第26話 田中、不意打ちをくらう

「あー。腹いっぱいだ」


 楽しい食事会を終えた俺は、一人で夜道を帰っていた。

 あんなに肉を食べたのはいつぶりだろうか。星乃も楽しそうにしてたし、いい食事会だった。


「ひとつ寂しいとすれば、あんまり酔えなかったことだな。まあこればっかりは仕方ないんだけど……」


 覚醒者は毒などへの耐性が強くなる。

 その耐性は悲しいことに『アルコール』にも作用してしまう。


 早い話が『酔えなく』なってしまうのだ。ダンジョンで変なものを食べまくっていた俺の耐性は他の探索者よりもおそらく高い。多分普通の人間が飲める酒じゃほろ酔いにもならない。


 ダンジョンの中で取れる魔法の酒『神水酒ソーマ』に含まれる特殊なアルコールは、普通のアルコールの100%以上の効能があるから酔えるんだけど、あれもあんまり見つからないからなあ。


「まあしょうはないか……ん?」


 家の側に着いた俺は、家の近くに誰か立っていることに気がつく。

 普通の人なら気にとめないけど、その人は体から物凄い闘気が立っていて気になった。これから決闘でも控えているような、そんな闘気がビシビシと俺に突き刺さる。


 俺はなるべく関わらないようにそっと横を通り抜けようとする。だけど、その人物は俺のことを見ると声をかけてくる。


「待ちなさい。どこへ行くの?」

「へ?」


 聞き慣れた声に顔を向けると、なんとそこには俺の幼馴染み、天月奏がいた。

 なんでこいつがここにいるんだ?


「やっと帰ってきたわね。待ちくたびれたわ」

「それはごめん……って、なんで天月がここにいるんだ? 俺住んでるとこ教えたか?」

「討伐1課の情報力を舐めないことね。一般人の住所なんて筒抜けよ」

「さいですか……」


 国家権力の乱用だ。ひどい。


「とにかく話があって来たの。すぐ終わるからそこの公園まで来てくれるかしら?」

「立ち話ってのもなんだし、家に来ないか? 茶くらいなら出すぞ?」


 そう提案するけど、天月は首を横に振る。


「そんなに暇じゃないの。すぐに済ませて帰るわ」

「そっか。そりゃ残念だ」


 ここ七年くらいはまともに天月と話してこなかった。

 その溝を埋められるかなと思ったんだけど、どうやら無理そうだ。


 まあギルドを辞めた今、会おうと思えば会えるか。

 昔みたいに仲良く……ってのは無理だろうけど、普通に話せるくらいにはなりたいもんだ。


「……ここでいいかしら」


 公園に来た天月は、鉄棒の側に立ちながらそう言う。

 時折点滅する街灯と月明かりが天月の顔をうっすらと照らす。昔から整った顔をしていた天月だけど、大人になったことでその綺麗さには更に磨きがかかっている。


 もし知り合いじゃなかったらとても緊張して話せなかっただろう。それほどまでに天月は綺麗な女性になっていた。


「まず一つ。この前も言ったけど、堂島大臣が貴方に会いたがっているわ。明日の十三時頃、魔対省に来て頂戴。迎えの者を用意しておくわ」

「明日って……また急だな」

「あら、何か用事でもあるの?」

「いや、それはないけど……」


 フリーランスになった俺に予定というものはない。

 やることが一切ないというのもそれはそれで寂しいもんだな。


 一つ目の連絡事項を話した天月は、次の話題に切り替える。


「それと……黒犬ブラックドッグギルドの元社長、須田明博の初公判が来週行われることになったわ」

「……そうか」


 どうやら足立が言っていた通りの日程になったみたいだ。

 もう証拠は集まり切っているみたいだな。


「今日はその裁判で証言をしてくれっていいに来たのか?」

「いいえ。裁判で証言する人はもう十分集まっている。あのギルドで事務をやっていた人が洗いざらい話してくれるようになったの」

「ああ……なるほど」


 須田は社員のほぼ全員から嫌われていた。

 捕まった今、あいつの味方をしてくれる社員はいないだろう。


「それでも重要参考人である貴方を裁判に呼ぶべきだという声もあったけど……ここ数日で貴方は有名になりすぎた。来れば必ず騒ぎになる。だから貴方の証言、それと動画データだけ使わせてもらうわ」

