また明日も生きれますように

雪月華月

また明日も生きれますように

 電車がガタンと揺れた。減速したときに車体が軽く揺れたようだ。それまでぼんやりとしていたが、揺れの衝撃で急に自分を取り戻した。ぱちぱちと瞬きし、周囲を軽く見渡す。電車の中の乗客はまばらで、背中を曲げて青年がスマホを見てたり。老婆が孫らしき小さな子供に話しかけていたりした。穏やかな光景だった。だいた外の景色も田んぼが見え始め、のどかさが漂っている。


 そんなところで、私は思ってた。

 上司、殴りそうだったなぁと。


 電車はガタガタと小刻みにゆれ、目的地の温泉へと向かっていく。


 微妙な自慢が激しい上司だった。普段は気はいい、良い人ではあるんだが。微妙な自慢が激しい。


「昨日、大口の契約を取ってきた加藤って、大学の後輩なんだ」と言ってきたので、詳しいつながりを聞いてみたら、何故かはぐらかされ。気になって加藤の方に聞いてみたら、飲み会で何回か飲んだだけで、先輩と後輩というより、顔を知ってるか微妙な知り合いだった。


 仕事には影響はないが、微妙な嘘が混じった自慢をする。お人好しだが、どこか残念な上司。昨日もまたそんな自慢をしているのを見かけて、急に私は持っていたファイルで殴りそうになった。やばいとおもってキュッと唇を結んで、踵を返したのだが、あと数秒離れるのが遅かったら、殴ってたと思った。心臓がばくばくと高鳴った。


 そうしたらやばいと思う自分と、そうしたい自分が入り混じって、脳みそがバグったように興奮していた。

 自分を強く大きく見せたいだけの、どこにでもいるような人。潰したくなる。鬱陶しい羽虫を潰したくなるがごとく。実際この人だけ殴り倒しても、うるさいそれ(人間)はまだいくらでもいるのに。


 目的の温泉地にもうすぐ着くようだ。最寄り駅名を告げるアナウンスがあった。私は一人旅にでてた。

 今の私に必要なのは、独りの時間なのだ。


 どうも昔から感じていた。

 私は多分人間をやることに向いてない。

ケモノのような攻撃性が体のうちで、メラメラと燃えている。普段は見せないようにしているが、社会で生きてくうちに、攻撃したくてたまらない衝動に襲われる。


 そんな時、私は旅に出た。仕事がどんなに忙してくてもかなり強引な休みを取ってでも。自分のケモノが周囲に攻撃を加えるまえに、自分を休ませるのだ。

 どんなケモノを抱えても、自分は社会でしか生きれない。人間とつながりつづけないといけない。


 もし野花に生まれていたら、芽のうちに潰されて、こんなジトジトとした悩みを抱えずにすむのだろうか。



 宿に到着し、スタッフに案内され、部屋にはいる。奮発して予約した部屋は上品な和モダンな部屋だった。

あまりの高級感に一瞬息が詰まる。広いし、置いてある調度品も全部高いものに見えた。なんとなく場違いな感じがある。でも広い畳に横になると、なんだか急に嬉しくなった。静かな部屋で、スタッフも時間にならないと来ない。スマホも電源を切った。一時的とはいえ、つながりが切れたと実感すると、私は呼吸がスムーズに出来る気がした。


「もう、寝てたい」


 ずぅと寝てたいと願ってしまった。心が緊張感でいっぱいなほどくたびれていたことを感じる。畳の硬さ、畳の匂い、清潔感ある部屋。もうすべてを投げ出したくなる。あんなにキリキリと息が荒くなりそうになっていた

私のケモノも、畳の上でのんびりと座り始めていた。


 社会的なつながりがないと困ることは重々分かっている。だけどそれもまた重いのだ……随時人に見張られているような気がして。


「もう、何も考えたくなぁい」


 しっかりしなきゃと思う自分はここにいない。

だらだらとだめな自分でいることを許したい。

 他の人はしっかりしなさいと言うかもしれないけど、たった一人のときは、自分を許したいのだ。

 畳の上で、顔にあとがついてもかまわない勢いで、横になるのもいいじゃないか。

 子供みたいにゴロゴロしたい。無邪気に何も考えずに。


 ……二時間ほど寝てしまった。

さすがに頭が辛くなってきて、座布団を枕代わりにしていたが、流石に寝すぎたと思った。

 ぼんやりとした頭で、水を飲み、汗をかいたなとおもった。部屋の窓を少し開けていて、涼やかな風がはいってはきたが、汗で髪の毛が軽く湿っている。


「お風呂……」

 

