲がりくねった長い坂を上るか幾重にも折り重なった急な傾斜の階段を上るしかないのに、教員は車で丘の上の駐車場まで行く。それが生徒の不満をさらにあおった。
天ヶ崎舞羽の両親は学校近くの公園で野外イベントがあることを知っていたので早めに丘の上に着いていた。
天ヶ崎蝶は両親に目を止めると小走りに近づいていった。東京観光が楽しみなのだろう。2人を見つけるととたんに目を輝かせて、少し後方を歩く姉を置き去りにして走り出した。
「お父さーん! お母さん!」
「蝶。舞羽。学校は終わったかい?」
「うん! このまま行くの?」
蝶は父の腕にすがりついて訊ねた。それが、舞羽には信じられなかった。「ゆう……、は?」
朝ヶ谷ゆうがまだ来ていない。舞羽の表情が暗い理由はそれだった。
両親は不思議そうな顔をしたが、蝶はすぐにギクッとした。
「あ、えっと、その………」
「ゆうが来るから、まだ行っちゃダメ」
「お姉ちゃん、それはね…………」
ゆうが来ると嘘を吐いたのである。それを真実にしようと両親に相談することは
しかし、姉が元気になったのはゆうに会えると信じたからである。彼が来ないと知れば姉はまた気を落とすであろう。今日は朝から機嫌が良くて、せっかく普段の調子が戻りかけていたところだったのに。
「……お姉ちゃん。ゆう君は、来ないよ」
「どうして?」舞羽は首をかしげる。
「……ごめん、嘘、ついた」
「嘘? 蝶、うそ、ついたの?」
「…………………ごめんね」
蝶は心苦しい思いがして車の中に逃げ込んだ。姉の顔を見る事ができなかった。
『青陽高等学校』『どうするかはあんたが決めろ』と、ラインを送りはしたが、ゆうはそれに気づかなかったのかもしれない。そもそも彼だって意気消沈しているかもしれないのだ。お別れがあんな酷いものだったのに、構わず誕生日を祝いに来いというのは都合が良いにもほどがあるのではないか?
それに、今日は学校がある。もしラインに気づいたところであの真面目な男が学校をさぼって東京へ来ているとは思えなかった。
「ごめん」と、小さく呟いた。
両親は娘の話を理解しようとはしなかったが、それでも舞羽を気遣う様子は見せて、「大丈夫。これから面白いところにいっぱい連れて行ってあげるから」と、舞羽を車に乗せようとした。
「いやー! ゆうが来るもん。ゆうが来るまで待つもん!」
「舞羽……いいから言う事を聞きなさい!」
「やーーだーーー!」
髪を振り乱して拒絶を示す舞羽に父も母も困り果ててしまった。蝶は自分が余計なことを言ったから台無しになったのだと責めた。どうしてあんな嘘を吐いたのだろうか。口から出まかせを言うにしたってもっと他に言葉があったはずだ。
「とにかく、ホテルの時間だってあるんだ。早く出発しないと遅れてしまうよ」
父が舞羽の腕をグッと掴んだ。大人の力で引っ張られては非力な舞羽には抵抗のしようが無い。
蝶は、せめて彼から連絡が来ていないかとスマホを開いた。すると、
「どうなってんだよこの上り坂! ここまで来てまだ走れっていうのか!」
という怒声と、ライン通知が来るのはほぼ同時だった。
『朝ヶ谷ゆうはそっちに着いたか?』
そして、蝶と舞羽が驚いて叫んだのも同時であった。
「ゆう!」
「ゆう君!?」
10分ほど前に話を戻そう。
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