りんどう姫は、めんどくさい!

壱単位

第1話 りんどう姫は、最強である。


 ぱん。


 えっ。


 全員、振り返った。

 かなり、おおきい音が響いた。


 掃除の時間だったから、掃除テーマとよばれる校内放送がかかっている。でもその音はそんなに大きくなく、教室のなかに残っている子もおおくはない。真備冬夜まきび とうやが無意識にかぞえたところ、せいぜい十人。女子がおおい。


 その十人のなかには、いま、りんどう姫にびんたを喰らった川森芽衣かわもり めいも含まれている。


 中学一年生としては、いささかどうなのだろうと思われる、あかるい髪色。朱色の胸元リボンに、おなじ朱色ベースの、タータン膝上プリーツ。制服なのだが、芽衣が身につけているそれは、事務所が用意しました、といわんばかりの虹彩をはなっている。


 頬をおさえてぼうぜんとしている芽衣の正面にたつ、りんどう姫、梧桐院竜胆ごどういん りんどうもまた、同じ服装だ。制服だから当然である。が、芽衣が星だとすれば、梧桐院さんは月だな、と、冬夜はかんがえている。


 もっとも、月は月でも、スーパームーンだ。数百日にいちどしかみることができない、宵闇を圧倒し、ほしぼしを喰らい、もしそのまま朝をむかえたのなら太陽でさえ恥じるだろうという、光輝。


 光輝をまとって、梧桐院竜胆、りんどう姫は、芽衣の頬をうった手をおろした。

 芽衣は、しばらくだまって、みるみる顔を赤くし、さけんだ。


 「……いったあい! なにすんの、このくそおんな!」


 竜胆は、足元に転がるバケツに手を伸ばし、ひろった。なかを満たしていた水は彼女の膝からしたを濡らし、水たまりを作っている。

 ついさっき、芽衣が満タンのバケツをかかえて竜胆のほうへ歩いてきた時には、教室にのこる全員が息を飲んだものだった。


 くる。


 彼らの悪い予感は的中し、芽衣は、竜胆にわざと突き当たり、盛大に水をかけ、ああごめんなさいねえ、と、手の甲をくちにあてたのだ。あまりに漫画風の展開に、冬夜をふくむ全員が凍りついた。


 「……報復の方法があさましい。やるなら、正面から来なさい。もっともわたしには報復される覚えがないけど」


 竜胆が芽衣の目を冷たくみながらいうと、芽衣はぐっと空気を飲むような顔をして、叫んだ。


 「ヒロヤくんに! 色目つかって! あんたなんて……!」

 「……色目? 手紙のことなら、うけとって、返したけど。お付き合いはできないって」

 「……その、澄ましたつらが、むかつくっていってんの!」


 今度は芽衣のてのひらが飛ぶ。竜胆の頬をとらえる。わずかに顔をそらし、衝撃を和らげたが、竜胆の頬はあかくなった。

 はあ、はあ、と息をつき、芽衣はしゃがみ込んで、泣き出した。


 「あああああっ、あああ……」


 竜胆はひとつ、おおきな息を吐き、冬夜のほうを向いた。ウルフカットの裾がふわりと揺れる。少しあがった目尻。色の薄い、しかし強い光をはなつ瞳が冬夜を見据えている。電流に打たれたように、冬夜は固まった。


 「冬夜さん。いきましょう、今日は放課後にお勉強、教えていただけるんでしょう?」


 ふたたび芽衣を冷たい目線で見下ろして、冬夜にことばを投げ、自分の机にもどってバッグを手に取って、さっさと教室を出て行ってしまった。

 冬夜は、あわてて自分のバッグをとり、後を追う。

 その姿を見送って、芽衣の啜り泣きが響く教室で、女子たちはひそひそと声をかわした。


 「……りんどう姫、きょうも怖かったね……」

 「……冬夜くんもかわいそう。いくら許嫁いいなづけっていっても、さあ」

 「小学校のときから、ずっとあんなかんじらしいよ……しもべ、だよね」

 「うん、女王さまに踏んづけられる、しもべ」


 その声は、いま、廊下を早足で歩く竜胆と、冬夜の背中には届いていない。


 「まってよ……まってよ、りんちゃん」


 りんちゃん、といわれ、竜胆は急に立ち止まり、振り返った。


 「あっ。ご、ごめん、いやいや、ちょっと待って……」


 竜胆は、走り出した。冬夜はうう、とうめいてから、後を追った。シューズロッカーから乱暴に靴をとり、ひっかけて、竜胆は走る。冬夜は靴をとる余裕がない。上靴のままで、校庭に駆け出した。


 そよそよと緑の葉がゆれる、校庭の隅の柿の木のしたで、竜胆が待っている。背中を冬夜にむけて、たっている。

 冬夜はおそるおそる、その背に近づき、手をのばした。

 と、振り返る、竜胆。


 大粒の涙。

 くしゃっと、こどものように歪められた表情。


 「あうあ。うううあああああ」


 冬夜は竜胆の肩に手をおこうとして、いったんひっこめ、背中をぽんぽんと叩いた。竜胆は、さらに大きな声で、泣いた。


 「あああ。こわかったよお。めいちゃん、こわいよお。なんであんなこと言うの。りん、そんなのしらないもん。バスケ部のひとなんて、興味ないもん。りん、とうやしかいらないもん……」


 ひといきに言い、竜胆は、冬夜の胸にかおを押し付けた。


 学園の女帝とよばれ、成績はトップテンに必ずはいり、飛び込み競技では五輪出場を見込まれ、芸能界の誘いもあったという、無敵のアイドル、りんどう姫。

 冬夜の、うまれたときからの、許嫁いいなづけ


 「……はあ……」


 冬夜のまえでしか、姫になれない。がんばったあとは、冬夜にぎゅっとしてもらわなければ、動作不能におちいる。

 冬夜は、ため息をついた。


 りんどう姫をだきしめながら漏らすため息の回数を、冬夜は、ここ数年数えている。

 たしかその数は今日で、八千三百二十七回目だ。


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