更なる衝撃!!三納物語生きてた!!そして復活!!
他にランキングしなければならないことがたくさん溜まっている(というか溜まりすぎている)ため、今回は別のことを書きたいと思っていたのだが、タイトルの通り緊急で書かなければならないことが出来てしまった。
なんと、ユーチューブを引退してそのまま失踪(?)したと思われていた『三納物語』が、ユーチューブに突如として現れ、その生存報告と今後の復活を発表したのである。
筆者は前回の三納に関してのランキングを、本当に最後のつもりで書いた。
書いたのだが、復活したとあれば、前回の引退報告を最後のまま放置しておく訳にもいかない。
もう三納に関して書くのはこれが最後だと思っていたのだが、読者の皆様に、最後が引退したと思わせたまま、ランキングを終わらせる訳にはいかなくなってしまったのだ。
という訳で、三納物語復活しました。(??)
まずは三納が生きていたこと自体に感動して、ツイッターで思わず生きてて良かった、おかえり(ユーチューブに)と呟いてしまったが、本当に生きてて良かったし、今後三納が動画を上げようが上げまいが、とりあえず『生きてた』、それ以上に良かったことはない。
その復活動画のコメント欄で、『生きることは正しいのか?』のような自問自答コメントを見たが、『生きる』ことに正しいも正しくないもないと筆者は思う。
『正しい』か『正しくないか』ではなく、そこには『生きてたら動画が作れる』『生きてなければ動画は作れない』、『生きてたら良い仕事が出来た時に充実感を感じられる』『生きてなければ仕事も出来ないし充実感を感じられない』、『生きてたらみんなを楽しませられる』『生きてなければみんなを楽しませられない』、『生きてたら自分を楽しませられる』『生きてなければ自分を楽しませられない』といった、純然たる事実があるだけだ。
三納にとってユーチューブは『生きがい』そのもので、自分がいなくなったら哀しむ人がたくさんいることを、今回の騒動で三納は改めて強く感じたのかもしれない。
そうして、『いなくなることを哀しまれる』というのは、これまでの三納の言動や人間性を見てきて、周りに三納のことを心から心配して、間違っている時は間違っていると言う、誤った判断を下しそうな時は本気で止めてくれる、『良い仲間』がたくさんいるということなのだ。(こういうところが、へずまやマホトなどの利害関係だけの取り巻き連中とは決定的に違うところだと言えるだろう)
こういった『良い仲間』だけは絶対に裏切ってはいけない。
それが自分の一生を決める、『人生の財産』だからだ。
最後に。
三納が生きてて本当に良かった。
良い仲間がいて本当に良かったなぁ……。それは三納、君がこれまでの人生を必死に頑張って生きてきたから、良いやつもついてきてくれたんだぞ。(泣)
これからの『三納の物語』が、哀しい涙ではなく、人々の笑顔で包まれますように。
『三納の物語』は、まだまだ始まったばかりだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます