第7話 辺境伯と辺境伯子息


(……腰が痛いわ)


 仮の婚約話を受諾し、準備を整え早々に辺境伯領へと向かったアレクシアがようやくヴァンフィールド城を目にしたのは、王都を出発して二週間後のことだった。

 嫁入りではないから実家から侍女は連れて行かず、護衛騎士を四名ほど同行させるにとどまった。

 荷馬車も一台のみ。滞在が延びるにしたがってさらに荷物が送られてくる手はずになっている。

 手がけていた事業は、いったんブラッドフォード家に返してきた。


 アレクシアの乗った豪華な馬車は、分厚い城壁に囲まれたヴァンフィールド城の敷地内へと入り、美しく整えられた前庭を通り過ぎて正面玄関の前に到着する。

 馬車の扉がノックされ、アレクシアの返事を待って扉が開けられる。

 そこに立っていた人物を見て、アレクシアは驚いた。


「初めまして、アレクシア嬢。レニー・ガードナーと申します」


「……初めまして。レニー様自らお出迎えとは、恐れ入ります」


「こちらの一方的な話を受け入れてわざわざ遠いところいらしてくださったのですから、俺……私が出迎えるのは当然です。ようこそお越しくださいました」


 差し出された手を取り、馬車を降りる。

 その手の大きさと手のひらの硬さに驚いた。

 地面に足をつけ、思いきり体を伸ばしたい衝動を抑え込んでレニーを見上げる。


(この方が、もしかしたらわたくしの夫になるかもしれない、レニー様)


 アレクシアも女性の中では背が高いほうだが、それよりも頭一つ分大きい。

 服の上からでもわかる、厚い胸板と太い腕。

 侯爵家の優秀な護衛騎士と比べても見劣りしない。むしろ彼らよりも立派な体躯をしている。


(顔が小さくて足も長い。スタイルは抜群ね)


 同時に、この体で気弱とは、と思う。

 かなり訓練をしなければこんな体つきにはならないことは、荒事には縁がないアレクシアにもわかる。


(見た目だけならかなり強そうなのに、どんなふうに気弱なのかしら?)


 そう思って見上げた顔は、姿絵そのままだった。

 男性的な顔立ちではあるものの、たれ気味の目が優しい雰囲気を醸し出していて、怖そうという印象はない。

 アレクシアの視線に気づいたのかレニーは彼女を見下ろす。

 目が合うと、彼が照れた様子であわてて目をそらした。


(あら……かわいらしい。女性に慣れていなさそうね)


 いえいえ油断はならないわとアレクシアは気を引き締める。

 社交界デビューしたアレクシアの姿を見て頬を染めていた第一王子クリストファーは、その一年後浮気した。


「ご案内します」


 緊張した面持ちのレニーにエスコートされ、応接室へ通された。


「私はいったんこれで失礼します」


 レニーはかるく頭を下げ、去っていった。

 彼に対して丁寧で優しそうという印象を抱いたアレクシアは、やはり油断してはだめだと気を引き締める。

 初めは優しくて紳士的だったクリストファーは、最終的にアレクシアを罵った挙句婚約破棄を突きつけた。

 そこまで考えて、ため息をつく。


(こんなに後ろ向きなのは、わたくしらしくないわ。案外……わたくしは傷ついていたのかしら)


