拾った猫が使い魔になって私を幸せにすると言ってきます

墨あゆむ

第1話

 人生とは、嫌なことが連鎖するものである。

 朝から定期を忘れる。電車は遅延する。会社に着いた途端、急ぎの仕事が山のように降ってくる。それらをこなした後、ようやく昨日の仕事をと思う頃には、終業時間間際である。

 人生とは、嫌なことが連鎖するものである。

 結局、終業時間を大幅に過ぎて会社を出た瞬間、ゲリラ豪雨に振られた時など、心底そう思う。


「信じられない!なんなのもうっ」


 ばしゃばしゃと水溜まりを跳ねて走っていると、ひとつの店が見えた。

 家から会社の間に店なんてあっただろうか。

 そんな疑問が頭をよぎるが、今考えている余裕はない。この雨が止むまでだけ、と心の中で謝って軒先に入る。

 服を絞りながら、息を吐く。雨はまだ止む気配はなく、このまま走っちゃえばよかったかな、と肩を落とす。

 後ろのドアは「クローズ」の文字。なんのお店かは分からないが、流石にこの時間にやってる店はコンビニか居酒屋くらいだろう。だとしても、あまり長居は良くない。あと五分して止まなかったら、もう一度走ろう。

 そんな事を思ってもう一度空を見上げていると、ギィ、と後ろで音がした。

 弾かれるように振り返る。先程まで閉まっていた扉が、いつの間にか空いていた。


「えっ、あ、なんで……?」


 この店のオーナーでも開けてくれたのだろうか。そうは思うが、店の中から人が出てくる気配は無い。ならば、このドアはひとりでに空いたのだろうか。いやそんなまさか。


「何してる、開けたのは君だ。早く入ってこい」


 ぞ、とした。男の声。ここ、ヤバいお店の前だったのか。

 逃げなきゃ、と頭の中の警鐘が鳴る。右足を一歩、後ろに下げた時、店の中から、ヌッと人影が現れた。


「何故入ってこない。扉を開けたのは君だろう…………」


 ――――デカい。

 まず思ったのはそれだった。丸い眼鏡に白衣。長い髪を適当に後ろでひとつに纏めている、デカい男。ちゃんと見れたのはそこまでだった。

 私は、踵を返して走り出した。


「すみません勝手にお店の前にいてすみません帰ります、すみません!」

「あっ、おい待て!」


 ぼふん。

 止める声と共に聞こえた、鈍い煙の音。……今の、何の音だろう。

 ここで思わず足を止めて振り返ったのがいけなかったのか。それとも、この店の前で雨宿りしようとたのが悪かったのか。そもそも、こんな嫌なことが続く、私の運勢が悪かったのか。

 いや、もう、全てが悪かったのだろう。

 振り返った先。煙が収まった先、先程の大きな男性はもういなかった。かわりに――――男性が着ていた服の真ん中に、小さな猫が、座り込んでいた。


「えっ、あ、ね、猫…………?」


 んにゃう、と答えるように子猫が返事をする。何がどうなっているのかわからず立ち竦んでいると、すぐ近くで大きな音がした。


「わっ、雷!?」


 思わず体を縮こませる。その瞬間、私の腕に何かが飛びついた。無論、先程の子猫である。

 どうやら雷が怖かったのか、ぶるぶると震えながら、私の腕に強い力でしがみついている。その瞬間、先程までの困惑や混乱が、一瞬どこかへと飛んで行った。


「猫さん、少し揺れますよ」


 子猫を両腕で強く抱き締め、私は雨足の強くなる空の下、家へと駆けた。


:::


「凄い雨でしたね……」


 無事自宅に着き、すぐに猫をタオルでふく。


「すみません、硬いタオルで。すぐに牛乳温めま……いや、人間の牛乳って猫にいいのかな?」

「構わん。問題ない」

「あぁ、なら良かっ…………」


 は。

 体が固まる。今、誰が私の言葉に返事をしたんだろう。体をあちこちに回し、他に人がいないことも、鍵がかかっていることも、窓がきっちり閉まっている事も確認する。

 ひとまず不審者の線は消えてホッとするが、ならば、あの声は一体。


「幻聴…………?」

「そんなわけないだろう、よく聞け」

「ヒッ…………」


 後ろから聞こえた声に、勢いよく振り返る。やっぱり気付いてないだけで不審者が家の中に。そう、思ったのだが。


「ね、猫さん…………?」


 振り返った先、ちょこんと座っていたのは、タオルで拭かれて毛が逆だった猫だけだった。

 瞬間、有り得ない選択肢が、ピコンと頭の中に浮かび上がる。いやいやまさか。だけど、現状それが1番可能性が高い。だとしても、そんなまさか。

 ぐるぐる回る頭の中を押さえ込んで、思わず猫の前に正座をした。


「えっと……まさかとは思いますが、あなたが、喋って……?」

「そうだと言っている」

「嘘でしょ」

「嘘では無い」


 ひっくり返った。

 安物の絨毯が、雨で冷えきった体を微かに暖めてくれる。同時に、目の前で起きてる出来事を受け入れる為の時間が欲しかった。


「おい、起きろ。なに寝てる」

「喋ってる…………」


 私の顔の方に来た猫は、その小さな可愛らしいお顔をこちらに寄せて、うにゃうにゃと喋っている。人の声の奥の方で、猫本来の鳴き声が聞こえているのだ。なんとも不思議すぎるその現実に、私はのそりと起き上がった。


「えーっと、すみません、一旦お風呂入ってきても?」

「風呂か」

「ちょっと冷静になりたい……」


 何がどうなっているのか、一切分からない。

 せめて自分の立ち位置だけでも確認したい、の意で風呂を所望したが、猫は何を思ったか「それは良いな」と言った。


「分かった。入ろう」


 とことこと風呂場へと続く廊下を歩く猫。わぁ、ちっちゃい。可愛い。やっぱりどこまでいっても猫は猫なんだな。ちょっと喋るだけで、可愛いじゃないか。


「何してる、君が僕を風呂に入れるんだぞ」

「なんで……?」

「僕は今、君のせいでこうなっているからだ」

「ほんとになんで…………?」


 前言撤回。この猫、悲しいことに、喋ってしまうと可愛くは無い。




「ほんとに人用のシャンプーでいいんですか?」

「いいと言っている」


 このふてぶてしい猫は、なんと驚き、人用のシャンプーとリンスで良いと言う。先に猫だけ洗おうと、裾と袖を捲り、小さなタライにお湯を入れて猫を浸す。

 言われたとおり、私が普段使っているシャンプーで洗っていくと、どうやら気持ちいいのか、力が抜けていくのが分かった。


「お痒いところはございませんかー?」

「なんだそれは。無い」

「ないなら良かった」


 次第に、人の声ではなく、うにゃうにゃと子猫の鳴き声だけになっていく。シャワーで泡を洗い流す頃には、猫は湯船の中で穏やかな寝息を立てていた。

 か、かわいい〜〜〜!

 叫びたくなるのをグッと堪え、そうっとタオルでその体を拭く。ドライヤーかけたら起きてしまうだろうか。だがこのままでいるわけにもいかないし。

 致し方なくドライヤーをかけるが、猫は変わらず寝たままだ。ふんわりとした毛になった頃で、簡易ベッドを作る。時間が無くて畳むことすらしていなかったダンボール箱が、こんな所で役に立つとは。

