共に踊る

蜜柑 猫

Duo, take my hand《共に踊る》

「汝の名は何か」

「――私の名は――」



 何度も夢を見る。

 そこは短い丈の草が広がる、丘陵な大地に立つ。

 鋼の鎧を身に纏うファントムの姿が……


 気づけば自分はそこに居た。

 心地よく吹く風に身を任せながら、ただただ景色を眺めるだけで何もしないし思わない。

 そこは、夢だから。夢だから、その眠っている間の幻覚にどうこうするわけでもできる訳でもなく。ただ、それを眺めているだけで……


 気付けば、なびいた前髪につられるようにして振りむくと“それ”は佇んでいた。


 やがて自分は“ファントム”へと尋ねるのだった。


『君は――?』



 日本。

 とはいっても、そこはまるで外国のような風景だった。


 大きな教会に、どこか異国の匂いが漂う花園……

 その中央に位置する噴水を囲むように等間隔で配置された、東屋の一つに彼女は居た。


 正午が過ぎ、日が丁度夕焼けへと準備を始めた時間。ゴウンゴウンと時計台の鐘が鳴り響く。教室の中に居ると丁度良いが外に出ると、校内の全てが反響しあって体中に響く。

 しかし、これと言って悪くはない。けれどこれは慣れたからなのかも……などと思いながら「もう授業は終わったんだ……」と一人、孤独に呟く。


 もう授業をサボるようになってからどれくらい経っただろうか。


 はじめはほんのちょっとのつもりだったのに。

 気付けば、もう2週間はこんな事をしている。

 日本に建つ有数のお嬢様学校、その空気に嫌悪とはいかないまでも、どこか違和感を覚えたのは2年生になってからだった。

 なんでなのかは分からないけれど、どこか自分の中でアンニュイという厄介な病に憑りつかれてしまったようで……


 もうそろそろ、パパやママにも怒られちゃうのかも――と、思ったけれど、でもやっぱり、ここから立ち直るような気概は生まれなかった。

 教室の中はどこか苦しく、それを耐えなければならないのに、できなくて……

 かつては楽しく、そして人生の憧れのような場所はいつの間にか閉鎖的な空間にしか思えなくなって、そんな所に居るよりも、ここに居る方が遥かに息が楽に思えた。


 櫻井 有栖は貴族の娘である。


 貴族とは言ったものの、それは現代社会ではもう無くなりつつある身分ではある。けれども、実際目に見えない形としてこの世に残っている。

 その末裔の一人が彼女なのだ。

 大正から昭和初期にかけて、築き上げた山城財閥の分家にあたる桜井家も徐々に絹糸産業で名声を手に入れ、財閥解体後もひっそりと生き永らえ、『櫻井』として貴族の地位に帰り咲いている。