 男性というものを、信じられなくなっている気がする。

 とそこで、ノックの音が響いた。

 入室してきたのは、レニーよりもさらに立派な体躯の、四十代とおぼしき男性。

 後ろにやや適当に流した黄金色の髪と、鋭い目元を彩るレニーと同じ紫がかった青の瞳。

 顔にもいくつか傷があり、歴戦の騎士らしい風体である。そのたてがみのような髪もあいまって、獅子を連想させる人だと思った。

 アレクシアは立ち上がった。


「よく来てくれた、アレクシア嬢。辺境伯ヴァージル・ガードナーだ」


「お初にお目にかかります。アレクシア・ブラッドフォードと申します。勇猛果敢と名高い閣下にお会いできて光栄です」


「丁寧にありがとう。さあ掛けてくれ」


「恐れ入ります」


 ソファに掛けると同時に侍女が入室してきてお茶を出す。

 侍女が部屋から出たところで、「さて」と辺境伯が切り出した。


「アレクシア嬢は事情を知った上でここに来てくれたと思っていいのだな?」


「はい、もちろんです」


「最初に言っておくが。打診時に伝えたとおり、息子のレニーはヘタレだ」


(……へたれ?)


 アレクシアが首を傾げる。


「ああ、貴族のお嬢様には馴染みのない言葉だったな」


 侯爵と同格の爵位を持つ辺境伯がそんなことを言う。

 容姿といい話し方といい、貴族らしからぬ豪胆さを持つ人物である。


「まあ、意気地なしというか気弱というか、そんな感じだ。もちろん女性に対しても死ぬほど奥手だ。真面目さと誠実さは保証するから、浮気の心配だけは不要だ」


 ずいぶんいろいろとストレートに言うものだと、アレクシアは苦笑した。

 たしかに仮の婚約話の打診もすべてを正直に伝えた上でのことだった。

 

「気弱という印象は受けませんでしたが、閣下がそう仰るならそうなのでしょう。その気弱さゆえに、閣下はレニー様を後継ぎになさることを躊躇っておられるということでしたね」


「ああ。この地は北西の半島から魔獣が現れるのは知っているな?」


「はい」


 ヴァンフィールド辺境伯領の北西に位置するビジアナ半島。その半島を埋め尽くすように広がる険しいファルファラ山脈と、その麓に広がる魔の森。

 魔獣はそこから現れる。

 半島の入口には砦と防壁が設置されており、普段はそこに駐在する騎士たちで魔獣の対応している。だが、約ふた月に一度「赤い星」が空に浮かぶとき、砦付近に現れる魔獣が急速に増えるのだという。

 星が浮かぶその夜は辺境伯も砦で過ごし、魔獣の対応に当たる。


「辺境伯は騎士たちの先頭に立ち魔獣を撃退するという役割を持っている。逆に言えば、その役割をこなせない者はヴァンフィールド辺境伯になる資格がない」


「レニー様は腕は良いと伺っております」


「ああ。剣の腕そのものは問題ない。むしろ才能だけ見れば私以上だと思っている。それすらもないなら、とっくに後継者から外している。腕は良いから、もったいないと思うし迷うのだ」


「では、精神だけの問題だと」


「ああ……」


 辺境伯がため息をつく。


「レニーは真剣を扱えない。木剣での訓練なら平気だが、真剣での勝負は決してやろうとしない。騎士団も表立って侮る者はさすがにいないが、内心ではレニーを次期辺境伯とは認めていない」


「そうなのですね」


 魔獣というものを見たことがないアレクシアだったが、非常に強く、恐ろしい存在だということだけは知っている。

 その恐ろしい存在と戦うことを義務付けられたガードナー家の人々の苦悩は、察するにあまりある。

 中には戦いに向かない人もいるだろう。


「レニー様が継がない場合、レニー様の妹君に婿をとって辺境伯とされるとか」


「ああ。娘のフィオナにはかわいそうだが……ガードナー家の直系の血を絶やすわけにはいかないんだ」


 辺境伯に相応しい心も体も強い人間を、娘の婿にする。

 長男がいながらそのように後継ぎを決める家は、珍しいどころかほぼない。

 おそらく年齢や容姿は二の次になるだろう。令嬢にはつらいことである。


「ヴァンフィールド辺境伯という地位は、過酷なのですね」


 そこまでして強い者を辺境伯に据えなければいけないなんて。

 そう思っても、それを口に出すほどアレクシアは愚かではない。

 他家の事情に口を出すなどもってのほか、ましてや国にとって重要な任務を担っている家なのだから。


「そういうわけだから、仮の婚約者という形で打診したのだ。君のように若く美しい侯爵家のご令嬢を、一介の騎士の妻にするわけにはいかないだろう。まさか受けてもらえるとは思っていなかったが」