 ダンボール箱の中にタオルをぎっしり引いて、そこにそうっと寝かせる。あまりの可愛さに、写真を一枚。同時に、寒さがピークに達して、私も慌ててお風呂に入った。




 そうして、ホカホカの体でお風呂を出た私を待ち構えていたのは。


「遅かったな、今でたのか」

「なっ、あ、えっ……」


 先程店から出てきた、あの男だった。しかも、堂々とソファーに座り足を組んで、こちらを見ている。

 サッ、と血の気が引く。頭の中に、通報、不審者、殺されるといった単語が浮かび、私は咄嗟に、スマホを手に取った。


「通報します」

「馬鹿やめろ」


 男が、長い指をスイッとこちらに向けた。その途端、スマホが動かなくなる。


「えっ、あ、な、なんで?!」

「電源を落としただけだ。話を聞け」

「電源落としたって、触ってもないのに」

「俺は魔法使いだ。それくらいは出来る」


 ――――俺は、魔法使いだ。

 突然現れた、知ってはいるけど聞きなれない単語に、スマホから目を離して、呆然と男を見た。


「まほうつかい……?」

「信じられないか」


 ゆるゆると、首を縦に動かす。男は再び、指を動かした。今度は縦に。

 途端、足元からぶわりと風が沸き起こる。


「わっ、なに!?」

「髪を乾かしてやっただけだ」


 やがて風は落ち着く頃、風呂上がりできちんと乾かしていなかった髪が、指通りの良い髪に変わっていた。


「どうだ、信じたか」


 落とされたスマホの電源。乾いた髪。確かに、魔法使いと言われればそうなのだろう。きっと、中学生の私なら信じていた。

 けれど悲しいかな、今の私は社会人で、この世に魔法使いなんて人は存在しないと分かっているのだ。そして、そこから導き出される目の前の男への解は、ずばり、私の妄想。


「病院行かなきゃ、明日仕事休も…………」

「おい、なぜ寝室へ向かう!」

「魔法使いが家にいるなんて、おかしな妄想するようになっちゃったから、一旦寝ようかなって……」


 男は大股で私の方へと近付き、この手を引いた。私の妄想だと思うと、びっくりするほど怖くは無いが、同時にこの妄想リアルだな、と驚きはした。

 繋がれた手首から、視線をするすると男の顔に向ける。改めて見ると、高い鼻に、メガネで隠れてはいるが切れ長の瞳、黒い長髪はさらりと纏まり艶がある。つまり、非常に顔のいい男。さすが私の妄想。私の好みの男を出してくれる。


「僕は君の使い魔になってしまったんだぞ、責任を取れ!」

「はぁ、そういう系の妄想かぁ……」

「妄想じゃない!君があの店のドアを開いたにも関わらず入らなかったから、契約不履行でこうなったんだ!おい、聞いているのか!」

「わかりました、わかりましたんで。一旦寝ましょう。私もう疲れたし、私の妄想さんも疲れてるんです。明日はどうせ猫さんを動物病院に連れていこうと思っていたので明日にでも――――」


 猫。

 自分で言ってはたと気がついた。


「猫さんは!?えっ、あれ、いなかったよね!?」


 男の手を振り払い、ダンボール箱の中を覗く。そこはもぬけの殻となっていた。


「ね、猫…………」

「だから、君」

「も、妄想さんも猫探してよ、いなくなっちゃった」

「話を聞けって……」


 こんな狭い家の中、いなくなるわけがないのに。じわりと泣きそうになっていると、向こうから深いため息が聞こえた。


「おい、君、見ていろ」

「えっ?」


 肩を掴んで振り返らせられる。男は呆れと、真剣さを纏った瞳で私を見下ろした。


「僕は君の妄想じゃないし、魔法使いだって存在する。僕をいないものにするな」

「えっと……」

「それと……猫はここだ」


 ぽふん、と煙の上がる音。咄嗟に両腕で顔を覆うが、それはなんら害はなく、すぐに収まった。そして、その中にちょこんと先程の猫が現れた。


「ね、猫さん!!」

「これで分かったか」


 猫に抱きつこうとして、ぴたりと止まる。

 猫の声、さっきの男の人と同じでは?

 どばりと、汗が溢れ出て止まらない中、猫はフン、と鼻を鳴らして私を見下ろした。


「僕は君の使い魔だ。あの店の扉を開けたからには、幸せになってもらわないと困る」


 今日だけで何度目かの「嘘でしょ」という声が、狭いワンルームに響き渡った。

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