第36話 朝ヶ谷ゆうと水無月東弥


「君は恋をしていなかった」


 教室に入るなりそう言われた。


 僕の席に座ってふんぞり返っていた男子生徒がいきなり切りだしたのだが、僕には何のことかさっぱり分からない。


「どいてくれるか。水無月みなづき東弥とうや君」


「なぜどかないといけないのかな? 君は恋をしていなかったんだ。君がそのことを自覚するまでどくつもりは無いね」


「頼むから会話をしてくれ。もうホームルームが始まるだろう」


 僕に話しかけたのは藤宮氷菓では無かった。水無月東弥。学年一の美男子で、その性格の良さから男子の友人も多いとされている。彼の瞳こそが惚れ薬なのであった。あの群青の瞳に見つめられた女子はたちまちハートを射抜かれて水無月の虜になる。学校中の女子を虜にするのも時間の問題だともっぱらの噂だった。けれど彼は性格が良いので男連中から恨まれる事はなかった。


 彼と僕は校舎内100m走の1位2位を争った仲であり、彼の優しい笑顔の裏に潜むはた迷惑な遊び心には僕も一目置いているところである。


 一年にしてサッカー部のレギュラーという色恋街道驀進ばくしん中の水無月東弥は他人の色恋にも興味津々のようであった。


「天ヶ崎の事は聞いたよ。東京に引っ越したんだってね」


「そうだね。とても寂しい事だけれど、元気にしているといいな」


「おいおい、君がそんな態度でいいのか? 彼女は今とてもセンチメンタルなはずだぞ。君が声をかけてやらないでどうする」


「仕方ないだろう。ラインに既読がつかないんだから」


「……………………」


 水無月は「ふむ」と呟いて考え込むように下を向いた。興味津々なのは構わないが放っといてほしいと思った。それに、そろそろ教師がやってくる時間だ。


「僕だってラインくらい送ったさ。だけど返事どころか既読すらつかないんだからどうしようも無いだろう? 既読がつかないのに次々送ったって迷惑なだけだ」


 僕は早くどけというジェスチャーをして水無月を立たせる。カバンを机の横にひっかけてホームルーム後の授業の準備を始めた。


「君にとって、天ヶ崎舞羽とはどういう存在だ?」


「だから時間が無いって言ってるだろう。はやく席に戻れよ」


「10文字以内で答えたまえ」


「無理だ」


 僕はにべもなく言った。


 水無月はまた考えるように唸って「なら、それでいい」と言った。そうして、


「だったら、夜空に輝く月よりもそばに咲く可憐な花に目を向けてみるのはどうかな」と言い残して去って行った。


「は?」


「最後のチャンスだ。うまくやれよ。藤宮」


 僕には意味が分からなかったけれど、藤宮は何か感じる所があったらしい。ぼーっとスマホを弄っていた彼女はとたんに顔をあげて「はっ? 私!?」と驚いたような声をあげる。


「そうだ。君が恋を教えてやれ」


 去り際に藤宮氷菓に意味深な目くばせを残して水無月は席に戻った。


「え、いや、無理……。えぇ………?」


「………そんな顔で僕を見るな」


「だってぇ………」


 2人して困惑している間にホームルームが始まった。


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