「お褒めいただき光栄ですわ。ですが、わたくしは王都でも有名な高慢な悪女ですのよ。おまけに第一王子殿下に捨てられたのですから、新たな縁談など望めない身です」


「悪女には見えないな。それに、このように美しく堂々としたご令嬢が縁談に困るなど、信じられない話だ。私を前にして気後れせぬご令嬢など滅多にいないというのに。王都の若造どもは見る目がないな」


「まあ、閣下。お上手ですわね」


「本心だ。私が若くてなおかつ亡き妻と出会う前だったなら、膝をついてアレクシア嬢に求婚していただろう」


 辺境伯が声を上げて笑う。

 求婚の話は冗談なのはわかっているが、そう言われて悪い気はしない。

 アレクシアの口元にも、作り笑いではない笑みが浮かんだ。


「とまあこんな感じで、私は君をとても気に入った。だが、選ぶ権利は君にある」


「閣下。後継ぎを決める前にわたくしに仮の縁談を打診したのは、わたくしの気の強さがレニー様を変えるかもしれないと思ってのことなのでしょう」


「大変失礼で情けない話だとは思うが、その通りだ。それに、君のように美しい女性に惚れれば、君にふさわしい強い男になろうと思ってくれるかもしれないという思いもある。それだけ切実な問題なのだ」


「ふふ、失礼とは思いませんわ。すべて正直にお伝えくださって、その上でわたくしが選んだのですから」


 そう言いつつも、世間的に見ればこの仮の婚約話が失礼かつ馬鹿げた話であることはわかっている。

 女性に跡継ぎ候補の性格を変えてもらえればなどという話を出すのは、ガードナー家にとっても恥となることも。

 だが、アレクシアは不快には思わなかった。


「ありがとう。だが、我が家の事情のために君を犠牲にしようと考えているわけではない。帰りたくなったらいつでも帰っていい」


「お気遣いありがとうございます。ではレニー様にまったく興味を抱けないようでしたら、帰りたいと思います」


「ははは、その率直な性格が好ましい」


 再度、辺境伯が声をあげて笑う。

 アレクシアは粗野ともとれる辺境伯の性格を、むしろ好ましく思った。

 社交界は腹の探り合い、足の引っ張り合い。

 腹芸ができない者は、社交界では圧倒的に不利である。

 だが、その社交界にうんざりしていた今、この愚かしいまでの素直さに、むしろ安心感を覚える。

 アレクシアのきつい物言いすらも好ましいと言ってくれるその懐の深さにも感銘を受けた。


「では、閣下。わたくしはいろいろと見極めるために、ここにしばらく滞在させていただきたいと思います」


「ああ、是非そうしてくれ」


「わたくしはこの城ではどのように振舞えばいいのでしょうか。客人としてか、あるいはレニー様の婚約者としてか」


「将来のことなども考え、アレクシア嬢に選んでほしい。どちらのほうがいいのか」


 ここは王都から離れているし、たとえレニーの婚約者、もしくは婚約者だったと噂が立ったところで、アレクシアにとっては痛くもかゆくもない。

 逆にここで客人ということにしてしまえば、レニーと交流するのは端から見れば異質に見える。

 それなら立場をはっきりとさせてしまったほうがいい。


「では、婚約者として振る舞うことをお許しいただけますか?」


「ああ、もちろんだ。使用人にも周知しておこう。侍女も手配する」


「何から何までありがとうございます」


「こちらこそ。本当によく来てくれた。よろしく頼む」


「はい、こちらこそよろしくお願いいたします」


 こうしてヴァンフィールド城におけるアレクシアの仮の婚約者生活が始まった。

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