第7話

「いつからアメリカに?」灰流が私に訊く。


「まだ、半年ぐらいです。日本とは何もかも違うので、戸惑うことも多いですよ」


私の脳裏に妻の顔が浮かぶ。彼女は慣れない環境での生活に四苦八苦していた。もちろん、私だって新しい職場、新しい仕事に向き合う中で気苦労が絶えなかったが、それは自分がそのように決断したからである。


一方で、妻は夫である私の我儘に付き合ってくれているに過ぎない。


「前任者の話はすでにお聞き及びですか?」灰流が含みのある言い方をした。


「ええ、まあ」私は苦笑しつつ、答える。


前任者、というのは、私がこの会社に入社する前に、灰流の研究室のソフトウェア開発を任されていた男である。彼は野心的な性格だったようで、上司に相当大幅な賃金アップの交渉をした。


この交渉は聞くところによると、熾烈を極めたそうで、大いに揉めたようである。結局、彼はより高い給料、より高いポジションを求めて、他社に転職していった。


「そちらにも何かとご心配をお掛けして、申し訳ありません」私は一応、灰流に詫びた。


「しかし、引継ぎはしっかりしておりますので、開発は問題ありません。前回の反省を踏まえて、より効率的な開発環境を構築する準備があります」


「いえ、別に心配だなんて。アメリカ人は万事、そんな調子ですよ。別に珍しくない」灰流はそういうと、少し顔をしかめて、「でもね、波佐見はさみさん。そんな調子ではいけまんせんよ」


「えっ」私は何か地雷を踏んだかと思い、身構えた。


「この国では、謝るという行為はとても重いものなんです。だから、そんな形式的な謝罪などしない方がましです」続けて、「いいですか。この国では、白人連中であっても、明確にが付いているです」


「色ですか?」私は灰流の言わんとするところを掴みかねていた。


「つまり、誰であっても、自己を前面に押し出して生きています。強迫的と言えるまでに、個性を発揮しようと日々、ビジネスをしています。貴方ももっと、戦う姿勢を持たないといけませんよ」


灰流の言葉は、その輝かしい実績が背景にある分、説得力があった。結局、私は一言も言い返せず、初対面の灰流にすっかりやり込められる形になった。

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