酔い潰れた青年を介抱したら、自分は魔法使いなんですと言ってきました。

山法師

1 嘘つき

「──僕、本当は手品師じゃなくて、魔法使いなんです」


 酔い潰れた青年を介抱し、ベッドに寝かせた翌朝。

 リビングで歯を磨いていたら、寝室から起きてきたその青年は私の顔を見て、「おはよう」とも、「ここはどこ?」とも言わず、そう言った。


「……ふぁ?」


 なんだコイツ。

 私は盛大に顔をしかめていたんだろう、青年はそれを見て、苦笑いをした。


「いえね、本当なんです。ずっと手品師として働いてきましたが、このことをずっと、……ずっと隠しているのに、少し、疲れてしまったようで」


 ははは、と笑うその顔は、目にクマがあって、頬は心なしかけて見えた。

 昨日は酔っていたし、介抱することしか考えてなかったからな。そこまで気にしていなかった。

 それにしてもコイツ、まだ酔いが醒めていないんだろうか。


「んー……ひょっほまっへ」

「はい」

「ほこ、ふわっへへ」


 二人がけのテーブルの、片方のイスを示すと、ソイツは何も疑問に思っていないのか、とても素直にそこに座る。

 私は歯磨きを終わらせ、洗面所へと向かう。そこでうがいをし、口を拭き、歯ブラシをスタンドに立てて、またリビングへと戻った。

 青年は座ったまま、レースのカーテン越しの窓を見つめていた。


「はい、どうも」


 私は対面のイスに座りかけ、立ち上がる。


「なんか、飲む? あ、酒以外でね」

「良いんですか? では、水を」

「水でいいの? 緑茶も紅茶もコーヒーも、牛乳だってあるけど」

「いえ、水で大丈夫です」

「そっか」


 それなら、お言葉に甘えましょう。私は水道水をコップに注ぎ、自分用にはマグカップにインスタントコーヒーを淹れて、テーブルに置いた。


「どうぞ。水だけど」

「ありがとうございます。いただきますね」


 私が座ると同時に、ソイツはコップを手に取り、水を一気飲みした。


「っはぁ……! ああ、本当のことを話したあとって、飲み物もこんなに美味しく感じられるんですね」

「そう」


 マグカップからコーヒーを飲みながら、清々しい表情になった青年を見つめる。


「……? なにか、顔についてますか?」

「いや? 強いて言えば、クマが凄いなーと」

「ああ、ここのところ、眠れていなくて。昨日はとても久しぶりに眠れました。ありがとうございます」

「そりゃどうも。──じゃ、なくてさ」


 コツンとマグカップを置き、私は起きてから整えた髪を、左手でかき混ぜた。


「なんか、言うことない?」

「え? ……あ、そうでした。昨日はどうも。介抱までしていただいて、寝る場所まで提供してくださって。ご迷惑をおかけしました。ありがとうございました」


 ……それ、も、あるけどさ。


「……どういたしまして。て、ことは。アンタ、昨日のことはまるっと覚えてるってコト?」


 聞けば、目の前の顔は、恥ずかしそうに、


「ええ。居酒屋でさんざん呑んで、隣のあなたに絡んで、途中からは、絡まれ、絡む、でいいんですかね? そして最後には酔い潰れて、背負われて、あなたの家に連れられ、ベッドに寝かされるところまで。あ、あと、なんとなくジャケットを脱がされてるな、という記憶もあります」

「本当にまるっと覚えてんね」


 驚きを超えて呆れが来る。


「ええ。なんなら、どんな話をしたかまで。どうにも自分は、どれだけ呑んでも記憶が飛ばない質らしくて。けど、あそこまで呑んで、酔い潰れたのは、とても久しぶりでした。その節はお世話になりました」


 頭を下げて、上げられる。昨日見た、少しクセのある茶色の髪は、寝起きなおかげで爆発したように広がっていた。


「まあ、現状が分かってんならいいや。顔洗ってきなよ。洗面所は廊下の右ね。あ、トイレはその左ね」

「ありがとうございます。では」


 ふらつく様子もなく、スタスタとリビングを出ていくアイツ。……本当に、酔ってはいないっぽい。


「……ふぅむ……」


 昨日のことを、思い出してみよう。

 私は会社の残業帰りで、家近くのいつもの居酒屋に寄った。そこでいつものカウンターに座り、日本酒と梅水晶を頼んで、チビチビやっていたのだ。

 そして、その左隣に座っていたのが、あの青年。

 ここの常連の私からすると、見ない顔だった。年は二十歳そこそこに見え、座っていてもわかるモデル体型で、顔も結構、というかかなりカッコイイと来たもんだ。けど、纏う空気だけは、どんよりと重く暗かった。

 大ジョッキでビールを呑んでいたソイツは、最後の一呑みを終えると、大将に追加を頼んだ。


『すみません、同じの、もう一つ』

『はいよ。……あんた、よく呑むなぁ』


 大将の言葉にテーブルを見れば、そこには大ジョッキが三つ。けど、三つくらいで大将はそんなこと言わない。恐らく、前に呑んだジョッキはほとんど片付けられていたと、そういうことだろう。私より前に来ていて、大将にそう言わせるくらいには呑んでいたんだ。なるほどね。

 と、想像を膨らませながら、ぼうっと横を見ていると。


『……あの、何か?』


 青年に訝しがられてしまった。


『いえ。ここの大将に、よく呑むなんて言われるなんて、よっぽどの酒豪なんだろうな、と』


 私は正直に答えた。


『そうなんだよ! ナツキちゃん! もうこれで五十杯目だよ?』

『ごじゅう』

『そう!』


 大将は、酔ってない。なので、その数字は本当のことを言っていると、そういうことになる。


『……あんた、ホントによく呑むんだねぇ……』


 まだ若そうなのに。と言えば。


『いえ、酒には少し強いだけで。……ねぇ、お姉さん。ちょっと、酒の肴に、話を聞いてくれませんか』

『おお、どうぞ?』


 今思えば、顔色は普通でも、もうソイツは酔っていたんだろう。


『僕ね、……手品師なんです。あ、お見せしましょうか』


 私がなにか言う前に、青年は右手を掲げ。

 ポンッ!

 少々の煙とともに、そこに青い薔薇が出現した。


『おお……』


 ポンッ、ポンッ、ポンッ!

 手の中の薔薇は増えていく。


『へぇ、兄ちゃんスゴイねぇ』


 大将が感嘆の声を上げる。

 他の客もちらほらと、その手品に目を向けて。


『じゃあ、お次は、』


 青年が手を振ると、持っていた薔薇は一瞬で消えてしまった。


『こんなものを』


 青年は、目の前のジョッキを持ち上げ、底を一撫で。すると、中に入っていた黄色いビールが、瞬く間に赤くなり、青くなり、また元の色へと戻った。


『へぇ……スゴイじゃん、君』

『ありがとうございます。……でもね、僕、嘘つきなんです』

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