第7話 漏れた情報



 殺伐とした空気の中。

 誰もが無言で仕事をしている。

 カタカタと聞こえるのはキーボードを叩く音だけだった。



「……えーと、美枝さん?」

「はい、何でしょうか? ……社長、私は忙しいんですが」

 どことなくトゲのある声にビクリとしたアキトは口ごもる。

「いっ、いや!……ははは、何でも無いです」

 心なしか美枝の後ろから、黒い霧が立ちこめているのは気のせいだと思いたい。


「さ、沙月さん、お茶貰えるかな? ひっ!」」

 お茶を頼もうと沙月に声を掛けたが、角を生やした幻覚が見える。

 沙月はキッとアキトを睨むと、無言のまま立ち上がった。

 そして、ドン! と置かれた湯飲みを前に、凍り付いた。


 俺が、どうしてこんな事に成ったかと言うと、それは朝の何気ない会話から始まった。



        ※



「しゅ、しゅっ! 出張?! それも海外!」

 椅子から立ち上がった沙月が、驚いた声を出すのも無理は無い。

 アキトが出張すると成れば同行者が要る。

 しかも海外出張だ! 会社の経費で旅行が出来て、上手くすればアキトの仲も進展するかも知れない。


「いくいく! はいはい!」

 沙月が元気よく手を挙げるのも当然だろう。

 だがしかし……。


「あら? 海外進出のためなら当然お金が絡むわね? 経理の私が適任じゃないかしら?」

 普段のおっとりした態度が嘘のように、キリリと美沙が口を出す。もしかして、ほんわかさんは擬態なのであろうか?


「ふふふっ、二人とも何言ってるの? ここは秘書である私が、付いて行くに決まってるじゃない 以前もお世話してたの知ってるでしょう?」

 元社長秘書の夏希は勝者の態度で余裕を見せる。

「ねえ? アキトくん?」

 アキト君と呼び捨てしている時点で疑問を持つが、元秘書だった事には変わりは無い。


「うーん……。特に誰でも良いんですが……」

「「「じゃ! 私が!」」」


 同行者は中々決まりそうに無かった。



        ※




 そのころ英国ではアキトの父親が忙しそうにしていた。


「まったく、いきなり頼んで来たと思ったら」

「ふふっ、そう言わずに、あの子が頼み事なんて珍しいんですから」

「確かに普段は近寄りもしないからな」

「何ででしょうね?」


 夫婦揃って天然で、バの付くカップルが親なら息子は近寄りたくは無いだろう。

 妻がいないと何も出来ない夫のために、息子を放り投げて夫に付いて行く二人は、何年経っても砂糖を吐きたくなるほど甘い夫婦だった。

 二人はアキトに頼まれて会社の設立を進めているのだ。


 イギリスでの法人設立は簡単である。ビザの取得にはある程度のお金が掛かるが、EU圏に足がかりを作るメリットは計り知れない。

 簡単に例をあげると、こうなっている。

 登記上の住所を持たなければならないが、元々物件を手に入れているのでこれは問題無い。

 アキトに取って重要な点は、株主の国籍年齢を問わないことである。居住地も英国で無くても良い。


 英国人か居住者で無ければならない会社秘書役も、当面株式を非公開の予定なので必要無かった。

「アキトが来るまでに済ませて置くことは問題無さそうだし、少し観光でもしようか?」

 すでに息子の頼みが、二の次になっているのも仕様だった。



        ※




 再び日本ではカオスを増していた。


 情報が漏れたからである。


「海外出張?」

 ピキーン!と早苗は起き上がった。さっきまでだるそうにしていたと言うのに。

「誰が行くか決まったの?」

 相変わらずの肢体は最近特に色めかしい。もともと磨きを掛けていた体は、精神の充実で花開いた。生き生きとした早苗を見て、四十六と思う人はいないだろう。


「まだみたいだって」

 休憩中の工場では突然の話題で盛り上がっていた。

 何でも経理の用事で本社に行った時に、誰かが小耳に挟んだらしい。

「誰でも良いって社長が言ったらしいよ。希望者から選ぶってさ」

 最近化粧のノリが良くなって来たアカネの話では、同行者が決まっていないとの事。

 アキトは誰でも良いと言ったのは事実だが、もちろん工場まで含めてでは無い。


「チャンスね! ちょっと本社に行ってくる。希望者から選ぶなら、当然工場からも参加させるべきよ!」

 たくましい早苗の言葉に「おぉおお!」と声が響く。

「参加希望の子は私の所に声を掛けて頂戴」

 自身が一番乗り気なのだが、そこは立場から一応全員にチャンスを与える。


 何気に女の職場は難しいのだ。



「くしゅん!」

 突然くしゃみがでた。

「変だな? 花粉症?」

 アレルギーなど持っていないのに止まらないくしゃみに「後でマスクを買いに行くか……」などと暢気に構えていた。



 こうしてアキトの海外出張は、知らないうちに全社のイベントと化して行く。




        ※




 都内の大学の研究室。


「やっぱり反応は微弱ですね」

 手元の試験結果をながめて溜息をついたのは春日雪子だった。東洋銀行頭取の娘ながら研究者の道を歩む理系オタクで、どう見ても女子高生としか見えない詐欺同然の女である。


「今回も駄目か……」

 相手をしているのは指導教授の榊原康正。

「銀を使うと効率が上がるのは分かったんですけどね」


 何をしているかと言えばアキトが世に出した触媒理論の研究だった。

 米国で突然登場した触媒理論は、不思議な特性を持つ。既存の常識を覆すような結果をもたらす物は科学者の理解を超えていた。


「結果が出て理屈が分からないとは……」

 榊原が言うとおりそこが最大の謎である。

 アキトが、研究者たちに配布したサンプルを複製するのは簡単だった。幾何学的構造は複雑だが、作れないほど難しい物では無かった。だが同じ物を作っても何故か反応は鈍い。

 いま実験している触媒も、塩水に対しての反応で電気を作る事が出来た。


 微弱ながらも魔法効果は表れていた。


 錬金術師が作った物でないのに魔法効果が表れている。これは不思議でもなんでもなかった。

 何故かというと、魔道具は作るだけなら誰でも作れるからだ。

 異世界でも鍛冶師や細工氏が本体を作っていた。

 それを錬金術師が魔法で素材の変換や魔法効果の増幅を行うのだ。

 だから、この世界でも形状を模することが出来れば、一応の触媒効果は現れていた。


 だが……。それは実験室レベルでの話で、アキトの作った触媒には及ばない。

 それでも、微弱ながらも発電していたのは確かだった。


 世間ではアキトの理論にお墨付きが与えられている。当初特許が認められる事は無いだろうと思われていた。これは出願のさいに、まだ既存の物理法則で理解されていない事が理由だ。


 だが……米国で出された出願は認められた。


 これは米国の科学者が後追い実験で理屈を付けてしまった事が原因である。

 確かに反応は理解出来る。よくある燃料電池の一種なのは間違い無いからだ。

 後追い実験で結果を出した科学者は、理解出来ない物を恐れたのだろう。


 理屈を無理矢理付けたのだ。

 榊原はそう思っていた。


「何が足りないのでしょうか?」

 しばし考えにふけっていた榊原は、雪子の声で思考を実験に戻す。

 足りない物? 似ていると言えば、マグネシウム電池と近いだろう。

「わからん……。本人に聞いて見たいが、教えてくれんだろうな」



 この大学に籍を置きながら、一度も現れない相手を思い浮かべて答えたのだ。

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