3 幽霊と秘密

『ニャ~』

「お、どうしたんだい、ミケ」


 そんな私の左足にすり寄ってきたのは、三毛の子猫。にゃあと鳴き、頭をスリスリと擦り付ける。


「珍しいねぇ。他に人が居るのに出てくるなんて」

「珍しいんですか?」

「そうだよ。この子達、私以外の人が居ると、出て、こ、ない……」


 今、コイツ、なんて言った?

 バッと振り向けば、身支度を整えたあの青年が、廊下へと続くドアを開けた状態で、三毛猫を眺めていた。


「そうなんですか。では、僕の足元で寝ていた黒猫さんは、人馴れしてるんですかね」

「は、……な、……」

「? どうかしましたか?」


 どうかしました、じゃないんだよ。


「……キミ、この子、見えてるの?」


 恐る恐る、聞いてみたら。


「見えてますよ?」


 と、さも当たり前のことのように言いながら、テーブルを周り、さっきの椅子に座り直した。


「で、ナツキさん。僕、大変なことを思い出したんですが」

「……いや、待って。その大変なこと、ちょっと待った」

「え?」


 私は額に手を当て、首を傾げるコイツを薄目で見やる。


「……本当に、この子、……この、子猫が、見えてるの?」

「見えてますってば。これは嘘じゃありませんよ。今、その三毛猫さんは、あなたの足元で丸くなっているじゃありませんか」

「……」


 その通り。その通りだ。


「……で、クロ──黒の子猫も、見た、と」

「ええ、起きた時に。僕の足元でお腹を上にして寝ていました」


 クロよ、初対面の人間になぜそこまで警戒心を解いているんだ。


「じゃあ、シロ……白の子猫は視た?」

「まだ居るんですか。あいにく、その白の子猫さんは見ていませんね……あ」

「あ?」


 部屋を見回していた青年は、窓の下の方に顔を向けて、柔らかく笑った。


「居ました、あそこですね。カーテンの向こうからこっちを覗いてる」


 ……うん。覗いてる。


「……キミ、幽霊、見えんだね」

「ええ、見えます。触れもしますし、言葉が通じれば話せますよ」


 事も無げに言ってくれる。

 そう、この、三毛と黒と白の、三匹の子猫。彼らは皆、幽霊だ。


「ナツキさんも、見えるし触れるんですね」

「……うん、まぁね……」


 私はまた、ガシガシと頭をかき、


「はぁ……幽霊が見える人、私以外で初めて見たよ。……で、大変なことって?」

「あ、話に戻っていいんですか?」

「どうぞどうぞ」


 幽霊話は、深掘りするもんじゃない。私は極力、幽霊には関わらないようにしている。

 ……まあ、この子達は、特別なんだけど。


「昨日の代金、ナツキさんが肩代わりしてくれましたよね。スマホの決済か何かで」

「ああ、うん。人のカバンを漁るのもどうかと思って」

「ご配慮、ありがとうございます。それで、お幾らぐらいでした? 今返せるなら、お返ししたいんですが」

「えーと、ちょっと待ってて」


 私は椅子から立ち上がり、ソファ横に置いていたカバンからスマホを取り出す。そしてアプリを立ち上げて、昨日の明細を表示させた。


「あった。これこれ、全額だと、この金額」


 椅子に戻り、それを見せれば。


「……」


 青年は、その画面を見た途端、固まった。


「……ご迷惑を……こんなに呑んでいたとは……」


 そこに表示されていたのは、まあ、結構な額だった。


「あれだけ呑んでたしねぇ。あと、これは私の呑み代も入ってるし。この額から、私の分を引くと……」

「いや、いいです。全額お支払いします」


 計算しようとして、待ったをかけられた。


「いや、別にいいよ? 私の代金なんてそんな大したもんじゃないしさ」

「では、それはここに泊めていただいた代金として受け取ってください」


 そう言うと、青年は空間に右手を突っ込んだ。


「…………は?」


 青年の右手は、というか右腕の肘辺りまでが、空中で途切れている。そして、その途切れた場所は、まるで水面が波打つように、波紋を広げていた。


「ああ、財布を出しているだけですので」

「だけですのでって……なに、それ」

「僕、出来るだけ手荷物を減らしたくて。持ち物はほとんど別空間にしまっているんです。……あ、あった」


 途切れた腕をゆらゆらと揺らしていた青年は、その動きを止め、肘から先を徐々にまた、出現させていく。

 そして、出てきた右手には、飴色の革財布とスマホが握られていた。


「……な、なに、それ……?」

「え? ですから、別空間に財布をしまっていたんです。で、現金でいいですか? それとも振り込みましょうか」

「え……えと、じゃ、現金、で……じゃ、なくてさ!」


 私は思わず立ち上がり、ビシッ! と揺らいでいた空間の辺りを指差した。


「だから! その別空間とか、なんなのって! 意味分からないんだけど?!」


 財布とスマホをテーブルに置いた青年は、一瞬きょとんとした顔になって、少し経ってから、何でもないように笑った。


「だから、言ったじゃないですか。僕、魔法使いなんですって。今のはただの魔法です。なんの不思議もないですよ?」


 魔法って、不思議なものじゃなかったか。


「昨日お見せした手品も、本当は全て魔法です。僕、本当は手品なんか出来なくて、魔法しか出来ないんです」


 寂しそうに微笑む青年は、そのイケメン具合も相まって、とても絵になるが。

 が、だ。


「……本当に、魔法使いなの……」

「ええ」

「じゃ、本当に五百歳超えてんの……?」

「超えてます」


 こくり、と首肯する青年を見て、その瞳に嘘を見つけられなくて。


「そう……」


 私は、なんだか力が抜けて、椅子に座り直した。


「やっと、本当に信じていただけました?」

「そりゃあね……」


 私は頭を軽く振って、青年に──いや、五百超えてんだから、お兄さん? おじいさん? に、向き直る。


「……で、なんで私なんかに、その秘密を教えてくれたワケ?」

「……えっと」


 すると、目の前の顔はこちらからちょっと目を逸らし、ぽりぽりと頬を掻く。


「その、なんとなくなんですけど」

「うん」

「昨日、呑みに付き合ってくれて」

「うん」

「その上、ここまでしてくれて」

「うん」

「そんな、あなたになら……」

「……うん?」

「打ち明けても、大丈夫なのかなって、思って」


 照れくさそうにはにかんだその笑顔は、イケメンであることも相まって、とても眩しい。


「……うん、……うん?」


 私はその眩しさから目を保護するため、心持ち目を細めてから、首をひねった。


「……よーするにだね、キミ」

「はい」

「一回一緒に呑んだだけの奴に、心を開いちゃった訳なのかな?」



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