第23話 剣を交える
「……父上」
レニーが剣を収める。
ヴァージルはふっと笑った。
「覚悟を決めたようだな、レニー。魔獣と戦い民を守る辺境伯として生きていくというのは、生半可な気持ちでは務まらぬことだ。その道を歩むことを自ら決意したお前を誇らしく思う」
父はこうして息子が自ら覚悟を決めるのをずっと待っていたのだなと思った。
レニーの意思など関係なく後継者指名することもできた。だが、そうしなかった。
次代の辺境伯になると強く心に決めた者でなければ、剣気酔いを含めたあらゆる困難を乗り越えていくことはできないからなのだろう。
「剣気酔いの苦悩はガードナー家の直系の男なら誰もが通る道だ。私にもお前の悩みはわかる。血に酔う己を御せずに道を踏み外した者もいるし、逆に完全に剣を捨てて逃げ出した者もいる。私の兄のように」
「!」
それは初めて聞く話だった。
父ヴァージルに兄がいたという話すら知らなかったのだ。
「気の強い弟でもいればお前も救われたのだろうが、
ヴァージルが剣を抜く。その剣身が青白い光に包まれた。
「命を賭けた極限状態の戦いにおいて剣気を扱うことに慣れる。これしか剣気を御す方法はない」
「……父上を殺してしまうかもしれません」
ヴァージルが口の端を上げて不敵な笑みを浮かべた。
「はっ、自惚れるなよ。お前の方が若く才能があっても、私には豊富な経験がある。お前にやられるほど衰えちゃいない。お前こそ手加減なんぞ考えていたら死ぬぞ」
「……」
レニーはなかなか剣を抜かない。
ヴァージルは口元に薄ら笑いを浮かべながら、ただ待つ。
「まず、自分の獣性を否定するな。剣を握っているお前はただのケダモノだ。もちろん私もだ。そうでなければ、常人では扱いきれないほどの気を発することなどできないのだ。それを受け入れ、血に飢える己が獣を飼い慣らせ」
「飼い慣らす……」
「戦場ではケダモノなくらいがちょうどいいんだよ。もちろん冷静さも必要不可欠だがな。ほらいい加減抜け」
そう言われ、レニーが躊躇いがちに剣を抜く。
剣身がかすかに光をまとった。
「もっとひねり出せよ。理性をなくして私を殺すのが怖いか? なら優しい父がもう一つだけコツを教えてやる。理性を完全に失いそうになったら、――――」
言い終わると同時に、ヴァージルが距離を詰め、剣を振り下ろす。
レニーが自分の剣でそれを受けた。そしてヴァージルの剣を力ずくで押し返し、攻撃に転じる。
剣はヴァージルの肩付近をかすっただけだったが、彼のシャツの肩口は一瞬で赤く染まった。
それに怯むでもなく、ヴァージルがわずかなフェイントを入れてから鋭い突きを繰り出す。
レニーは身をひねって避けたが鋭い切っ先が左腕をかすり、今度はレニーの腕から出血した。
剣気をまとった剣は切れ味を増しており、かすった程度でも出血する。まともに食らえば腕一本、下手をすれば首すらなくなるだろう。
剣気を使う者同士の手加減なしのギリギリの戦いに、レニーの高揚感は増していった。
心臓は激しく動き、口が笑みの形をつくる。
「いい感じに理性を失ってきたな」
それには答えず、レニーはさらに攻撃を繰り出す。
打ち合うたびにに二人の切り傷は増えていき、床に血の跡が点々とするほどだった。
実力はほぼ互角だが、完全に戦いに溺れている分、レニーがやや上回っている。
レニーの剣が、光を増していく。ヴァージルは苦笑を浮かべた。
(俺は、なぜ戦っているんだった? あァ、でも、もうどうでもいい。目の前の
「アレクシア」
そう言ったのは、ヴァージルだった。彼にとどめを刺すため踏み込もうとしていたレニーの動きが止まる。
――理性を完全に失いそうになったら、愛しい女の顔を思い出せ。
真っ赤に染まっていた頭の中を、長いまつ毛が影を落とす青い瞳が、銀色の柔らかな髪が、淡く色づく唇が一瞬で占める。
その隙に、ヴァージルはレニーの剣を弾き飛ばした。
「……!」
「思った以上に効果てきめんだったな。だが効果がありすぎたようだ。こうまで極端だとお前が死ぬぞ」
「……っ」
さすがに言葉が出てこない。
色々な意味で恥ずかしかった。
「たった一人の女に深く惚れるのもガードナーの男の特徴らしいぞ。恥じることはないさ。好きなだけ悶々としとけ若者」
ヴァージルが剣を鞘に収め、その場に立ち尽くしたままのレニーに背を向ける。
「慣れないうちは戦闘直後も思考回路がまともじゃないから、怪我の手当てでもしながらここでしばらく頭を冷やしてから戻ってこい。では、明日同じ時間に」
それだけ言うと、彼は訓練所を出て行った。
彫刻のように固まっていたレニーが、大きく息を吐く。
落ちていた剣を拾って鞘に収めるが、体が熱くて仕方がない。運動に伴う熱とは明らかに違っていて、剣気の副作用なのだろうと理解した。
シャツのボタンをひとつふたつと開け、袖で額の汗を拭う。なかなか汗が引かない。
ふと視線を落とすと体にはいくつもの傷があり、白いシャツはあちこち破れて赤い染みだらけになっていた。
特に腕の出血がひどく、ダラダラと血が流れている。
この傷だけでもなんとかしようと、訓練所に常備してある薬箱から包帯を取り出し、巻いていく。
少しずつ、頭の中が冷静になっていった。
(次は汚れてもいいように黒い服にしよう。それにしても……)
戦いに我を忘れていたというのに、アレクシアという名を聞いた瞬間、完全に動きが止まってしまった。
理性を取り戻したのはいいが、こんなにも極端だと父の言うとおり自分が危険だ。
(ここまでの効果が出るのは不意打ちだった今回限りだろうが、それにしても恥ずかしすぎる……。思春期か俺は)
女性に夢中になるという感覚を初めて知った。
そしておそらくこれが最初で最後だろうと思う。
「……アレクシア」
アレクシア嬢ではなくアレクシアと、いつか呼べる日が来るのだろうか。
目をつむると、
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