ホテルで経験した話

@kimif

ホテルで経験した話

 会社の福利厚生で、保養所として提携している宿泊施設を格安で利用できる…この制度を利用して、友人たちとK県にある観光地へ旅行へ行くことにした。利用できるホテルの部屋が3人部屋だったので、昔から仲のいいAとBを誘った。

 観光スポットを巡り、美味しい物を食べ、夕方前にはホテルに到着した。部屋は、超スイートとは言わないまでも、私たちが自分で泊まろうと思ったらまず選ばないという程度には立派で豪華だった。入口から入ると、右手に風呂やトイレのある廊下が伸びていて、その先は広いリビングになっている。リビングには大きなテーブルの周りに、やはり大きなソファーがある以外にもダイニングチェアと小さなテーブルもあってかなり広い。そこから、やはり広いベランダに出る事ができて、山の景色を楽しむ事ができた。リビングの右手にはベッドのある寝室があり、左手は和室だった。3人で「すごいね、すごいね」と言いながら部屋を回ってベランダに出て、とやったりしていた。

 一つネックだったのは、寝室のベッドが、大きいとはいえシングルが2台しか無かった事だ。これは私たちがケチって2人部屋をとった訳ではなく、3人以上の場合は和室に布団を敷いて寝てくれと言う部屋だったのだ。幸いというか当然というか、布団は3人分あったので、寝るときはこっちで寝ようかと話していた。

 その後、夕食を食べに行ったり、温泉に入ったりとまた楽しく過ごした後、お酒を買い込んで部屋で3人でダラダラと飲んでいた。そのうち疲れも相まって酷く眠くなってきてしまい、布団を敷くのが億劫になってしまった。

「面倒くさいから、私はリビングのソファーで寝るから二人はベッドで寝てよ」

そう言ったのはAだった。面倒くさいのは同意だが押し付けるのも悪い、という事で3人でじゃんけんをして、Bがソファーで寝ることになった。和室の押し入れからBが使う掛け布団だけ拝借し、使わないのだからと和室の引き戸を閉めきって、3人で就寝した。


  翌朝、部屋に朝日が差し込む頃に起床した。就寝やリビングの窓から明るい日差しが差し込んでいた。ソファーの方を見るとBは既に起きていたのだが、なにやら疲れた顔をして、物言いたげにこちらを見ている。

「どうした?」

と声をかけると、和室の方を指差し、次のような話をした。


 夜中、目が覚めると和室の方から何やら音がする。スッ…スッ…スッ…と、畳の上を誰かが歩くような音だ。そういえば何かいるような気配もする。当然、引き戸は閉まったままなので中は伺えない。ベッドの方を見ると二人とも寝ている。入口のドアも鍵がかかっているし、和室に窓はあったがここは5階なので誰かが入り込んだというのはたぶん無いだろう。でも和室の方から足音のような音が聞こえて気配もする。

 気味が悪くて、でも引き戸を開けて確認するのも怖かったので気にせず寝ようとしたのだが眠れない。けっきょくその音は部屋が薄暗くなる頃まで続いて、日が差し込み室内がだいぶ明るくなった頃にようやく止んだ。気のせいだと思うが、怖くてまだ引き戸を開けて確認できていない。


 その説明を聞き終わる頃にはAも起きて、なんだなんだと一緒に話を聞いていた。確かに誰か入り込んだとは考えづらいが気味の悪い話ではある。3人で引き戸を開け確認しようとなった。二枚の引き戸で閉まっていたので、私とBが引き戸を持ち、Aがその正面に立った。

 合図をして二人で勢いよく引き戸を開ける。リビングと同じく朝日に照らされた和室が見えた。誰もいる気配はない。念のために押し入れの中や窓を開けて確認するなどしたがとくに異常はない。なんだ気のせいだったんだ、と3人で笑いあった。


 その日も3人で遊んで過ごしたが、二泊の予定なのでまたあの部屋には戻った。もう一晩過ごすのだが、気のせいとはわかったがBはやっぱり気味が悪いというし、Aも私も嫌な感じはした。そこで、和室の引き戸は全開にし、和室の電気も付けっぱなしにして、また廊下、リビングと寝室の電気と部屋中の電気も付けっぱなしにし、布団を寝室に持ち込んで3人で寝室で寝ようという話になった。

 先に準備を済ませて、またリビングで3人でお酒を飲み始めた。昨晩、Bが起きて音を聞いたという2時を過ぎてもダラダラと飲んでいて、何も起きない、やっぱり気のせいじゃんと話すなどしていた。


 ふと気がつくと、私はリビングのベッドで寝ていた。どうやら酔いつぶれてそのまま眠ってしまったらしい。首だけ持ち上げて周りを見ると、AとBも同様にソファーの上で寝ていた。そこで気づいたのだが、部屋が妙に薄暗い。正確には薄明るいのだ。飲み始める前につけたはずの和室、リビング、寝室、廊下の電気は全て消えてしまっており、窓から差し込む早朝の薄明るさだけが光源となっていた。誰かが消したのか?そう疑問を抱くと同時に、スッ…スッ…スッ…と音がしている事にも気づいた。

 ああ、これがBが言っていた音か、と思い和室の方を見た。和室の戸は全開なので中は見えるのだが、何かがいる様子はない。というよりも、このスッ…スッ…という音は自分の背後、和室とは反対側の寝室の方から聞こえてきている、しかも近づいてきているような…と気づいたとき、視界の隅に影が現れた。

