第31話
そんな風に、妻の幻影を除けば、私の日常は穏やかに過ぎていった。仕事が頭を離れなかった米国時代と比べて、宮仕えの身ではなかったから、クゼの依頼である数列の分析もほどほどの熱意で取り組んでいた。
既に金は貰っている。しかも、返金は求めない、とのことだ。
この条件では、やる気が萎えても不思議ではない。
こう書くと、私が仕事を放り出していたように聞こえるかもしれない。しかし、私になりに努力はしていた。
もっとも、延々と机の前で頭を悩ますだけで、徒労に終わったのだが。というのも、糸口がつかめない以上、モデルも作れないし、終局的な誤差も見つからない。だから、ある意味、働きようがない。分析の糸口すら見つかりそうもなかった。
悩む私の元に、一通の手紙が届いた。
灰流からだった。米国から帰国する時には、彼女に日本での住所を伝えていたが、実際に手紙が来たのは、初めてだった。
その手紙には、近く所用があって日本に帰国する旨、その際に都合が付けば宴席を設けたい旨が記載されていた。
『ご体調に問題が無ければ、奥方も一緒に』
手紙の最後はそう結ばれていた。そう、灰流には、妻の死を知らせていなかった。
米国にいるから、直接会って伝える訳にもいかないし、手紙でわざわざ伝える内容でもないだろう。だから、彼女はまだ、妻が死んだこと、それが自殺によるものであることを知らなかったのだ。
私は返事を書いた。もちろん、お誘いは有難く受けることにした。彼女には、この機会に、妻の一件を伝えておかねばならない。それに、友人として彼女の近況を訊きたいとの思いもあった。
会食場所は、灰流が指定してきた。灰流は超一流の研究者で、米国で高給を得ている。内心、どんな高級店を選ぶのか、期待半分、恐れ半分であったが、彼女は予想外のボールを投げてきた。
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