第15話 たくらみ

 アキトが出資を受けて設立したB・H社は、ウインストーン家の投資財団から派遣された人員で構成される。

 アメリカのCEO(執行役員)に相当するMD(業務執行取締役)の地位にはクリスが座り俺はシャドウ・ディレクター(影の取締役)の立場に収まった。


 これで取締役たちに命令権を持つことになった。

 なおチェアマン(取締役会長)にアイラが就いた事で、世間からは英国の囲い込みが成功したと見られている。


 出資比率は俺が全体の五十一%を持ち、ウインストーン家の投資財団とマクラレン・フィルが十%ずつ持った。


 残り三十%の内訳はこうなる。


 BPE(英国石油工業)が五%で、ここにはマクラレンとアイラも出資していた。二重の意味で保険をかけている。


 対立する、石油メジャーを巻き込むことに成功したのは助かった。もっとも生き残りを賭けてすり寄って来たとも言えるが。


 アメリカからは、幾つかの投資銀行と流通にそれぞれ三%割り当てた。選択はマクラレンとアイラが行った。



 当面はEU内を中心に事業の拡大を図る予定だ。最大限に免税規定を利用しようと考え、また英国人を中心に雇用した事によって内需の拡大も目指している。

 また、今後一〇年で予定される事業の拡大で、約十万人の雇用を見越すなど最早英国の主要産業と考えても良いだろう。


 対外的には欧州危機から財政が逼迫している国を、ノックダウン生産の拠点とする事で雇用を確保し他の国からの批判をかわしていた。特にドイツ、フランスやイタリアなど自動車産業の盛んな国からは、触媒の供給や技術提携の圧力が強かった。

 ギリシャで自動車工場の計画が進んだ事で危機感を感じているのだ。

 ドイツなどはまさに寝耳に水で、自動車産業は国民車構想に強い危機感を感じていた様子だ。

 すかさず、ドイツ政府から外交圧力がかかった。

 けれど、ドル箱産業を独占したいドイツ政府の要求に対して、英国政府は「では、ギリシャの支援を行うのなら考えましょう」と国としてはまったく何もせず、外交でカードを得たのだ。


