第11話
コードを書くというのは、私にとっては勿論、仕事でもあるが、同時に最大の娯楽でもある。だから、ついつい熱中してしまう。
そして、灰流との仕事は、その度合いが尋常なものではなかった。世界最高峰の科学者との共同プロジェクト、というだけでも胸躍るが、理由はそれだけではなかった。
私は徐々に灰流という人間そのものにも、興味をそそられるようになっていた。彼女の独特なものの見方、感性は、私に新鮮な驚きを与え、私をより一層仕事に駆り立てた。
いや、仕事を言い訳にすることは出来ない。
私は、米国での生活を通じて、徐々に妻の存在を億劫に感じるようになった。私は仕事に熱中し、妻はそのことをよく思っていないようであった。というのも、当時の私は連日、残業に次ぐ残業で、日付が変わってから帰宅することも珍しくなかった。
必然的に、妻と顔を合わせる機会は激減した。もし、私がもう少し意識を家庭に向けていたら、その後の事態は防げたと思う。
結論から言うと、妻は心身のバランスを崩してしまった。ある時は極度に陽気に、またある時は、ベッドから起き上がれないほどの虚脱感に苛まれた。
「心の病」は、明確な原因を特定するのが難しい。身体的な病気以上に、複合的な要因が複雑に絡み合う。だからなのか、心療内科のドクターが下す診断もまとまりに欠き、病の原因も対処法もバラバラであった。
しかし、共通した見解が一つあった。『日本への帰国』である。
慣れない異国での生活、親戚や友人との離別、そして頼りになるべき夫は仕事中毒。妻が心を病むのも無理はない。私は医者の薦めもあり、妻の静養を理由に、日本への帰国を余儀なくされた。
ちょうど仕事も一区切りついた段階であった。ソフトの制作は粗方終わり、あとは細かい調整である。これから先は、部下に任せても大きなトラブルは起こらない。そんな読みもあった。
無論、最後まで仕事をやり遂げたい、という気持ちはあった。そして、周囲には洩らさなかったが、もっと灰流と一緒に時間を過ごしたい、という思いもあった。
誤解なきように申し上げると、これは恋愛感情ではない。どちらかというと、生徒が教師に対して持つような、そんな親愛の情に近い。灰流は自分とは違う世界を見ている。そんな気がしていた。
また、私の思い過ごしでなければ、彼女も私という人間を気に入ってくれているようであった。言うまでもなく、これは『生徒役』として気に入っていた、という意味合いである。
だから、灰流に帰国する旨を伝えるのは、気が重かった。ある日、私は彼女の研究室を訪ね、ことの
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