第10話

灰流に影響を受けたこともあり、私も前にも増して、仕事に熱心に取り組むようになった。基本的にシミュレーションの肝は、『いかに複雑な現実を数式に置き換えるか』ということに尽きる。


もう少し具体的に説明する。特定の状況があったとする。これを仮想的な環境として、再現しようとする時、基本的には情報量は多ければ多いほど良い。これは我々が普段使っている言葉でも変わらない。


例えば、「ある夏の日」という言葉と、「初夏の空気の中にも、まだ春めいた陽気が色濃く残る日」という言葉であれば、後者の方がより情報量が多く、現実を的確に写実している。


コンピュータ上で、仮想環境を再現するのもそれと同じだ。基本的には、コードが多ければ多いほど、より豊かに現実を再現出来る。しかし、複雑になりすぎては、そもそもシステムとして成り立たない。つまり、バランスが大切だ。


加えて、灰流からは少し変わった要望を出されていた。


「出来る限り、視覚的にシミュレーションを確認したいのです」打ち合わせの席で、灰流は新しい要望を出した。


「視覚的に...ですか?」


「そうです。以前作って頂いたソフトでは、シミュレーションの結果は、非常に長大かつ複雑な数式として出力されていました。それを何かしら視覚的な要素として、まとめることは出来ませんか?」


「現状で何か不具合でも?」


「いえ、正直、私自身は今のままでも困りません。これはあくまで対外的な理由ですよ」


灰流が意図するところとしては、このシミュレーションの結果を、外部に共有する時に、より訴求力を高めたいということだった。例えば、彼女が研究資金を集めるに際して、出資者が必ずしも理系的なバックグラウンドを持っているとは限らない。持っていたとしても、彼女の研究は最先端の物理学の領域なので、簡単に理解出来ることはないだろう。


そういった人間から、より多くの金を集めるために、目で見て分かりやすい説得材料が欲しい、ということであった。


「要は、この研究に関心のない人にも、関心を持ってもらえるような、そんな『分かりやすさ』が必要なんです」


灰流の要望は至極真っ当なものであったので、私は自社にその要望を伝え、ソフト制作の方向性が決まった。これで、あとは実際にモノを作る段階に入る。


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