第8話 憤怒の大将軍

「おう、なにしに来た?」


「そんな怖い顔をしないでくれジャッキー、色々と話したい事があるんだ」


 アドラーナ達を宿に預けてから2日経った。


 宿を出てその日の内にジャッキーと話せるように軍部に向かって使いを出したが、ジャッキーから「当分顔を見たくない」という返信を受け取り、散々使いを出して2日後の今日ようやっと会えた。


「姉さんはあれからずっと部屋に籠ってる、あんな姉さんは初めてだし。お祖父様も相当怒ってるぞ。知ってるだろ、俺たち孫の中でお祖父様は姉さんを一番可愛がってる。俺も呼び出されて話しをしたけど、あれは現役の頃より迫力があるかもしれない」


 ジャッキーには4人の姉弟がいる、その中でも最も軍で出世したのは王直属近衛兵歩兵隊長のジャッキーだが、最も戦場で強いのはエリシアだ。


 エリシアはイオレクに自ら師事をこい、姉弟の中で誰よりも努力した。


 そんなエリシアをイオレクは誰よりも厳しく、誰よりも可愛がった。


 チェインはごくりと唾を飲んだ。


「まあ、エリシアには最悪な場面を見られたからね。誤解を解くのは大変だろうな」


 イオレクが怒っていると聞いてチェインは気が重くなった、昔、郊外へジャッキーと2人で遊びに行った時に魔物に襲われた時にメチャクチャに怒られたのを思い出す。


 その時はエリシアに助けられて事なきを得たが、その後のイオレクは魔物よりも怖かったとチェインは昔の記憶を思い返した。


「さっさと聞かせろ、俺もこの件に関してはもうお前の味方はしたくない。元々は、いや、多少の同情の余地は確かにあるが、お前が姉さんに自分の"不能"を隠したまま婚約破棄なんてしたのがまずい」


 チェインはあの時のエリシアが脳裏によぎり、心臓を絞められるような心地がした。


 チェインは間違いなく、酷くエリシアを傷つけた。


「その通りだ、自分で自分を追い詰めてたとはいえ、かなり思慮に欠いた酷い言い方だった」


「それはもういい、よくはないが、今はその話しを蒸し返しても埒があかない。2日前だ、姉さんは明け方に家を出てすぐに帰ってきた。それ以来部屋に籠りっぱなしだ、いったい何があったんだ?」


 チェインは言おうと思って、どう言うかも考えて来たが。いざ言うとなると言葉が喉につっかえて出てこない。


 ジャッキーが言葉に詰まったチェインをあからさまにイライラしながら待っている。こんなに怒っているジャッキーを見るのは長い付き合いで初めてだった。


「……。裸で、その、女の子とベッドの側にいる所を見られたんだ」


 チェインはジャッキーの目を見ることが出来ず、俯いたまま、しどろもどろで話した。


「はあ?」


「その、ジャッキーと飲んでべろんべろんに酔っ払ってさ。その帰りに魔族の奴隷紋のある女の子が傭兵崩れに絡まれてるのを助けて、その子を家に連れ帰ったんだ。それで、朝、床で目覚めてその子がいるのを忘れて、服を全部脱いでベッドに入ろうとして、その女の子がベッドに寝てて二人で驚いてる所に」


「もういい、なるほど、最悪だな」


 チェインの次はジャッキーが頭を抱えた。


「一応聞くが、その子と関係は持ったのか?」


「なに言ってんだよジャッキー、僕は"不能"だ」


「……。そうだな、それで、お前が奴隷を買い集めて宿に預けているという話しはなんだ? 軍内でお前がエリシアをフッたのは奴隷遊びに目覚めたからだって噂になってるぞ」


「うわ、最悪だな」


 今度はまたチェインが頭を抱えた。


「なんで奴隷を買い集めてる、そもそも奴隷を買い漁っているというのは本当なのか?」


「奴隷は確かに買った、5人買って買い漁ってるという表現になるならそうだろう。行きがかり上でたまたまそうなったんだ。とりあえず、僕の話しを一から最後まで聞いてくれるかい?」


「最初っから聞いてるよ、早く話せ」


「ありがとう、まず、冒頭で言った魔族の奴隷の女の子。この子の話じゃ、僕は勇者父さんの本当の息子で、魔族とのハーフらしい」


「待て待て待て、なんだその話しは」


 チェインはジャッキーを手で制して話しを続ける。


「最後まで聞いてくれ、僕がなんでアドラーナさんに僕の出自なんて知っているのかと聞いたら、アドラーナさんは「私が魔王の娘だから」と答えた」


「魔王の娘? 魔王に娘がいるなんて話しは聞いたことがないぞ」


「なんでも、敗軍の将の娘という事でずっと幽閉されていたらしい」


 ジャッキーは難しい顔で考え込んだ後で首を横に振った。


「……。そんなバカな、魔王は今でも魔族の間で人気がある。本当に魔王の娘なら担ぎ上げて新たな旗印にこそすれ、幽閉は変だ。その話しを俺にしたってことは、何か信じる根拠があったのか?」


 チェインは頷いて先を話した。


「彼女は僕をチェイン・スプライトだと知ったらすぐに僕が"不能"であることを言い当てた。なんでも、魔族の男は皆"不能"らしい。魔族では女が気に入った相手に|誘惑(チャーム)という魔法をかける、すると魔族の男の生殖器が初めて機能するそうだ。実際、僕がいくらナニをしてもどうにもならなかったアレが大きくなった」


