第14話 月を見る夜
暫く走り、街の一区角を過ぎたところでチェインはアドラーナを下ろした。アドラーナはフラフラと建物の壁に手を付き、吐き気を堪えた。
「あんたね、どんだけ速いのよ」
アドラーナが涙眼でチェインを睨む。
「大丈夫? 追い付かれちゃ不味いと思って全力で走ったよ、人間やっぱり逃げ足は速いもんだね。そういえば父さん言ってたなぁ、戦場じゃ剣の腕と同じくらい逃げ足と逃げ時が大事だって」
下ろしてと叫ぶアドラーナを無視して走り続けたチェイン、具合が悪くなっているアドラーナに罪悪感を覚えて早口で喋る。
「それで、なんで私の後をつけたのよ」
涙を拭い、またチェインを睨む。
「女の子が大金持って夜中にこっそり家を出たら誰だって気になるよ」
チェインは内心で悪いと思いつつ、表情には悪びれた様子は見せない。
努めてなんでもない事のように笑顔で話す。
「お金はその内返すわ、二度と私の後をつけないで」
アドラーナはチェインに人差し指を向けた。
「分かったよ、アドラーナさん。用が終わったなら帰らないかい? 明日は朝が早いんだし」
「分かった」
アドラーナはチェインの前を怒ってますと背中で訴えながら歩いていく。
少し歩くと歩幅は狭まり、歩調も緩くなった。
アドラーナは月を見上げたり、夜風にそよぐ木々に視線を泳がせ傍目にも落ちつかな気に見えた。
「ねえ、エリシアって、最初の朝に家に来た人よね?」
突然の質問に、チェインは一瞬なんの事か分からなかった。
「……、ああ、うん。そうだよ、どうして?」
「誤解は解けてないの? ごちゃごちゃなってるって言ってたけど、それってアタシとアンタが、裸で……。って言うか、なんであの時はアンタ裸だったのよ?」
今さらながら、最初の朝の裸だったチェインを思い出してアドラーナは怪訝な顔になった。
「あー、僕は裸で寝る癖があってね。エリシアがたまに僕の家に朝来る時はノックの後で返事も待たずに開けるからその癖は止めるように気を付けてたんだけど」
チェインはあの時の光景を思い出し、胸がキリキリと傷む。
「なんでアタシが寝てるのにその悪癖を出すのよ」
アドラーナのトゲのある口調にチェインはバツが悪そうに頭をかいた。
「前の日に、慣れないお酒を散々飲んでね。すまない、正直言ってアドラーナさんの存在を完璧に忘れていたんだ」
アドラーナはあの時の事を思い出し、確かにそんな反応だったと可笑しくなった。
「アタシのせいでエリシアさんとの関係がぐちゃぐちゃになってるの? それなら、誤解を解くのに協力してあげても良いわよ?」
「あー、その前に、あの日は婚約を破棄した翌々日だったんだよ」
チェインはなんと説明していいやら、また頭をかいた。
「婚約破棄されたのに、屋敷を買うの?」
「違う、婚約破棄をしたのは僕なんだ」
アドラーナは意味が分からないという顔になった。
「とにかくぐちゃぐちゃなんだ。ほら、僕は"不能"だろ? エリシアは貴族だから、子孫を残すのも責務に入ってるんだ。それなのに"不能"の僕と一緒にはなれない。もしも僕が不能だって事を隠して結婚何てしたら、最悪の場合僕は打ち首、エリシアにもとんでもない迷惑をかける。散々悩んでアレコレ試したけど治らなかった、だから、婚約破棄したんだ。酷いやり方でね」
チェインは「うーん」と唸りながら頭を抱えた、アドラーナはそれを見て首をかしげる。
「それは、話せばどうにかなるんじゃないの? 不能なら私の
チェインがアドラーナを見ると、彼女は腰に手を当てて、そんな事はさも当然と言わんばかりの表情だ。
「……、そうだね。その通りだ」
暫くそうして歩いていると、アドラーナはピタッと足を止めた。
