第30話
数列の分析が「仕事」だとするならば、私にはもうひとつ取り掛かるべき「私事」があった。妻の幻影の正体を確かめることである。
昼間、数列と格闘するのに疲れると、私はよく近所に散歩に出かけた。家の近辺のあちこちで妻は出現したが、そこにも何かしらの規則性があるのではないか。私はそんなふうに考えた。
例えば、いつも買い出しに行く商店街。馴染みの肉屋の前を通ると、妻がいる。きまって高確率でいる。威勢よく客を呼び込む店主の横に、何食わぬ顔で妻が立っている。
言うまでもなく、その姿は私以外に、認識されていないようで、道ゆく人はおろか、当の店主自身も、全く気づく素振りを見せない。
業を煮やした私は、意を決して店主に、「ちょっと横を向いてください」と言ってみたことがある。当然、店主は怪訝な顔をした。しかし、言われるままに、店主はそっぽ向く。しかし、妻と向き合うその眼には、やはり何も映らないようで、私は幻滅した。
「波佐見さん、あんた、奥さん亡くしてからちょっと変だよ」店主は心配そうに私を気遣ってくれた。
「変なこと言って、すいません。今のは忘れてください」
そう言って、その場を誤魔化したが、あやうく狂人扱いを受けるところであった。もっとも、本当に狂っている可能性はあるのだが....
さて、決まって妻の姿を認めることになるその店だが、ごくごく稀に彼女がいないのである。初めて、そのことに気づいたとき、私はまたもや、店主に詰め寄って、変な雰囲気になった。
「今日、なんか変わったこととか、なかったですか?」私はすごい剣幕で店主に詰め寄った。店主もしくはこの肉屋の何かしらの要素が、妻の幻影に関わっているのは、明白なように思えた。とすれば、何かの変更が妻の不在を招いたと思っても、道理には合う。
「いや、別に何もねえよ」店主は不思議そうな顔をする。そのまま店の奥に顔を向け、コロッケを揚げているバイトに訊く。「なあ、お前、なんか変わったことあったか?」
「いえ、別に。強いて言えば、この暑いのに、よくコロッケが売れるなあ、と思いましたけど」
このバイトは私も顔馴染みであった。妻が存命時には、看病のため、家を空けれない私のために、わざわざ肉を自宅まで配達してくれていたのだ。
「だってさ」店主がまたもや、不安そうな顔で私を見つめる。「なあ、波佐見さん。一度病院で見てもらったら?」
余計なお世話だ、と強くは言えない自分がいた。
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