第10話 魔寄せの娘、魔王暗殺計画に巻き込まれる

「魔王暗殺計画、か……」


 ソフィアはナイフを手に持ち、じっと見つめていた。

 その刃物には、かの『魔王』をも衰弱させるほどの猛毒が塗られている。


「このナイフで魔王を一突きすれば、お前は自由の身になれる」


 そんな言葉とともに、ソフィアにナイフを差し出した、とある人物。

 それを受け取ったときから、彼女は魔王ナハトを暗殺する計画に組み込まれてしまったのである。


 魔国マーガへと連れ去られてからというもの、ソフィアは魔王ナハトと交流を深めていった。

 彼女の部屋には、ナハトから贈られた薔薇の花が花瓶に入れられ、飾られている。

 ナハトはある日、ソフィアの部屋を訪れ、雑談に興じていた。

 彼はたびたび、人間の文化や風習などについて知りたがった。純粋な好奇心なのだろう。ナハトは魔王でありながら、人間と仲良くなりたい、人間のことを知りたいと願っている稀有な魔族であった。

 ソフィアも彼に人間のことを教えて、できる限り魔族と人間の価値観を近づけようと努力していた。自分が世界平和のためにできることはこれだという使命感すら持っていたのである。


「ソフィア、お前の話はいつ聞いても面白いな。ニンゲンと魔族の文化の違いには驚かされる」


「それはよかった。人間と仲良くなりたいなら人間のことは知っておいたほうがいいものな」


 しかし、ソフィアには気がかりなことが他にあった。


「なあ、ナハト。以前話していた『王国侵略派』と『魔王派』について聞かせてほしい。魔族も一枚岩ってわけではないことはなんとなくわかったけど……」


「ああ、お前にもきちんと話しておいたほうがいいだろうな」


 ナハトは小さくため息をつき、少し息を吸い込んでから語り始めた。


「この魔国は、『王国侵略派』と『魔王派』に二分されて争っている。『王国侵略派』に属する魔族はニンゲンを自分たちよりも下等な生物と見下し、戯れに集落を襲い、破壊と略奪を繰り返している」


 ソフィアは村を魔族と魔物に気まぐれに襲われ、孤児となったと語ったフィロを思い出した。

 この王国侵略派は、絶対に台頭させてはいけない。それだけはわかる。


「一方の『魔王派』は、ニンゲンと良い関係を築きたいと願う俺の主張に賛同した魔族の一派だ。俺も含めて魔王派の魔族たちは王国侵略派に対抗して相争い続けている、というのが現状だな」


「なるほど……」


 ソフィアは顎に手を当てて考え込んだ。

 少なくともナハトは王国の人間に対して敵対心や悪意といったものは感じられない。魔王派の魔族が優勢になれば、このまま人間の街や村が襲われることはなくなるのではないか?


「ナハトは、どうして王国侵略派のように、人間を見下さないでいてくれるんだ? 魔王ほどの強大な力を持っている者なら、人間なんて矮小な存在に見えると思うが」


 ソフィアの問いかけに、ナハトはじっと彼女の目を見つめる。


「お前のおかげだ」


「私……?」


「お前と出会って、一緒に話しているうちに、ニンゲンも捨てたものではないと思えたんだ。同時に、今までニンゲンにしてきた仕打ちをも反省した。罪滅ぼしというわけではないが、これからニンゲンと一緒にできる限りのことをしたい」


 ナハトの言葉に嘘はないように思えた。

 これまでのソフィアならば、魔族の言うことなど信じなかっただろうが、彼がソフィアに捧げたものは……まあ人間の感性に近いとは言えないものばかりだったが……愛情のこもったものであるのはたしかだ。部屋の窓際に飾られた薔薇を見る。


「ナハト、私はお前の言葉を信じるよ。王国の人間がどこまで信じてくれるか分からないけど……人間を代表して、私がなんとか王国を説得してみる。だから、一度王国に帰りたいんだけど……」


「それはできない」


「なんでさ」


「……王国に帰したら、お前はもう戻ってこない気がする」


「なんだよ、私を疑ってるのか?」


「そういうわけではないのだが……」


 ナハトはなかなか煮えきらない態度だった。まあ、ソフィアも理解できないではない。彼女が魔国から逃げ出す気はなくても、王国がソフィアを『保護』してしまう可能性はある。