 しかし、生まれてこのかた有栖は金持ちなのにも関わらず薄欲だった。

 欲しがるものも貧相で、どこか憂鬱めいていて……

 幼少期から接する人はお手伝いさん達がほとんどだったから、と言うのも原因はあるだろうけれど……けれど齢13にして早くも、人生に憂いていたのに違いは無かった。


 そんな有栖は、近頃妙な夢を見るようになった。


そこは短い丈の草が広がる、丘陵な大地……広大で、何もない。ただ広がる青空と薄く塗られた雲の下、決まって鋼の鎧を身に纏うファントムの姿が見える。

 そして、自分がそこに居ることを自覚する。


 心地よく吹く風に身を任せ、だただ景色を眺めるだけ。

 そこは、夢だから――夢だから、その眠っている間の幻覚にどうこうすることもできない。


 気付けば、なびいた前髪につられるようにして振りむくと“ファントム”は佇んでいる。


 やがて自分は“ファントム”へと尋ねるのだった。


『君は――?』

『私は君だ』


 そう、仮面の奥から発される。


『君が……私?』

『いずれ――その日が来るまで』


 前に杖突いた大剣を唸らせ、男とも女とも取れないその声は言う「――汝の名を訪ねよう」その次の声をほっそりとなぞるように、彼女は呟く。


「あれ……寝ていたの?」





ひたすらに夢を見る。

一瞬のようで長い旅路を辿るように、夢を見る。

いつもの地で夢を見る。


『――君は』

『君は私、そして私は君』


――汝の名を乞おう


――私の名前は


 瞬間、目が冴える。

 長いようで、一瞬なようで……そんな夢の中の話はうやむやになって消えてゆく。

 早朝の朝日は目に染みる。


 彼女はいつものように準備をしてそして、いつものように東屋へと足を運ぶ。

 そしてベンチへと腰かけると、横たわって、また目を閉じる。


『有栖――』

『そう、私の名前……』


 気付けば、夢の世界に居た。

 けれど変わったことが一つ、見たことのない、短い白金の髪を携えた女性に膝枕をされていた。


『変なの……あなたにこうされていても全然嫌じゃないの』

『不思議なものだね』


 今までこんな経験はなかった、けれど不審な感情など湧かず、温もりに気持ちよさそうに瞳を閉じて、ただ身を寄せた。

 髪を撫でる――「ねえ」“ファントム”――とその手を優しく握って自分の頬へと当てた。


『私、前にもその前もずっと前からこうされていた気がする』

『そうだね――』


 穏やかにただ優雅に笑む……「ねえ」有栖は半身を上げ、彼女の耳を優しく撫で囁いた。


『汝の名は』

『私の名前は――』


 冷たい風が頬を撫でると同時に、硬いベンチの木々の隙間から、地に列を成す蟻などの蟲を眺めながら、ただただアンニュイに耳を擦って穏やかな外の景色を見る。



 夢に帰す思いが昂る。

 けれども叶わないと知ってから、その園が酷く窮屈な物へと変わってしまったことに、憂いと虚無を感じるようになってしまう。

 いつまでも居ていい気がした。

 けれど、それを知ってからでは、居てもただ時が過ぎるのを実感するだけで。


 それこそ、残酷に思えてしまうのだった。


 それは救いというよりは逃げ場所で。

 ただ安寧を求めるにはやはりピッタリと言えた場所だった。

 でも、一つでも綻びを見つけてしまえばたちまちそれは欠陥とは言わなくとも、それに似て、物足りなさが勝ってしまう。


 だからそこに居るよりか、居たくなかった場所に戻る方が良かった。

 今は静寂よりも窮屈な場所に居た方がよいと心の底から思う。


 だから、教室へと向かう。

 お昼の鐘が鳴る。

 皆カフェテリアに行ってしまったのか、そこにはほんの数人しかいなかった。


 自分の席へと向かう。

 視線は怖くは無い、ただちょっぴり淋しいだけ。

 教室の、出迎えてはくれないその雰囲気がどこか息苦しさを感じさせたけれど、今の私にはそれが丁度良かった。


 突っ伏して、ただ何も考えることは無く、目を瞑る。

 そして、いつの間にか時が過ぎてゆくのを待つ。

 徐々に、喧噪が華やかに彩ることに、疎外感を感じるようになる――が、途端に久しい空気を感じ、目を開けるとそこは夢だった。


 けれど、やっぱり前と違っていて――


 彼女は甲冑を着て、大剣を杖突いて、座っている私の目の前で仁王立ちをしていた。


『ねえ』と、悲しい顔をする。けれど涙は出てこない。


『君は、卑怯だね……私、ずっと傍に居たいのに』

