第72話:夏の欠片

「っ――――ぁ――――、ぅッ――――」


 刀を握った瞬間に五感が燃えた。

 炎によって視界が埋まり、自分の肉の焦げた音が鼻を通る。チリチリとした音が耳に届き、舌が異常に渇いていく。

 動けない体は、次第に何も感じなくなり――――気付けば俺は体から抜け落ちるかのようにナニカの中へと入っていった。


 意識が沈む、深くどこまでも続く深淵のなかへと落ちていく。

 今残っている自我だけが、渦巻き混ざりより強固な自分へと変わっていった。そんな中、どくんどくんと跳ねる心臓の音だけを聞き続ける。


「――――――」


 掠れた老人、いや赤子だろうか?

 誰が喋ってるのか、そんな定まらない声が無意味な言葉として暗闇の中に響いていき、その声が届いたとき、俺の意識は加速してより深い場所へと一本の矢のように向かっていった。


 次第に景色が変わっていき、俺が立っていたのは何処とも分からない曼珠沙華が咲き乱れる坂だった。やってきたはずの方向を向けば、そこには暗闇だけが広がっていて、戻れる気配を感じない。


 この坂は時でも止まっているのかここには風すら吹かず、世界の景色が一切変わらない。異様なまでに静かで、不気味なまでに生物の気配を感じることが出来ないそんな空間。


 だけどここには妙な心地よさがあり、不快感というものを感じる事は出来なかった。何かに言われたわけではないが、進まなければならないという意志が俺の中に生まれ、気付けば俺は坂を下っていた。


 暫く歩き続け坂の途中にあったのは、石で出来た二つの柱。

 そしてその柱には注連縄が巻かれており、まるで石の柱が鳥居のようになっていたのだ。


「“――――――――”」


 何かを思い声を出そうとしたが言葉は出ず、ただ口が開くだけだった。

 この鳥居を潜ってはいけないような、潜ったら戻れないようなそんな予感。だけど、そんな思いを無視して自分の体は勝手に動き、迷いなく鳥居を潜っていく。


 その変化はあまりにも対極的なものだった。

 鳥居を潜った途端に、全てが変わってしまったのだ。不気味なのだが穏やかで静かだったあの場所その面影を残さぬほどに、鳥居の中には別の世界が広がっていた。

 怨念と生への執念、何者かへの殺意に憎悪、異常な狂気に底の無い生者への妬み。

 それが声となって渦巻いていて、その全てが俺に牙をむく。ただただこの場は重く、少しでも意識を向ければ、きっと俺の全ては持って行かれるだろう。


 悪意の密度が濃いせいで、立っている筈なのに水中にいるようだ。

 こんな状況で働く呑気な思考を他所に、体だけが先へと進んでいく。沈むように坂を下り、終わりの見えない道を歩く。

 明るいのに暗い、風もないのに体が震える。

 そんな異常にさらされても、壊れることのない自我。これが幸運なのかは分からないが、壊れることが出来ないというのもまたつらい話だった。

 

 光はあるのに希望はなく、悪意の中に沈んでいく。

 そんな中、今まで気付かなかったがある程度進むうちにナニカの音を聞いた。


 どくん、どくん、どくんと……どこからか心臓の鼓動のような音が響き、それは下るごとにはっきり大きく聞こえるようになっていたのだ。


 今俺は呼吸することが出来ているのだろうか、強くなっていく水中の感覚にふとそんな事を考えた。吸うことは出来るし、空気を吐いているのは分かる。だけど、何かがおかしいのだ。


