第3話 天ヶ崎舞羽との出会い
天ヶ崎舞羽は奇想天外なダメ人間であるが、初めからこうだったわけではあるまい。
ダメ人間ダメ人間と言っているが僕らの本業である勉強は大変優秀で、まことに遺憾ながら僕よりも頭が良い。友達といるかボーっとしているか僕の部屋に侵入するか、彼女の行動パターンはだいたいこの三つに限られるのに、いつ勉強しているかも分からないのに、彼女は僕よりも頭が良いのである。
友達も少ない方ではなく、むしろ、多くの友達と和気あいあいとやっている姿を何度も目にしている。そういう時の彼女は僕といる時とは違って声をあげて笑っていたりするのである。
つまり彼女はそこそこの社交性を有しかなりの頭脳を備えているわけだ。なのになぜ、かくのごときダメ人間になってしまったのだろうか?
僕が彼女と初めて言葉を交わしたのは小学生の頃。たしか、6月の雨の日であった。
それまではただ家が隣というだけでまともに話したことも無かったが、僕達はこの日を境によく話すようになったのである。
僕が塾から返っていると、ふと、公園に一人でいる舞羽の姿が目に入った。この日は雨が降っていて僕は小走りに家路を急いでいたが、彼女は傘も持たずにじっとしていた。その後ろ姿があまりにも美しかった。
ベンチにぽつねんと座り込んで、物憂げに俯いている姿が印象的であった。絵にも描けない美しさとはこういう事を言うのだろう。アジサイの青紫とは対照的な桜色の髪の毛が落ち着いた色彩に見事に調和していて、白く煙る霧雨が神秘的な雰囲気を醸し出している。僕は幼いながらにその美しさに見惚れていた事を覚えている。
僕がしばし心を打たれていると、ふいに彼女と目が合った。
それは折しも熱帯性低気圧が梅雨前線を発生させ、全国の学生やサラリーマンが傘を持つべきか持たぬべきか悩んでいた時期である。朝は晴れていても昼から急に降り出したり、夕方だけ降ってきたり、とにかく天気の読めない日が続いていた。
彼女の頬は上気していて瞳はトロンとしていた。
「君……天ヶ崎さんだよね。どうして傘を持ってないの?」
「ううん……持ってきてた。でも……ふえ、ふえ、へくちっ」
「ちょ、ちょっと! 大丈夫!?」
僕が慌てて彼女に傘を差し出すと、彼女は首を振って断った。そして公園の隅に置いてある段ボール箱を指さして「猫がいたから」と言った。
「猫?」
「うん。濡れててかわいそうだったから」
「だからあげちゃったの!? 風邪ひいたらどうするの!」
たしかに彼女が指さしたところには段ボール箱があって傘が添えられていた。ピンク色の子供らしい傘である。それは段ボールを覆うように添えられており、中からみゃあみゃあと鳴き声がした。
おそらく、猫がかわいそうだからどうにかしてあげようとして傘をあげたのだろう。
いまでこそ納得できるけど、当時はとても驚いたものである。僕は小学生ながらに目のやり場に困って、羽織っていた上着を彼女に押し付けたのだったか、その時の彼女はまるでプールに飛び込んだあとのように水浸しで、男子にもあるくせになぜか目が離せない胸の二つのぽっちが浮き出ているくらいにびしょびしょだった。
いったい何時間雨に打たれたらこんなに濡れるのだろうか。僕達の家は近いのだからすぐ帰れば良いのに。そう思いながら僕は彼女の手を引いた。
「私の家、鍵がかかってて入れないの」
彼女はそう言って震えていた。梅の花のように小さな手のひらから、体の底から冷え切った震えが伝わってくる。
「だったら僕の家においで」
僕はそう言って彼女を家にあげるとシャワーを貸してやり、タンスをひっくり返してバスタオルを探し出し、母のドライヤーを貸してあげた。それから電子レンジでホットミルクを作ると、彼女に飲ませた。
それから、雨に打たれて疲れたらしい舞羽を僕の部屋まで運んで寝かしつけ、やがて帰ってきた母に事情を説明して、彼女の迎えが来るのを待った。
僕らのファーストコンタクトはだいたいこういう感じであった。
……しかし、こんな事があったのだから仲良くなるのは分かるけれど、なぜ彼女は僕の部屋に侵入するのだろうか?
猫が家に居つくように、舞羽も僕の部屋に居ついてしまったのだろうか?
「君はもしかすると猫なのか?」
「………? にゃご」
「小首をかしげても可愛くないぞ」
今日も舞羽は僕の隣で寝ていた。
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