 アキト様様である。


 もっとも英国の取る支援は理にかなった物でギリシャ政府も協力を約束した。


 数年後には国民生活も改善される見通しだ。




        ※




 ところで、順風満帆に見える英国とは別にアメリカでは微妙な雲行きである。

 議会では南部を中心に、上院議員が法案を通そうとしていた。

 権益と自国の産業を守るための運動は、根強い支持を集めている。


「必死すぎて見ていて怖いな」

 良識有る少数の議員でもある人物が眉をひそめた。

「彼らの置かれている状況を考えれば必死にならざるを得ないでしょう? 何せすべてを失う事になりかねないのですから」

 軍需産業を支持基盤に持つ議員が同調する。

「まあ、そのうち我が国も飲まれるさ。もっともアキト・ホムラは同国人だ。それを考えれば悪い話でもあるまいに」

 彼の支持基盤でもある流通大手が、すでにアキトに投資していることからの余裕である。


 こうして、新たな風を感じていた人々とはべつに、不満だけを残している者もいた。


 テクソンモービルのCEOである。テキサスを本拠とした国際石油資本の一社で、民間資本としては最大の企業を悩ましているのはアキトの触媒に対してだ。


 談合を裏切りBPE(英国石油工業)がアキトの側に回った事で、自分の足下が崩れかけているのを感じていた。


「どんな手を使っても良い。我々がアキトのコントロールを握るか、排除する手を見つけるのだ」

 長く世界を支配して石油王と呼ばれた男は、決して表沙汰に出来ない連中に頼ることも考えている。



 まだその時では無いが……。




        ※




「これは凄いですな」

 同行するジェームスが思わず息を飲む。

 現在ソールズベリー郊外に用意された広大な敷地に、巨大魔方陣を設置している最中である。


 基礎工事で掘られた場所には、鉄筋が張り巡らされてコンクリートを流し込むだけとなっていた。

 そこに魔方陣を書こうとしていた。


「今回は規模が大きいので、水を使おうと思います」

 俺は水を媒介に真銀を作るつもりである。

 水と言ってもあらかじめ魔法で処理を行っている。流し込んだ水は淡く輝き、意志を持つかのように形を作った。これで工場全体に、魔素を集める器を作るのが目的だ。


 ここに集まった魔素は魔方陣によって触媒を作る。魔力を込める作業は自動で、今後この場所では魔方陣の用意さえ出来れば錬金術を誰でも行う事が出来る様になる。


 同時にこれで日本での触媒生産の終了を意味した。

 俺の魔力を注がなければ生産できない施設は、新たな魔力溜まりが日本で見つかるまで二次加工が主となるだろう。


 工事の休みを利用して行われた俺の魔法は、視察を名目として夕方まで続けられたのだ。


 翌日からの工事を見ることも無く、俺の英国滞在はこれで終わりを告げた。


 半年後に稼働するまでは日本から輸出する必要が有るために、魔力切れを起こす前に帰る必要が有ったからである。




        ※



 帰国を前にして、ソールズベリーの別邸は作戦会議の様相を示していた。


「クリス様、ドレスはこちらが宜しいかと」

 メイド達が忙しく動き回っているなか、クリスの頭はアキトの事で一杯だ。

 帰国を前に、アキトの仲を進展させようと皆が考えていたからだ。


 幼少からのアキトを知っている彼女は、アドバンテージを持っている。何せ幼い頃の躾をしたのはクリスなのだ。

 実際アキトはクリスには逆らえない。それをクリスは都合良くとらえていた。アキトに言わせれば恐怖政治そのもののトラウマなのだが……。


 確かに愛情は強く持っている。けれどそれは姉に対する思いが強いのだ。


 それを逆手にとっての作戦だった。


「下着は扇情的な、それでいて清楚さも併せ持つ物を選んで頂戴!」

 俗に言う勝負下着の事であるが……。

「今夜こそはアキトを捕まえなければ」

 決意を胸に固く決心するクリスだった。


 思いはアキトに届くのであろうか?




        ※




 俺は気がつくとベッドの中にいた。

 どうやらワインを飲み過ぎてしまったらしい。ここまでどうやって来たのか全く覚えが無い。きっとジェームズ辺りが、連れて来てくれたのだろうと思ったのだが……。


「なっ!!!」

 嘘! なんで隣にクリスが寝ている?