 ギョッとしてそのまま固まってしまった。その影はゆっくり前進し、視界に完全に入り込んだ。

 後ろ姿だが、それは女性のように見えた。普通のズボンをはき、普通の半袖シャツを着ている。しかし腰あたりまで伸びる髪はボサボサで、裸足だし、半袖から伸びる腕は傷だらけなのか泥だらけなのか酷く汚れていた。そして両手の平で、泣いているかのように顔を覆っていた。

 それがスッ…スッ…と、足を滑らせるようにゆっくりと歩いていた。それは壁沿いを移動し、廊下に差し掛かると、そのまま壁沿いに廊下の方へと進んでいった。姿が見えなくなっても私は動けず、息を殺して廊下の方を見つめていた。

 あれが昨晩、和室にいたものだろう。人なのだろうか、お化けなのだろうか、そう思っていると、廊下から再びそれがリビングに入ってきた。再びギョッとしてしまった。今度は正面から見られた、気付かれただろうか、と思ったが、顔を覆う手の平は固く閉じられており、また歩みも止めない為、少なくとも気付かれてはいないのではと思えた。

 それはリビングに入ると、やはり壁沿いに移動して和室へ入っていった。和室でも、同じように壁沿いにゆっくり歩いている。あれは壁沿いに部屋をぐるぐる回っているのでは、と思った。恐らく和室に現れて、しかし昨晩は和室の戸が閉まっていたので、和室の中をずっとぐるぐる回っていたのだ。

 Bは朝方までずっと足音が聞こえていたと言っていた。先程飲んでいた時には、現れる気配はなかった。今は何故か室内の電気が消えている。つまりあれは明るいと現れないのだろうか?外の日が上がって、どの程度明るくなればあれはいなくなるのか、それまであれに気付かれないように過ごさねばならないのだろうか…。

 そんな事を考えていると、ふと視線を感じそちらを向いた。見ると向こうのソファーでAも目覚めており、私に目配せをしている。

 Aの意図はすぐにわかった。「今のうちに引き戸を閉めて、あれを和室に閉じ込めよう」と言うのだ。確かにあれは昨晩は戸が閉まっていただけでリビングに出てくる事はなかった。あれが和室にいる状態で戸を閉めれば、閉じ込める事ができるかもしれない。でもそんな都合よくいくだろうか?私がそう逡巡している間に、Aは音を立てないように起き上がって和室の方に向かってしまった。深く考えて恐怖を覚える間もなく、私も衝動的な感じで、遅れてそっと動き出した。

 あれは和室の、リビングから見てちょうど最奥の位置を移動していた。Aと私で引き戸を一枚ずつ持ち、音を立てないようそっと閉めた。Aはすぐさま部屋にあったダイニングチェアを持ってきて引き戸にかませた。私もそれにならってダイニングチェアを持ってきて、同じように私が閉めた側の戸にかませた。一時的には開かないだろうが、しかし棒等ではなく椅子を無理矢理引き戸にかませているので座りが悪いため、普通の人が何度も引き戸を開けようとすれば簡単に椅子が外れてしまうだろう。心許なく思っているとAが小声で話しかけてきた。武器のつもりなのか、手には酒瓶を握っていた。

「今のうちにBを起こして、荷物をまとめておこう。ダメそうだったら、すぐに逃げよう」

私はそっとBに近づいて揺れ起こそうとした。Aは和室の方を気にしながら、荷物をまとめはじめた。Bがようやく目を開けた時、和室の方からゴンッ!という音がした。

 音は和室の引き戸からしている。数秒あけてまたゴンッという、戸を叩くような音がした。Aも私も引き戸を見つめて固まっている。

 移動してきたあれが引き戸に激突したんだ、と最初は思った。しかし何度も繰り返す音を聞いているうちに、あれが手で顔を覆ったまま、引き戸に頭突きをしている姿が浮かんできた。引き戸を開けようとガタガタと揺さぶるとか、そういった事をする気配はないので椅子がすぐに外れるような事はなさそうだが、ゴンッゴンッと叩く音は止むことはなく、心なしか音の感覚も狭まっているように感じた。少なくともあれは移動する事をやめて、引き戸の前にずっといる。

「ダメそうだから逃げよう」

Aはそういって持てるだけの荷物を抱えた。私も残りの荷物を抱え、起きたばかりで朦朧としているBの手をとって廊下に向かった。ゴンッゴンッと引き戸を叩く音はずっと続いている。私たちは部屋を出ると走ってエレベーターに向かい、階下のロビーへ向かった。


 まだ早朝であったが構わずフロントのスタッフを呼んだ。部屋に変な女がいる、和室に閉じ込めた、そういった旨を説明すると、フロントの方は「少々お待ちください」と言い残して引っ込み、しばらくして立場の高いようなスタッフが現れた。

 スタッフは平謝りの形で「ご迷惑をおかけした。後はこちらで対処する」という旨の事を伝えてきた。代わりの部屋を用意すると言われたが、もう外もだいぶ明るくなっていた為、そのままチェックアウトした。あれは何なのか、と訪ねたが、

「確認してみないとわかりません。不審者でしょう、必要なら警察に通報します」

という返答だった。

 その後ロビーで荷物の確認だけして、ホテルを後にした。警察を呼んだ様子はなかった。後日、ホテル側から宿泊費の返金があったが、とくに具体的な説明はなかった。一度そのホテルについて調べた事があるが、とくに曰わくがあるような場所でもなかった。

 K県のある観光地のホテルで、10年ほど前に経験した話だ。

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