 しかし、魔国の事情を知る人間が王国を説得しなければ、魔国と王国の和平は結べず、二国間の交流も断絶されたままなわけで……。

 ソフィアは腕を組んで唸ってしまった。


「さて、俺はそろそろ仕事に戻る。お前は魔城の中で自由に過ごすといい。必要なら外出しても構わないが、必ず護衛をつけてくれ。『王国侵略派』がお前の命を狙わないとも限らないからな」


「物騒な話だな」


 ナハトの言葉に、ソフィアは肩をすくめた。

 とはいえ、最近は魔城の中ならどこでも移動できるようになった。

 彼女のお気に入りの場所は温室である。魔界植物が少し多すぎるが、奥に咲いている薔薇を眺めるのが好きだった。彼女の部屋にある薔薇も、そこから手折られたものだ。

 ナハトが出ていった後、ソフィアはすぐに鏡台で身支度を整えてから温室に向かおうとした。

 しかし、部屋を出て温室への道を歩き出した、そのときである。


「ソフィア様」


 自分を呼ぶ声がして、思わず足が止まる。

 振り返ると、見覚えのない魔族の男が立っていた。


「ええと……あなたは……?」


「ソフィア様、王国にお帰りになりたくはありませんか?」


 男はソフィアの質問には答えない。


「それがなにか?」


「王国に帰る方法はございます」


 男はそっとソフィアに近づき、耳元で甘い言葉を囁いた。


「魔王陛下を殺せばよいのです。貴方様をこの地に縛り付けている陛下がいなくなれば、貴方は自由の身になれるでしょう」


「――お前、侵略派か?」


 ソフィアは魔族すらもゾッと身震いさせるような冷たい目を向ける。

 しかし、魔族の男はその恐怖にも挫けない。


「陛下に何を吹き込まれたかは私の関知するところではありませんが、あの御方はニンゲンのことなど大切には思っておりません。根本的なところで、我々とニンゲンは対等な関係にはなれないのです」


「それは、お前たちが人間を見下しているからだろう。その価値観を修正しない限りは魔族と人間の対立は続くだろうな。魔王ナハトは、それを改善するために人間のことを知りたがっている」


「いいえ。ニンゲンと魔族がお互いを尊重することはありえません。理解し合えるわけがない。それゆえのニンゲンから迫害された魔族という種族なのです」


「迫害、ねえ……」


 この世界の歴史において、人間と魔族の対立は歴史書にも掲載されるほど根深いものだ。たしかに、ナハトひとりで尽力しても埋まらない溝はあるだろう。どちらが先に相手を迫害したかは、人間と魔族、それぞれの歴史書で記述が違うだろうし、お互い「向こうから迫害された」と主張するならば、その憎しみが消えることはない。

 ……いや、人間よりも魔族のほうが長生きしていて存分に恨みが溜まっているならば、魔族のほうが人間への憎悪は上回るかもしれない。


「ソフィア様、こちらをお渡しいたします」


 魔族の男が手渡したのは、鞘に収まった大振りのナイフだった。


「このナイフには、魔王すらも衰弱させるほどの猛毒が塗られております。くれぐれも取り扱いにはご用心ください」


「これで、ナハトを一突きしろというわけか」


「魔王とはいえ、ただ魔力が他の魔族より多いだけの存在です。衰弱させたあとは我々で片付けますので、あとは騒ぎに乗じてこの魔国を脱出すればよろしいでしょう」


「仮にも魔王の花嫁に選ばれた女に、旦那を殺せとはな」


「我々は王国侵略派ですが、魔王がいなくなればしばらくは大騒ぎで侵略どころではありますまい。仮に侵略派が実権を握ったとしても、貴方だけは殺さないと約束しましょう」


 ソフィアはしばらく手渡されたナイフを見つめていた。


「考える時間がほしい」


「ええ、構いませんとも。チャンスが来たらそのナイフをお使いください」


 温室に行く予定だったソフィアの足は、部屋に逆戻りしてしまった。

 ベッドに腰掛け、ずっしりとした重さのナイフを鞘越しに手で触って確認する。


(私はたしかにこの魔国から脱出したい。魔王を――ナハトを殺せば、それが叶うのか?)