 何がおかしいかと聞かれても答えられないが、表しようのない違和感だけが体中に残り続けていた。

 無限に続くかのように思えた坂の空気は再度重さを変える。そしてそれと同時にこの先から何者かの息遣いと心臓の音を聞き取った。

 きっとこの先が終点、この場所の終わりでありこの世界の中心部。


 やっと終わる。

 そう思うと急に体が軽くなり、自由に動かせるようになった。

 だけど、今まで歩いていた道は既に暗闇に閉ざされていてまるで帰さないといっているようだった。


 進むしかない、そう直感的に悟った俺は歩みを続け、一層深い暗闇へと足を踏み入れ――――その次の瞬間、赤い世界に落下し始めた。


 地面は崩れ、体が凄まじい速度で落ちていく。秒ごとに落ちる速度はあがっていき、やがて辿り着いた場所に広がっていたのは、


「何処だよ、ここ」


 あまりにも理解の範疇を超えた異界だった。

 今立っている場所以外には、息をするように動く岩漿がんしょうが敷き詰められていて、何かを燃やし続けている。


 泥のように粘つくそれは、燃やし続ける何かを離さない。

 そして周りをみれば、何処までも続くような紅い空が広がっていて、上を見渡しても自分がどこから落ちてきたか理解が出来ぬようになっていた。


 周りを見渡し、ここが何処かを探っていると俺は自然とそれを目にしてしまった。


 岩漿の底に眠っていたとてつもなく巨大な影を。

 それは巨大な瞳を輝かせ、やってきた異物を捕らえていた。


 あったのはあまりにも巨大な龍……いや違う、これは蛇だ。

 龍に見えるほどに巨大な、炎で出来た蛇の怪物。その瞳は俺を捕らえ、それに見つめられた俺の体は、一切動くことが出来なくなってしまった。


 目覚めた怪物が、その躯を動かすと静かだった火口が息を吹き返した。

 静かだった岩礁が渦を巻き、幾百もの火柱が周りに立ち上がり、その火柱に乗せられるように蛇が起き上がる。


 5つの鎖に縛られながらも、その蛇はこちらへと向かってきた。

 荒れ狂う嵐の中にいるのかと錯覚する程の波音が動く度に広がり、痛みとなって耳を犯す。


 あまりにも大きすぎて、無音にも感じるそれを浴びながら俺は――――その蛇に、大口を開いた怪物に、見たことのない化物に、抵抗も許されぬまま――――飲み込まれ噛み砕かれ、何度も何度も殺された。


「――――――あ? ッあ、がぁぁぁっぁ――――」


 最後に漏れたその声は何処か他人事のように聞こえ、自分がこの蛇の餌と言うことを思い知らされ、永遠に壊れぬ自我のせいで、至上の地獄を味わい続け――――。


 声にならない悲鳴だけが周りに響く。

 言葉を忘れた獣の様に喚き続ける。 

 理解不能な状況に憤怒を覚えるも、すぐに反抗の意志を壊される。

 抜け落ちた自我に与えられる痛みは、神経を直接触られているかのように直に響き、一切の容赦をなく心を壊しにかかる。


 何が何だか分からないが、今分かるのは熱く、痛く、苦しいという事だけ。

 気分は磔にされた罪人だ。それも、その感覚は永遠に続くものらしい。あまりにも酷い状況に、冷静な部分が生まれ、自嘲気味にそんな事を伝えてきた。

 意識がばらけて、壊れて、そして最後に正気も消えそうになる。


 だけど――それで終わるなんて事出来ない、受け入れると言ったんだ。彼女を――神綺を一人にしないと約束した。

 ならば、心を壊されるなんてあってはいけない。 

 

「――やって、やるよ」


 生きる炎そのもののような、こいつの体の中を潜っていく。

 痛みに襲われながら、何度も心を折られながらも――進んで潜って、そいて辿り着いたのは。


「あった四季だ」


 四つの柱とそれを繋ぐ注連縄に守られた一本の朱色の刀がある場所だった。

 そこに辿り着いたとき、痛みは既に消えていた。一回の深呼吸、熱い空気を食べながらも満ちる霊力を吸収して歩を進める。


「迎えに来たぞ、神綺」


 ゆっくりとそれだけを伝える。

 そこにあるのは分けられた夏の一欠片、焔を司る彼女の権能そのものが俺の前に置かれている。分かれて何百年も一人だった孤独な彼女、俺はそのまま刀に近づいて――。


「これからもよろしくな……相棒?」


 そして俺はゆっくりと刀を引き抜いた。

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