「そっか。俺もあいつの顔は見たくないし助かるよ」


 こんなこと言ったら甘いのかもしれないけど、まだ俺は須田に『情』が残っている。奴にされたことを許しているわけじゃないけど、裁判を受けているところなんて見たくない。


 だからこれでいいんだ。もう会うこともないだろう。


「未払いの残業代、不当に下げられていた給料の不足金も渡せるよう処理しているわ。何に使っていたのか知らないけど、ギルドにお金はあまり残っていなかったから全部は無理だと思うけど……」


 天月は申し訳なさそうに言う。

 ツンツンした態度を取ってはいるけど、やっぱり中身は昔の優しいままみたいだ。


「俺は貰わなくて大丈夫だ。そのお金は他の社員に回してほしい。みんなギルドを辞めて大変だろうからな」

「え……?」


 天月は驚いたような表情を浮かべる。

 色々手続きをしてくれていただろうから悪いけど、俺はその金を受け取るつもりはなかった。


「俺は運良く稼げるようになったからいい。でも他の社員はそうは行かないだろ? まだ就職できてない奴、家族がいる奴もいる。まずは彼らにお金を渡してほしい。それが全部済んでまだお金が余っていたら、俺も貰うよ」


 そう伝えると、天月は驚いた表情から優しい表情に変わり、薄く笑みを浮かべる。


「……変わらないのね」

「え?」


 なんのことか分からず、俺は首を傾げる。


「昔から貴方はそうだった。いつも自分のことは後回しで他人のことばかり心配していた」


 そう言いながら天月は俺のすぐそばまで歩いてきた。

 呼吸が顔に当たりそうなほど近い距離。とてもドキドキして心臓に悪い。


「私が小さい頃は、いじめっ子から守ってくれて。私が探索者になってからはモンスターから守ってくれた」

「はは、そうだったけな……?」


 なんか恥ずかしくなって笑いながらごまかす。

 確かにそんなこともあった。天月は小さい頃は俺によく懐いてくれてた。俺も天月を妹のように思っていて、お節介を焼いていた。


「でもそんなところを付け込まれ、貴方は須田にいいように使われていた。私はそんな貴方に逃げ道を作るために政府でいい役職ポストについた。いつか貴方を討伐1課に迎え入れるために」

「え゛、そうだったのか?」


 まさかの言葉に俺は驚く。

 そういえば最初は不思議だったんだ。天月はあまり政府で働くような人には思えなかったから。


 まさか俺のためにだったなんて……驚きだ。


「それなのに貴方は配信者なんかになって! しかも危険を顧みず女の子を助けたことであんなに有名になってしまうんだもの! 計画が台無しよ!」

「う、それは……すまん」


 天月の気迫に圧され、俺は思わず謝る。

 意図していなかったとはいえ、俺は天月の思いを踏みにじったことになる。流石に嫌われてしまったかもしれない。

 そう思ったけど……天月の口から出た言葉は、俺の想定とは遥かに違うものだった。


「貴方のその無鉄砲でお人好しなところが、私は昔から大嫌いで……大好きだった」

「……え?」


 聞き間違いか?

 そう思った次の瞬間、天月は鋭い目で俺のことをキッと睨みつけると、俺のネクタイを右手で強く掴んで引き寄せる。


 そして……なんと天月は俺の唇に、自分のそれを、重ねた。


「ん……」


 自分の唇に当たるやわらかい感触と、天月の口から微かに漏れる甘い声に脳が痺れ、激しく混乱する。

 深層のモンスターハウスに閉じ込められた時だってもっと落ち着いていた自信がある。


 永遠にも感じる長い長い時間の後、天月はネクタイを掴む手を緩め、ゆっくりと唇を離す。

 表情こそいつもと変わらないけど、その白く透き通った色をしていた頬は、真っ赤に染まっていた。


「いくら鈍感な貴方でも、ここまですれば少しは効くでしょう? それじゃあ私はまだ業務しごとがあるので……失礼するわ」


 そう言って天月は身を翻すと、公園から去っていく。

 しばらく放心していた俺だけど、それを見て彼女のことを追おうとする。すると天月はその場で止まり、顔半分だけ振り返る。


「一応言っておくけど……あれ、初めてだったから」


 そう言うや天月は物凄い跳躍力でその場から飛び去ってしまう。

 一人公園に残された俺は、いまだ感触の残る口元を触りながら彼女が消えていった夜空を仰ぐのだった。


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