第22話 手紙


 レニーの部屋は広いが、調度品などは最低限のものしか置いておらず、どこかがらんとしていて寂しい印象を与える。

 ランプの薄明りの中、レニーはベッドに寝転がって己の手をじっと眺めていた。

 つい先ほどまで、訓練所で剣を握っていた手。

 まずは真剣に慣れようと、剣を抜いて柄と手を布で固定した。剣を手放してしまわないように。

 待っていたと言わんばかりに“気”が意図せず剣へと流れ込んでいく。

 戦闘時ではない上に大した量ではないから酔うほどではなかったが、肚の底からふつふつと愉悦のようなものが湧き上がってきてぞっとした。

 やはり自分の中には血を好む獣が潜んでいるのか。剣気酔いなど関係なく、ただの戦闘狂なのではないか。

 そう思うと、剣を手放したい気持ちになった。


(だが、逃げるわけにはいかない。もう情けない男ではいたくない)


 健気な幼い妹に余計なものを背負わせたくない。幸せに笑っていてほしい。

 そして……。

 ノックの音に身を起こす。

 扉を開けると、今日の夕食に姿を現さなかったアレクシアがいた。


「……アレクシア嬢」


 彼女が部屋を訪ねてきたのは初めてで、レニーは緊張する。

 何か用があってのことだろうが、それでも妙に意識してしまう。


「夜分に申し訳ありません」


「いえ、俺は構いません。その……」


 中にどうぞ、とは言えない。

 彼女の部屋に入ったことは何度かあるが、彼女が自分の部屋に入ったことはない。

 自分の領域の中に彼女がいるという状態で平静を保てるか自信がなかった。


「お渡しするものがあってまいりました。すぐに部屋に戻りますわ」


 そう言って彼女は封筒を差し出す。


「これは?」


「差し出がましいとは思いましたが……手紙を預かってまいりました。例の事件の姉妹から」


「……!」


「負担に思うのなら読まなくて構いません。ただ、一つだけ……。姉妹はレニー様に心から感謝しておりました。笑顔のまぶしい、明るい子たちでしたわ」


「……」


 レニーがのろのろと手紙を受け取る。

 あの姉妹がどう暮らしているか、調べようと思えばいくらでも調べられた。

 だがレニーはそうしなかった。もし姉妹があの事件を引きずっていて心の病にでもなっていたら、不幸だったらと思うとできなかったのだ。

 だが、アレクシアはわざわざ町にまで行って直接姉妹に会い、手紙を持ってきてくれた。

 彼女が自分のためにそこまでしてくれたことがうれしくて、胸が温かくなる。


「ありがとうございます、アレクシア嬢」


「ただのお節介ですから、お気になさらないでください。では、これで失礼いたします」


 引き止める間もなく、アレクシアが背中を向ける。

 慌てて廊下に出ると、メリンダがそこにいてぺこりと頭を下げた。

 薄暗い廊下でも輝く銀色の髪と華奢な背中が遠ざかっていく様をしばし眺めていたが、彼女の姿が完全に見えなくなったので、部屋に戻ってソファに掛けた。

 少し躊躇ったのち封を開け、手紙を取り出す。

 まず目についたのは、たどたどしい文字で書かれたお礼の言葉。

 読み進めていくと、あのとき命を助けてもらって心から感謝している、助け出された瞬間はすっぽりと頭から抜けていて覚えていない、今は家族皆で元気で暮らしているといった内容が書かれていた。

 事件のあと両親から礼状は届いていたが、当人たちから手紙をもらったのは初めてだった。

 手紙の最後は「いまいきていることがうれしいです、ほんとうにありがとうございました」と締めくくられていた。

 読み終わって、レニーは長く息を吐く。

 凍っていた心の一部が、溶かされたかのような気持ちだった。


(アレクシア嬢の言ったとおりだった。人は生きていれば立ち直れる。剣気は恐ろしいものだが、忌むべき力ではない。人を守る大きな力にもなり得るんだ。その答えを得るのはこんなにも簡単なことだったのに、俺はそんなことからも逃げ続けていた)


 だがもう逃げる気はない。

 辺境伯子息としての責務を果たすため。妹を幸せにするため。そして、彼女に選ばれるために。

 誇り高く自由なアレクシアが、いつまでも過去を引きずってうじうじ悩んでいる男を生涯の伴侶に選ぶことはないとわかっている。

 そうしてもたもたしている間に、彼女の上辺の美しさではなく本当の魅力に気づく男も出てくるだろう。


(彼女を誰にも渡したくない。彼女のすべてを独り占めしたい。こんな気持ちになったのは初めてだ)


 本当の婚約者になり、やがて夫婦になる。たとえ夢としてでも、そんなことは想像できなかった。あまりに現実感がなくて。

 それなのに、彼女が他の男のもとへと去っていくシーンだけはやたらと鮮明に頭の中に浮かぶ。

 そんな妄想が頭の中をよぎるたび、剣気酔いにも似た昏い感覚がじわりと湧き上がってくるのを感じる。


(……何を先走っているんだ、俺は。まだ振られたわけでもないのに。今は目の前のことに集中するしかない)


 今日はもう寝てしまおうと思っていたが気持ちが落ち着かず、レニーはまた訓練所へと向かった。


 昼間は騎士たちの熱気であふれる訓練所だが、さすがに皆が寝静まる時間ともなると誰もいない。

 耳鳴りがしそうなほどの静寂の中、レニーは腰に佩いた剣を抜く。鞘と剣がこすれる音が響いた。

 覚悟を決めたためか、剣を持つことそのものについては抵抗感がなくなってきている。

 だが、問題は剣気だ。

 人間相手ならともかく、頑丈な魔獣相手では剣気を使えるのと使えないのとでは殲滅の難易度に大きな違いがある。

 だからこそ、強力な剣気を使える辺境伯は代々先頭に立って魔獣退治を行うのだ。


 レニーは短く息を吐き、意を決して気を剣に流し込んだ。薄暗い室内で、剣身が仄かに青白く光る。

 そのまま、型通りに剣を振るっていく。青白い残像と刃が風を切る音に、気分が高揚するのを自覚した。

 しばし剣を振り続け、やがて剣を下ろす。

 

(だめだ、こんな量の剣気では練習にもなりはしない。やはり実戦で使うしかないのか)


 レニーはいまだに魔獣と戦ったことがない。剣気をまともに扱えるようになるまでは、戦場に出ではいけないことになっている。

 魔獣との戦闘においては剣気を多く使う。その分、理性も失いやすい。

 魔獣を目の前にしている状況で指揮を執るべき立場の人間が自制心を失えば、全滅もあり得る。

 ならば人間の凶悪犯相手に剣気を使えばいいのかと思うが、辺境伯子息が出るような事件はせいぜい数か月に一度、しかも剣気を使うということは相手を殺すということになる。

 相手が凶悪犯であっても、極力生け捕りにして情報を引き出さなければならない。


(どうしたら剣気に慣れることができるんだ? 命のかかったギリギリの戦いをすること、剣気そのものに慣れること。それしか剣気酔いを克服する方法はないというのに)


 剣の柄を強く握ったそのとき。


「苦戦しているようだな?」


 聞きなれた声が響く。

 いつの間にか開いていた扉のところに立っていたのは、父ヴァージルだった。

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