地方芸術祭とネット怪異譚

酒井貴史

第1話 地方芸術祭とネット怪異譚

インターネット上に投稿された『田舎の田んぼや神社に出現した謎の物体を見た人間が発狂してしまう』という系統の怪異譚は、ここ20年くらいの地方芸術祭の興隆と関係あるのでは?

という思いつきからこの文章を書き始めた。

地方芸術祭とは、有名な例では瀬戸内国際芸術祭、越後妻有大地の芸術祭、あいちトリエンナーレ、といった地域名を冠した美術展示イベントを指す。

従来の美術館内での展示に留まらず、商店街の空きテナントや廃校、神社の境内、果ては田んぼのあぜ道にまで作品発表の場を拡張するという特色がある。

特に新潟県越後妻有の事例は高い評価と知名度を得て、その集客力と地域活性効果が注目された。

それに続けとばかりに2000年代から2010年代なかばにかけて日本各地に芸術祭が乱立することとなる。


ネット怪異譚に話を戻す。

筆者は「くねくね」という有名なネット投稿怪談を読んだ時、脳裏に『正体は舞踏家によるパフォーマンスなのでは?』という思いがよぎった。

物語は、田舎に帰省中の幼い兄弟が田んぼの向こうに奇妙にクネクネした動きをする「何か」を発見してしまう所から始まる。遠くてよく見えないそれに双眼鏡を向けた兄は震えだし、正体をたずねる弟にも「わからないほうがいい」とつぶやくだけだった。それから兄はその奇妙な動きに取り憑かれてしまう。


この「くねくね」の正体候補として筆者が連想したのは麿赤兒まろあかじ氏と、その門下の大駱駝艦だいらくだかんメンバー。

田畑や自然のなかで舞踏を行う田中泯たなかみん氏である可能性も高い。

あるいは麿氏、田中氏、大野一雄氏などにかぶれた美術大学生による作品かもしれない。


都市部から離れた農村や過疎地域に乱立した地方芸術祭は、資金も企画運営能力も玉石混交であり、開催地域の住民にすら十分な合意と告知が行き渡っていない場合もある。

さらにダンサーやパフォーマンス系の作家は路上などで即興的に踊り始めるのが大好きであり、寺山修司に影響を受けた美大生はゲリラ演劇を始めがちである。

何も知らない小学生がそのような場面に遭遇してしまったら「見てはいけない何か」を見てしまったと感じても致し方ない。


「くねくね」の投稿者が舞踏家や路上演劇をイメージソースとしたかどうかはわからない。

しかし描かれた情景から筆者同様に前衛舞踏家を連想したアートファンは少なくないはずだ。

あるいは先ほど述べたように、何も知らずに路上公演に遭遇してしまった記憶から『かつて自分が見たのはくねくねだったのでは?』と感じる者もいるかもしれない。

「くねくね」は反響を呼び、類似した話型や関連性の見られる怪異譚が複数出現したが、その中に実体験が含まれている可能性は高いのではないだろうか。


不可解で奇妙な実体験そのものは、断片的かつ抽象的で起承転結を欠き、そのままでは物語の体を成さない。

江戸時代、地方から江戸に集まった行商人や出稼ぎ労働者達は夜中、宿でそれぞれの故郷の猥談、怪談を持ち寄った。

誰かの記憶の断片でしかなかったものが、何度も語られるうちに尾ひれがつき、欠落し、物語の文法が整う。

そっくり似ている民話が日本各地、離れた場所に分布するのは、人の移動に伴い江戸や大阪で洗練と均質化を経て持ち帰られたためともいう。


曖昧に霧散していた記憶が、一篇の物語を核として「あのとき見たのはくねくねだったのかも?」と凝固し始め、連鎖していく。

僕らの記憶の片隅にある『変な思い出』の濃霧は、いつか怪異譚として結露する日を待っている。


1965年、秋田県田代の集落で写真家 細江英公が舞踏家 土方巽を撮影した写真集『鎌鼬かまいたち』には、田園風景のなかを跳梁跋扈する土方の姿が写し取られている。

3メートルはありそうな稲干台の上に佇み、どこからか攫ってきた赤ん坊を抱いて田畑を疾駆し、人外の跳躍力を発揮したかとおもえば住民達の傍らに大人しく座り込んでいる写真もある。

この撮影は何ら現地住民との打ち合わせもなく、写真家と舞踏家の2人だけで行われたという。

そもそもこの両名の職業について説明されたとしても、住民達の理解を得られた可能性は低い。


写真には子供達の姿も多い。人口に占める子供の割合が高かった時代である。

幼かった彼ら彼女らは、後にこの日見たものを著名な舞踏家によるゲリラパフォーマンスであったと理解するかもしれない。

それでもなお遠い思い出の中で土方巽の姿は「子供の頃に村に現れた怪異の記憶」として、くねくねと踊り続けるのではないだろうか。





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