勇者の息子と魔王の娘(仮)

金城sora

第1話 婚約破棄

「エリシア、婚約を破棄させてもらう。……、元々が正式な婚約じゃなかった。理由は、他に好きな女性が出来た、それだけだ。これ以上話しても君にとってつまらない話だから終わりにしよう。それから、君もやりにくいだろうから僕の万騎部隊副官の座も降りてもらう。それじゃ、君の幸せを陰ながら祈っているよ」


 そう言って、彼女の愛しい人、チェインは去っていった。


 チェイン万騎部隊直属騎馬隊3,000の軍事演習終了後、エリシアはいつもとは精細を欠いていた隊長のチェインに苦言を呈し、部隊の幹部数名の前で二人が口論になりかけた時だった。


 チェインは脈絡なくエリシアの言葉を遮ると、一方的に別れを告げた。


 エリシアは傍目にはいつもと変わらないまま、眉一つ動かさずに婚約者の言葉を聞き、去っていく後ろ姿を眺めていた。


 チェイン万騎部隊にあって"鋼鉄の副官"の異名通り、いつ如何なる時も動じない。


 横で見ていればそうだが、エリシアの心中は千々に乱れていた。


(信じられない、どうして? 幼い頃からずっと一緒にいた、なぜ今さら私の元から離れていくの……)


 エリシアにとって彼は、肉体の、精神の、人生の、世界の一部。


 チェインは勇者の息子、正確に言えば、勇者バルハラーが戦地で助けた戦災孤児。


 エリシアは勇者バルハラーと共に戦場を駆け回った大将軍イオレクの孫娘、イオレクとバルハラーが戦後も親しくしていたので自然とエリシアとチェインもよく一緒にいた。


 勇者バルハラー・スプライトに拾われ、チェインはいつもその恩に報いようと勉学に励み、肉体を鍛え、誰もいなくても常に自分を律して鋼のような精神を築いていた。


 それは勇者バルハラー亡き後も変わらなかった。


 そうやって健気に自らを積み重ねるチェインをエリシアは一番近くで見守ってきた。


 何よりも、エリシアがチェインに惹かれたのは、どれだけ辛くても笑顔を絶やさず、いつでも他人を労る姿。


 自分の感情を押し隠し、他人に優しく出来る強さ。


 エリシアにとってチェイン・スプライトはそんな誰もが描く理想の人間。


(確かに、私ではチェインに釣り合わないのは事実だ)


 エリシアはそう思った、いつも思っている。


 チェインは戦場にほとんど出ていないのに22才という若さでウェザーラ王国万騎長マルズバーン筆頭にまで登り詰めた。中には「たかが親の七光りだ」という者もいるが、賢い者は分かっている。


 勇者バルハラーを遥かに超えるチェインの才能。


 エリシアもその一人だ、エリシアは大将軍である祖父から英才教育を受け、チェインの力になりたくてチェイン万騎隊の副官にまでなった。


 チェインの万騎部隊がどの部隊よりも強いのは、自分が支えているからだという自負もあった。


(それでも、やっぱり私ではチェインの隣は務まらなかったんだ)


 去り行くチェインの背中を、エリシアは棒立ちのまま、悔しさや歯痒さ、状況に追い付けない思考はぐちゃぐちゃで、涙も流さずに歯を食いしばって見送った。


 屈辱でもあった。


 確かにチェインの方が階級は上で仕事も出来る、単純な強さは言わずもがな。


 だが、一つ年上の幼馴染みという関係性上、プライベートでは常にエリシアは姉のような立ち位置だった。


 恋人のような間になった後も、リードしていたのはいつもエリシアだった。


 エリシアはあんな風にチェインから見下されるような視線を向けられたのは、初めてだ。


 むしろ、チェインが誰かをあんな風に冷たく突き放すのを見たことがなかった。


(いや、そんな私の姉貴風もチェインには煩わしかったのか……。わからない。つい昨日までは、チェインの事を自分が誰よりも分かっているつもりだったのに)


 チェインが一歩自分から離れていく毎に、エリシアは心も体も離れていく気がした。どんどんチェインの事が分からなくなる。なぜ。なんで。どうして。


 頭がグルグルと回る、考えても考えても、パニックを起こしているエリシアの頭はなんの答えも出せない。


 チェインが離れていく。


 それが現実に起こっていて、それが信じられない。


 なぜ


 なんで


 どうして


 わからない


 何処へ行くの


 涙も流せないまま、エリシアはチェインの行った方向と真逆を向いて歩き始めた。


(涙は、流してはいけない。私も大将軍の孫娘だ。そう簡単に弱いところは見せられない、すがるような無様な事はしない、出来ない。チェインが、私を必要としないなら、それを受け入れるまで……)


 エリシアはその場を振り向きもせずに歩き去った。



 ~~・・~~・・~~



 一夜明け、エリシアはベッドの上で起き上がり、寝不足の鈍い頭で今日のするべき事を思い起こした。


(お祖父様には、すぐにでも言う必要があるだろう。婚約云々の前に、私は副官の座を下ろされたのだから)