 ジャッキーは口をあんぐりと開けて黙った。


「……。お前、じゃあ、やっぱりその女とやったんじゃ」


「だからやってないってば、彼女は僕を魔王の仇として殺しにわざわざここまで来たんだぞ? そんな僕と関係を持つと思うか?」


「……。確かに」


「とにかく、胡散臭いんだ」


「そうだな」


 チェインの"胡散臭い"という言葉に、ジャッキーは特に反応を示さず静かに同意する。


「あまりにも都合良く僕と出会っている、それはもしかしたら本当にたまたまかもしれないんだけど」


 チェインは自分が"チェイン・スプライト"だと知った時のアドラーナの反応を思い返した。


 あの反応は、間違いなく本当に驚いていた。


「あの傭兵崩れに絡まれていたのは演技だろう、恐らく、軍部の者が通るのに合わせて演技を始めて、軍部の人間に接近し」


「そこからお前まで辿るつもりがいきなりお前を引き当てたって訳か?」


 ジャッキーがチェインの言葉を引き取る。


「多分ね、アドラーナさんが捕まっていたっていう奴隷商人の所に行ったけど、あれは商人じゃなくて元傭兵だろう。あまりにも戦い慣れた空気を纏ってた。それに、奴隷紋は一年おきに更新しないと死んでしまうらしい。なのにアドラーナさんが逃げ出すのも変だしね」


 アドラーナが奴隷紋を更新しなければ死ぬという呪いを知らなかったとも考えられない。


 奴隷にその効果を言っておかなければ折角の逃亡阻止の効果が薄れるからだ。


 何より、あの奴隷売り場は汚すぎた。貴族を相手にあれでは商売が成り立たない。


 おそらく、チェインが来るのに合わせて表の通りだけを掃除して取り繕い、地下の奴隷を繋ぐ場所は面倒でほったらかし。


 臭いは香でごまかしていた。


 そうチェインは考えた。


「傭兵絡みか、頭が痛いな。それで、なんで奴隷を買ったんだ?」


「あぁ、アドラーナさんがいれば僕の"不能"が治るから。今度こそエリシアに結婚を申し込もうと思ったんだ、それで屋敷なんかも必要だし、屋敷が必要なら人手もいるから。それなら奴隷達を少しでも救おうと思ってさ」


「お前正気か? 今からまだ姉さんに求婚する気なのか?」


 ジャッキーの言葉に、チェインは眼に力を込もった。


「もちろんだ、僕はその為に人生を掛けてきたんだ。一度は諦めたけど、可能性が出たからにはもう、今度は諦めない」


「……。はあ、よし、じゃあ、お祖父様に会いに行こう。まずはお祖父様だ。お前、腕の一本は覚悟しておけよ」


「イオレクおじさんか、でもどうして?」


「もう一度、姉さんに求婚するなら家長であるお祖父様を通さないと不可能だ。それに、お前が本当に勇者と魔族のハーフなら、勇者と旧知の仲だったお祖父様が何か知ってるかもしれない」


「なるほど、良く教えて貰ったな。総大将であるイオレクおじさんが本営に陣取って戦を指揮、そして父さんが前線で戦った」


 チェインは前にイオレク会って一月も経ってない、だが、なんだか久しぶりに会うような気持ちになった。


 チェインはイオレクに会いに行くのにこんなに緊張するのは初めてだなと胸をさすった。


 ジャッキーに連れられ、ストリーム家の屋敷へと来た。相変わらず立派な屋敷だと、チェインは見上げた。


 どうせ屋敷を買うならこれより大きな屋敷が良いとぼんやりチェインは考えた。


 それならエリシアを妻に迎えても恥ずかしくないと。


 門を潜り、中庭を抜けて屋敷の扉を抜ける。


 屋敷の玄関フロアにいた使用人がチェインを見て明らかに顔をしかめた、チェインは歓迎されてないのを肌で感じる。


 記憶にあるイオレクの部屋への道すがら、会った使用人全員がチェインを睨んでいた。


 イオレクの部屋の扉を、ジャッキーがノックする。


「お祖父様、少し話が。チェインを連れて参りました」


「…………。入れ」


 長い沈黙の後、チェインが聞いたことのない低い声で返事があった。


 中に入るとイオレクがすでに剣を抜いていた。


「じーちゃんっ、ちょっと待って、結構ややこしい話があるんだっ!」


 ジャッキーが青い顔で叫ぶ。


「退けジャッキー! 話しはその小僧を斬ってからだっ!!」


 鬼のような形相でイオレクが叫ぶ。


「斬ったら話が出来ないじゃないかっ! 大事な話なんだ!」


「儂の孫娘の涙より大事な話しなんぞあるかっ!!」


「申し訳ございません、イオレク将軍」


 跪いてチェインも叫んだ、騎士の礼ではなく、謝罪や贖罪を乞う時の首を差し出す跪き方。


 チェインは謝るしかない。


「僕の至らなさでエリシアを傷つけてしまいました」


「ぶっ殺してやる!!」


 イオレクの凄まじい剣幕に、チェインは幼少の記憶が甦った。


 殺されかけた魔物よりも恐ろしいと震え上がった時の記憶が……。

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