 ぐるぐると頭の中で思考を回す。

 そこへ、コンコンとドアをノックする音が聞こえた。


「どうぞ」


「ソフィア、部屋に戻っていたんだな」


 ナハトだった。

 時計を見ると、考え事をしていて四時間は経ってしまっていたらしい。窓の外は常に夜空だが、この時計だけは正確に時を刻む。なんらかの魔法がかかっているのかもしれない。


「なにかあった?」


「今夜は流星群が見られるそうだ。よかったら城の屋上で、ともに星を見ないか?」


「うん、デートの誘い文句としては上々だね」


 ソフィアの言葉に、ナハトはニコっと笑う。


「ふふん、少しはニンゲンらしい感じに近づけたか?」


「あとはこの国の流星群とやらが実は火山弾とかでなければね」


「安心しろ、王国でも見られる普通の星だ」


 ナハトのお誘いを承諾したソフィアは、ナイフを懐に忍ばせて、魔王とともに魔城の屋上に上がった。満天の星空に、すでにいくつか流れ星が瞬いている。


「ニンゲンはこういった夜空を美しいと思うのか?」


「そうだね。人間にとって夜は色々と危険も多いけど、月や星の輝きを眺めるのは大抵の人間は好きなんじゃないかな」


 ――夜空の下、花嫁との逢引をしている魔王を暗殺するなら今が好機。

 ソフィアはナイフを手に握り、ナハトの近くへと歩み寄る――。


 ――が、ソフィアが不意にナイフを魔王とは見当違いの方向に投げつけた。


「ギィーッ!?」


 金切り声のような悲鳴があがり、誰かがバタンと倒れる音。

 魔王を衰弱させるほどの猛毒を、普通の魔族が浴びて無事で済むわけがない。

 そう、ソフィアがナイフを投げた方向は、彼女と魔王を見張っていた『王国侵略派』の魔族たちだった。


「裏切ったな、ソフィア!」


「魔王を裏切っているやつの口から出るセリフじゃないな。そもそも私は『考える時間をくれ』と言っただけで、お前らの暗殺計画に加担するとは言ってない」


 ソフィアははじめから魔王を殺す気などなかった。侵略派が政権を握れば王国が滅亡するのは火を見るよりも明らかだったし、信用ならないと思っていたのだ。


「人間を見下しているお前らのことだ、人間である私に手を汚させて、罪を着せ、それを大義名分として王国に攻め込むくらい簡単に予想できる」


「これだからニンゲンは役に立たない! 俺たち魔族が有効利用してやろうと言っているのに!」


「――これ以上、俺の花嫁を愚弄する気か?」


 空気を震わせるような魔力の圧が、突如として侵略派の背すじを凍らせた。

 ソフィアが隣を見ると、ナハトは鬼のような形相をしていた。

 侵略派の魔族たちは、重圧で地に跪くしかない。


「おい、コイツらを連れて行け」


 魔王の命令に従い、侵略派のまわりをさらに包囲していた『魔王派』の魔族たちが侵略派を取り押さえる。


「なにっ!? いつの間に……!」


 侵略派は抵抗むなしく捕縛されたのであった。

 それでも、彼らは減らず口を叩く。


「魔王に呪いあれ! 魔国に災いあれ!」


「あいにく、俺に呪いのたぐいは効かんのでな」


 ナハトは氷のように冷たい目で、連行されていく侵略派を見届けたのであった。


 その後、侵略派は牢に入れられ、しばらくは出てこられないという。

 さらに、魔王に突き刺すはずだった猛毒を飲まされ、牢の中でのたうち回っているとのこと。


「フン、アイツらどうしたものか。婚姻の儀で生贄にでもするか?」


「いや、そこまでしなくていいよ……」


 立腹しているナハトを、ソフィアはなんとかなだめていた。

 王国侵略派ということはソフィアやフィロも含め、数々の人間の村や街を襲った可能性はある。そこに関しては許せないし、彼女も腹を立ててはいるのだが、猛毒で苦しんでいるというのなら、因果応報だろう。


「ところで……婚姻の儀ってなんだ?」


「俺とお前が結婚するために必要な儀式だ。要は結婚式だな。近いうちに盛大に開こうと思っている」


「そんなの聞いてない……着々と外堀が埋められている……」


 ソフィアは寝耳に水の事実に頭を抱えるのであった。


〈続く〉

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