 しかも、長い髪を幾分散らしながら腕にしがみついている。

 その辺りでこの部屋が、自分の客室で無い事に気がついた。


「えっ……クリスの部屋?」

 隣ですやすやと眠るクリスは幸せそうだ。視線を胸元に動かせば、はだけた毛布から見える胸元が俺に目に入った。


 マジか……。



 やってしまった感一杯の俺に目には、アイラ譲りの豊かな乳房が、今にもこぼれそうに寝間着から見えていたのだ。

 静かな寝息で上下する魔力の塊は俺を捕らえて離さなかった。体から溢れ出す匂いもどことなく官能を刺激してくる。


 どうやらこの時点で、クリスの企みは成功したと言っても良いだろう。


 ごくりと咽を鳴らす。


 記憶の中の少女は、母性的な魅力に溢れる女に変わっていた。腕に当たる感触はどこまでも柔らかく、どうにかすると頭がおかしくなる。


 俺は、幼い頃何処に行くのでも手を引いてくれた姉を女として意識しだした事で混乱した。


 鼓動が激しく困る中。


「……」

 言葉にならない笑いの吐息が聞こえて、楽しそうに寝息を立てるクリス。

 そっと手を伸ばしてみた。頬を撫で髪をかき上げて、胸元に伸ばされた指先はためらっている。

 あと少しで届くためらいに、俺はむしゃぶり付きたくなる心を抑えた。


 そして「ふふっ」と笑い、腕を背中にまわして軽く抱きしめる。

 額にキスして目をそっと閉じた。

 俺は二人の関係を崩したく無かったのだが、どうやら先に進まねばならないようだ。




        ※




 一方クリスはと言えば……。


「……失敗してしまいました」

 盛大にへこんでいた。

 昨夜は準備万端でアキト攻略に臨んだが、緊張からワインを飲み過ぎてしまった。

 というより、アキトを酔わせて凋落しようと考えていたが、途中で一緒に寝てしまったのだ。

 もっとも寝ているアキトに、いろいろエロエロな事を密かにしていたので、かなりの満足感はあるのだが……。

 もっとも、お嬢様のクリスの出来る事など知れていたが……。


 枕に顔をうずめて時々ニヤニヤしながら「うふふ……いやん、どうしましょう!」などと……結構な姉であった。

 くねくねと身をよがらせて独り言を呟く姿を見れば、若干汚されたアキトは寝ていて気づいていない。

 後日、彼がどう思うかは保証できないだろう。


 こうしてアキトの英国滞在は一時終わる。




        ※




 帰国を待つ日本では、ウインストーン家を通じた融資が進んでいた。

 大英銀行からの融資だった。

 江田島習作が予定していた設備投資の規模を超えた、大掛かりな計画に練り直らされたからだ。


「こんなに大事になって……大丈夫か?」

 習作が不安を隠しきれずに美枝に尋ねる。

「アキトくんが帰って来ないと、何とも言えないけど……大丈夫じゃ無い?」

 幾分頼りなげな美枝も英国に行っていきなり、王族や貴族をバックに付けて来るなどとは思ってもいなかった。


 ほぼ英国全面協力の体制に、顔が引きつっている。

 古びた本社ビルに大使館の人間まで迎えたのだ

 混乱は手に取るように想像できた。


 先に帰国した早苗によって二次加工品の計画は先行しているが、これもアキトが帰国しないと先に進めない。

 これからが本番だと皆は気を引き締めたのだ。


 日本の株式会社HOMURAは、今後は白物家電にも乗り出す事を考えていた。


 第一弾に冷蔵庫を送り出して、順次エアコンや空調機をリリースする予定だ。

 魔道具と家電は相性が良かった。核を上手く使えば節電どころでは無く、現行の家電業界は大ダメージを受けるだろう。

 特にアメリカ向けを中心にするために、アジアの各企業の脅威はすさまじいものになると予想していた。

 安い人件費などで胡座をかく商売の終わりの風は、急速に勢いを増していくのだ。


 そのためには大江商事の支配権を取り戻す必要はあるが、不可能ではないと分析されていた。

 これも優秀なウインストーン家の投資財団のおかげてある。

 現在は彼らが中心になっての買収工作が進んでいた。




        ※




 現在与党の民政党では対応に追われていた。

 汚沢訪中団のお土産の対応である。

 天皇特例会見で中国に異常な配慮を示した民政党政権であるが、訪中団でもやはりやらかしていたのだ。


 表向きは、温暖化対策のために協力を仰ぐとしていた。何の協力と言えば、簡単だ! アキトの持つ技術をよこせと言っているのだ。


 特にAPEC中に、アキトとの交渉を実現させる事を求められた。


「何とかしたまえ!」

 TVで見せる姿とは違って言葉を選ばず、いや……怒鳴りつけているだけだが……。

 汚沢は思うようにならない事態に苛立ちを隠さない。当初は簡単な事だと思っていた。


 たかが若輩の経営者だ、適当に影から圧力を掛ければ従うだろう。この日本で生きていくためには流されれば良い。自分はそう思って生きてきたのだから。


 だが、英国の邪魔が入り。


 このままでは自分には利益が得られないでは無いかと、中国からの圧力が高まるなか、アキトとパイプ一つ作れない連中に当たり散らすだけだった。




        ※




 相変わらず出口の見えない大江商事を買収の嵐が襲ってきた。

 韓国国策企業のコムソン電子がいきなり仕掛けてきたのだ。

 当初は業務の提携からと考えていたコムソン電子だが、特許使用の権利は大江商事に与えた物で借与貸与も認めない事が結ばれていた事から買収に踏み切る賭に出た。


 訴訟戦術を含む敵対的なTOBの交渉を受けて、仙道良三は苦虫を咬みつぶした様な表情を浮かべている。

「どうなっている」

 敵対的買収から自社を防衛するためにホワイトナイトを使おうとしていた。

「それが……返答が良くありません」

 敵対的買収へ対抗するには、多額の資金を用意しなければならない。

 相手先の仲介を東洋銀行に密かに依頼したのだが、態度が思わしくなかった。

「くそっ! いまさら裏切るなんて」

 良三はコムソン電子から、アキトを追い出すための資金の提供を受けていた。

 もちろんビジネスとして、それなりのお互いの利益を考えての事だ。

 もっともかなりの部分で私的な利益を優先させていたが。


「こうなったら、もっと手を広げて……。そうだ! 以前に問い合わせがあっただろう? たしか、外資系のファンドから話があったはずだ」

 良三はコムソン電子との関係を重視していたために、その時は一蹴していたが背に腹は代えられない。

「至急連絡を取れ!」


 仙道良三は知らない。外資系のファンドとはウインストーン家の投資財団だということを。

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