「……。ねえ、なにも聞かないの?」
アドラーナは進行方向を向いたまま尋ねた、チェインはまたなん事か分からない。
アドラーナの会話の最初はいつも謎々みたいだと少し笑った。
「何がだい?」
「アタシが、……、
チェインは「あぁ」と頷いた。
「聞かないよ、アドラーナさんが喋ってくれるのを待つさ」
「そう」
アドラーナはまた歩き出した、今度の背中は怒ってはいない。
「アドラーナさん、その代わりと言ったらアレなんだけどさ。困ったことがあったら言ってほしいな。そしたら僕も後をつけなくて良いし。それに、毎晩金貨の入った袋を持っていかれたら破産しちゃうしさ」
「……。考えとくわ」
チェインはてっきり「嫌よ!」と断られると思っていて、予想外の返答に反応出来なかった。
アドラーナが少し心を開いてくれているような気がして笑顔になった、足早に歩き続けるアドラーナの元へ走って追い付くと、頭に浮かんだ話題を口に出した。
「ねえ、アドラーナさん。僕の母さんは魔王軍参謀だったアシェルミーナという女性らしいんだ、なにか知ってるかい?」
またアドラーナの足がピタリと止まった、チェインはなんとなく、前に回って顔を、反応を見たいと思ったが、それをせずにアドラーナの返事を待った。
暫く待っても返事が来ない。
アドラーナは不意に振り返ってチェインの顔を少し見ると何も言わずに前を向いた。
返事がないまま、チェインは話を続けた。
「僕は、6才まで父さんと一緒に居たんだけど。その頃アシェルミーナさんもよく僕に会いに来てくれたんだ、凄く優しくて、綺麗で、会うたびにいつも思ってた。この人が母さんで、父さんが本当に僕の父さんだったらどんなに良いだろうって」
アドラーナはまたチェインを振り返り、「そう」とだけ返事をしてまた前を向いた。
最初はアドラーナの背中に話していたが、チェインは途中からなんとなく月を見上げて喋った。
「この間、父さんの古い知り合いに聞いたんだ。アシェルミーナさんが僕の母さんだって、聞いた時は嬉しかった反面、子供の頃に知りたかったって少し悲しかった。まあ、父さんも母さんも、国王に結婚したらダメだって言われてたから誰にも言えなかったらしいんだ。もちろん、僕が本当の子供だってことも誰にも言えなかった」
チェインは満月から少し欠けた月の輝きを見ながら、アシェルミーナはあの月光のような髪色をしていたなと思いだした。
「父さんも母さんも、本気で魔族とヒームが仲良く暮らせるように奔走していたらしい。だから魔大陸で魔王軍の残当が不穏な動きを始めた時、父さんと母さんがいち早く和平交渉に走った。だけど二人とも、そこで死んだ」
目線を下ろし、再びチェインはアドラーナの背中を見るが、さっきと変わらず佇んだままだ。
「でもね、父さんと母さんの頑張りは確実に息づいてる。確かに、今の冒険者や傭兵達のような偏見を持つ人はいるよ。でも、いまアドラーナさんと一緒にいるレオナやリリスやミーシャやハポニカはどうだい? アドラーナさんの事を魔族というだけで嫌いになったりしない。むしろ、優しくて頼りになるアドラーナさんが好きだよ」
チェインはまた月を見上げた。
「そんな人の意識を変えた父さんと母さんを誇りに思うよ、本当の子供なのに、本当の子供として接することが出来なかったのが残念だ。それでも、あの二人が両親だって分かってこんなに嬉しい事はない。僕の理想の家族だ」
「……。そう、良かったわね」
そう言うとアドラーナは歩き始めた、チェインはその背中があまりにも寂しそうに見えて、余計な事をべらべら喋ってしまったと後悔した。
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