 私はぱさりと上着を脱いだ。


 タオルやらを用意し、体の汗を流し、お風呂に入る。

小さいながらもヒノキの湯船で、ああ、ここ高い部屋だったなあとしみじみ感じ入ってしまった。温かい温泉に包まなれながら息をついた。


 疲れる夢を見たなと思った。

 私の中の疲れや毒が見せる悪夢というべきだろうか。

 気分が萎えてしまうのに、繰り返し、夢のことを思い出してしまった。


「かんぱぁい」


 和やかに始まった飲み会だった。女性二人で飲むので、飲みやすい会ではあった。相手も私のことをよく知っていたし、私も相手のことを友達の一人と認識していた。

 相手は仕事の疲れもあると言っていたが、よく飲んでいた。何故か夢の中では気にしていなかったが、目元は黒く塗りつぶされており、表情や酔いの度合いが読みきれない。けれど楽しく話せるのが嬉しくて、私と相手はしこたま飲んでしまった。


 ああ、酔ってるかもと感じる頃、相手はどこかポゥとした目で、テーブルを見ていた。テーブルの木目を見ているらしい。


「大丈夫ー? 水飲む??」


 私がのんきに声をかけると同時に、相手はぽつりと言った。


「人間なんて嫌いなのよ」


 すぅと酔いが冷めていくような、引いてくような感じがした。なに、こいつ、当たり前のことを言ってるのだろうと、私のケモノが不思議そうに吠えた。


 私は相手がどうして急にそんなことを言いだしたのかわからない。酔いがまわって、何かを言い出したのか。それともこのタイミングを狙ってわざと言い出したのか。私はフィフティ・フィフティに見えた。


 人間がまったく嫌いだと思わない人間なんて、いるんだろうか。立派な人なら嫌いなところを認めてというパターンもありそうだが。私から見れば、生きれば生きるほどに人間が嫌になってくる。遅かれ早かれ、って感じだ。


 でもそれをわざわざこの場で言う、この女に

卑怯さを感じた。自分を理解してほしい、受け入れてほしいということを、静かに静かに訴えるような、首に手をかけてくるような。ああ、卑怯だなって思った。


 人間が嫌いなら人間をやめればいい。もしそうする気もなくて、ただ自分を受け入れてほしくてそう言ってるなら、人間が人間をという存在を否定するなって。そう感じてしまった。あなたも私も、人間であることから逃げられないんだから。


「チェイサー、ひとつください」


 私は店員を呼んで、そう言った。

 相手は机に突っ伏して、うつろな目で私を見ていた。



「やだ、やだやーだやだ」


 湯船の中で、足を動かしていた。

思い出しただけでなんだかもやもやする。私が人間に嫌になるのは、このもやもやが蓄積したときだ。どうしても合わない人間に出会ったり話したりすることがある。そして不快な毒を、和やかにぶつけられる。価値観の相違にもやっとする。特にこの十年は、そのつながりが求められたり、強くなったりして、常時自分の器に毒が溜まっていく。それを舐めた私のケモノは、誰でも構わず、噛みつきたいと目をぐるぐるさせていく。


 私は誰もいない、静かな空間で、指を立てた。


「人類滅亡しろよ」とぼやいた。


 できれば私も含めて、滅亡してほしい。

割と真面目にそう思う。



 人といることで発生する毒が、体に相当蓄積していたらしい。よほど薄暗い顔をしていたのが、料理を運んできたスタッフさんが心配そうな顔をしていた。

 あ、トチっちゃたなと思って、話をそらそうと、散歩にいい場所はないかと聞いてみた。するとスタッフの方は意気揚々とこう言った。


「ああ、それでしたら、この宿の裏手から、ちょっと高台にいけるんですよ。高台には東屋もあったりして、そこで飲んでいる方もいるようですねぇ」


 なんだかいい話を聞いた気がする。夕食をお腹を満たすと、私は缶チューハイ片手に出かけた。

 確かに、宿の裏手から高台に続く道があった。

石畳でずいぶん歩きやすい。お腹を満たした体に、少し冷えた空気は気持ちよく、お酒を飲んでも、ほどよく体を冷ましてくれる気がした。とことこと、サンダルを履いた足音が軽快に鳴っていく。夜は独りで、その独りが私の心を癒やしていた。


 生まれたとき、私は独りで産道をとおり声を上げたのだ。死ぬときだって誰も一緒じゃないのだ。最初から私は独りだ。だから自由なのだ。


 踊りだしたくなるような、歌いたくなるような、心地よい気分だった。ふと夜空を見上げると、月が見える。

 偶然にも満月だった。白い光がこうこうと輝いている。


 私の心のケモノが吠えた。強く猛々しく、そして祈った。


 どうかまた明日からも、生きていけますように

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