 現在、エリシアの祖父イオレクは前線を退いてウェザーラ王国軍総司令となっている。


(気が重い、お祖父様は私を小さな頃からずっと可愛がってくれ、私と同じようにチェインの事も可愛がっていた。結婚はなくなったと言えば、どんな顔をするだろう……)


 眠れない夜を過ごし、川淵の濁った流れのように思考が淀む。


 昨日はチェインと別れた後、誰にも優しくされたくなくて、努めていつも通り、普段通りを装った。


 装った・・・、その言葉通りだ。エリシアの心は普段とは掛け離れている。


 思考の大部分が常に自分に語り掛けている。


『なぜチェインは去ったのか?』

『どうして?』

『なにか心当たりは?』

『他に好きな人?』


 チェインの周りには、もちろん言い寄る女性は少なくない、女性だけではない。名のある貴族や武家が自分の娘をあてがおうと画策している。


「はぁ」


(何を考えてる)


 コンコン。


 エリシアのため息を聞きつけたかのように、扉がノックされた。


「お嬢様、ご起床のお時間です」


「入ってくれ」


 幼い頃からずっと一緒にいるメイドのジョアンナがエリシアの軍服を持って入ってきた、立ち上がり、エリシアはジョアンナが自分を着せかえるに任せる。


 着替えが終わるとジョアンナはエリシアの心中を察してなにも言わずに部屋を出ていった。


 軍服の胸元、そこにはチェイン万騎部隊副官の紀章があった、エリシアは少し躊躇い、紀章を外した。


 外した手は僅かに震えていた。


 紀章を軍服のポケットにしまい、背筋を伸ばして部屋を出る。


 広い屋敷の中を迷いなく進む、目指すのは祖父の部屋。本来ならば昨日にでも報告するべきだったが、チェインとの話の後は風呂に入り食事もせずに部屋にこもった。


 気は重いが、軍に所属している以上この報告は内輪も含むが軍務も含まれている。これ以上先延ばしには出来ない。


 ストリーム家の屋敷で最も立派な扉の前に立った、ストリーム家当主、イオレク・ストリームの部屋、エリシアの祖父の部屋。


(この部屋に入るのに、こんなに気が重いのは初めてだな)


 エリシアは分厚い樫木の扉を軽く叩いた。


「お祖父様、エリシアです」


「入りなさい」


 まるで待っていたかのようにすぐに返事が返ってきた。部屋に入ると執務机に座った祖父が優しい笑顔で出迎えてくれた。


「おはようエリシア。今日は良い朝だな、こんなに早くから可愛い孫娘が顔を出してくるとは」


 上機嫌な祖父を前に、エリシアはさらに気が重くなった。


「おはようございます、お祖父様。今日は軍務の事で少しご報告が」


「なんだ仕事か、何かあったか?」


 イオレクはわざとらしく落胆して見せる、が、その目は孫娘のいつもとは違う様子を機敏に見分けていた。


「……。はい、この度、私はチェインとの事実上の婚約関係を破棄することになりました。それと同時に、チェイン万騎部隊の副官の座も降りることに。公私混同とも取れますが、軍務に支障をきたしてはという配慮もあります。それと」


「待て待て待て、エリシア、どういう事だ? まるで話しがわからない。なぜそんなことに? あれほど……。あれほど睦まじかったじゃないか」


 予想外の孫娘の報告に、"百略"と言われた大将軍が狼狽を隠せない。


「エリシア、いったい、何があった?」


 見るからに気丈に振る舞おうとしている孫娘、元気のないその表情を見て百戦錬磨の大将軍は優しくそう言うので精一杯だった。


「……。すみませんお祖父様、2人の間の事ですので、もう少し時間を頂けますか。必ず報告致しますので」


 エリシアはまっすぐにイオレクの目を見つめていたが、とうとう視線をそらしてしまった。


 イオレクはその仕草に胸が傷んだ。


「……、儂から、チェインと話しをしても良いか?」


「お待ちを、私ももう少しチェインと話しをしてみます」


「……、分かった。いつでも話しを聞くから、時間を気にせず来なさい」


「ありがとうございます、それから、これを」


 エリシアはポケットから万騎部隊副官の紀章を取り出し、そっと事務机の端に置いた。


 イオレクはそれをチラと見て、小さく唸った。


「預かっておこう、他になにかないか?」


「ありません、以上で報告を終わります」


「分かった」


 イオレクは扉から出ていく孫娘の背中を見送った、なにか辛いことがあるといつも無理に背筋を伸ばそうとする。


(儂の恥じにはならぬように鍛えてほしいと言われて、剣を教えてもう15年か……。何をおいても自慢の孫娘だが、寡黙な所まで儂に似てしまったのは口惜しい)


 王国一の大将軍は、愛に悩む孫娘の背中を寂しく見守るしか出来ない自分が歯痒かった。


 戦場全てを意のままに操ってきた故に、なにも出来ない事に多大な無力感を感じる。


(エリシアよ、世は平和なのだ。幸せを追うことは恥ではないぞ)


 孫娘を悲しませた、戦場の友の息子。


 老将は戦友の息子に初めて憎悪を抱いた、事務机の端に置かれたチェイン万騎部隊副官の紀章を粉々に打ち砕きたい衝動を抑え、静かに引き出しにしまった。

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