『そうしたら君はきっと――』

『ずっと君の都合の良い時にしか会えなかった、私知ってるのよ?』

『それでも、君は私の半身で――』

『君をこれ以上に愛してるのに?』

『君を縛った方が私は死なない、例えそれが永遠を叶える唯一の方法だとしても』

『永遠なんて寂しい事言わないで……そんなの卑怯よ』

『それでも、今解いたらきっと苦しんでしまう、私の痛みと苦悩が君へと流れてしまう』

『ならいいじゃない分かち合えるのよ?』


『ねえ』と甲冑の剝がれた彼女に――長く伸びた白金の髪が靡く彼女へと懇願する――『わかったよ』仕方なさそうに……けれどもどこか嬉しそうに彼女は笑んだ。


 目を開けると、見知らぬ人がこちらに顔を近づけて言った。


『迎えに来たよ、有栖』



 瞬間

 激しい轟音が鳴り響く――


 何事かと、パニックになる人々。

 けれども二人は違っていた。

 なんの事かと一瞬困惑する有栖、けれども目の前の彼女はどこか見たことのある顔をしていた――数秒、思い出すのに時間がかかった。


「大丈夫かい?」

「うん……時間は掛かったけれど」


『私の“ファントム”』『私の“プリンセス”』――二人は今度こそ、“元”へと戻るのだった。


 全てはあの日。

 化け物が街を襲ってから――


 二人は出会うべくして出会い、そしてその愛の下戦う運命へと誘われる。


「汝の名は何か――」

「剣となり、盾となり、鞘へとなる者――」

「両者揃いて、真価を帰す」


 それは、決して一人じゃ為し得ず。

 また、一方は鍵であり、もう一方は錠前と言え。はたまた剣であり鞘とも言えた。

 汝、その名を――


『Duoと呼ぶ』





魔人大戦。


 遥か昔、異界と現世は二つ繋がっていた……しかし、時が経つにつれ繋がりは断たれ、今や残ったのはその伝説とかつての“高潔な血脈”だけ。しかし、突如としてその繋がりが結ばれると共に“ゲート”が開かれるのだった。


 すぐさま、“高潔な血脈”である、現代の和洋中印、世界中の悪魔祓い達により何とか食い止めたものの、魔人達の圧倒的な強さにより、彼らは本格的な対抗策を生み出した――


 それこそが、現代に濃く残された“高潔な血脈”の血を引く女性による。

 魔法少女――『Duo』だ。


――彼女達は、その悪魔祓いの血に眠る力を使い、現代によ蘇った魔人たちと戦う、それが魔人大戦。


 しかし、Duoへ至るにはあらゆる条件を満たさなければならなかった。


――二人一組でなければならない事。

――その二人は特定の共鳴し合う“運命”で結ばれた人物でなければならない事。

――二人が互いに愛情を持っている事。


 つまり一心同体でなければ、ならないという事で……けれども、それらが揃う事でようやく魔人たちに対抗できる戦力になるのだ。

 しかし、有栖と彼女は――特別に、それ以上に思い合っていた。


 故に、契約を結んだ。


 有栖を“鳥かご”に閉じ込めておく――私自身に不死の呪いがかかり死ねない体に、傷の消えない体になる代わりに、有栖はもう戦わずに過ごしていられるのだ。

 強さも半減し、以前までのパフォーマンスを発揮できなくなる、けれども――記憶に封をすることにはなれど、しかし、彼女はもうこんなに辛い思いをすることは無い。


 彼女をずっと守れるのだと思えば、どんな傷であろうと痛みであろうと耐えられる……いや耐えて見せよう。

 もうあの日のように……事故であろうと、もう少しで防げたはずの仲間の死を前にして絶望する彼女の顔は見たくない。


 けれど、それは違ったみたいだった――



「ありがとう、でも負けないよ……私」

「うん……君は私だ」

「そう、私は君……だからね、前に進みたいんだ」


『――もう誰も殺さない』同時に放った言葉。


 鎖と分厚い甲冑に縛られた彼女は――

豪奢で軽やかな……けれども丈夫で、磨かれた甲冑を身に纏っていた。


 鳥かごから解放された少女は――

 今やそれまでのアンニュイさえをもこれまでの思い出すことのできなかった記憶で上書きされ、そして本来の自分を取り戻したかのような、信念と信頼の瞳を前に向けていた。


 二人は手を握る。


「有栖……ごめん、私――」

「ううん、胡桃……愛してるよ――」


 ギュッと握る。


 そして、「行くよ」という暇もなく二人は魔人に向かって駆けだした――


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