甘やかされてばっかりだ

 カルメとログが本当の恋人になってから数日、彼女は悩んでいた。

 ついつい、ため息を吐いてしまう。

「どうしたんですか? カルメさん」

 ログが心配そうに、カルメの顔を覗き込んだ。

「いや、何でもない」

「そうですか、大丈夫ならいいんですが。少し寝ますか?」

 そう言って、ログは自分の太ももをポンポンと叩いた。

 膝枕をしてくれるつもりらしい。

「寝る」

 カルメは短く返答すると、いそいそと頭を太ももに乗せて眠った。

 時折、ログがカルメの髪を優しく梳く。

 それがどうしようもなく気持ちよくて、カルメは目を細めた。

 そして、リラックスすると同時に、焦りも感じていた。

『私ばっかり甘やかされていて、いいのか?』

 これこそが、最近のカルメの悩みだった。

 恋人になったログは、とにかくカルメに甘かった。

 元々カルメに優しいログは、今までも彼女に甘いところが多分にあったが、それにもまして甘くなっていた。

 ログはこれまで自分を嫌うカルメを気遣って、抱き締めたり手を繋いだり、頭を撫でたりといったような、恋人に対して行う甘やかしをしたいという欲求を抑えていた。

 しかし、本物の恋人になったことでカルメに対して遠慮していた部分が消え、ログは心置きなく彼女を甘やかすようになった。

 カルメを見つめる視線は優しく甘くて、自然にに触れることが増えてきていた。

 今だって、カルメをごく自然に甘やかして膝枕をしている。

 可愛い、好きだ、大切だ、そんな言葉を当たり前のように口にしてくれた。

 カルメが寂しくなれば、隣にいてくれた。

 おかげでカルメは、ログの行動すべてから自分への愛を感じることができて満たされている。

 しかし、そんな風に尽くしてくれるログに対して、カルメは想いを返せている自信が無かった。

『大切にするって約束したのに』

 甘く見つめるどころか、ログの容姿が自分の好みだったことに気が付いてからは、碌にその姿を見ることすらできていない。

 触れられても拒絶はしないし、むしろ受け入れるのだが、自分からはあまり触れられない。

 好き、カッコイイ、大切、かわいい、こんな言葉はいくらでも胸の中に溢れてくるが、喉から上には上がってこない。

 極めつけは、人前でログに甘やかされると、まるで拒絶でもしているかのような態度をとってしまうことだった。

「あれ? あそこにいるのはログじゃない?」

「そうね、ログ~何してるの~」

 カルメの耳に、サニーとウィリアの元気な声が飛び込む。

 それもそのはず、二人がいるのは村の倉庫の前で、カルメはログとイチャつくついでに食料などを取りに来ていたのだから。

 カルメはサニーたちが来る前に起き上がると、走ってログのもとを離れ、倉庫の中に隠れた。

 息を殺して、二人がログの前から離れるのを待つ。

 二人が遠ざかる気配を感じると、カルメはそっと倉庫の中から出てきた。

 バツが悪そうにするカルメを、ログは心底、愛おしむような視線で見つめた。

「おかえりなさい」

「た、ただいま」

 ログが腕を開いて笑うので、カルメはその中にそっと飛び込んで抱き締められた。

 温かくて落ち着くのだが、

『ログ、傷ついたかな』

 と、そんな不安がカルメの頭をよぎった。

 今日みたいにカルメがログの前から逃亡するのはいい方で、酷い時には彼の手を叩き落としたりしていた。

 もちろんそんなに強く叩いてはいないし、その都度、謝った。

 ログはログで笑って許してくれたのだが、それでもカルメの心は痛んだ。

『好きな人に拒絶されるのは辛いって、あんなに身をもって知ったのに。もうやらないって決めたのに』

 恋人には甘やかされるばかりで、甘やかせてなんていない。

 二人きりでなければ拒絶めいたこともしてしまう。

 自分に心底うんざりして、カルメは溜息をもらした。

「やっぱり元気ないですね。何かあったんですか? もっとたくさんくっつきましょうか?」

 ログがカルメの頭を撫でて、さらに甘やかし始める。

 カルメは無言で頷いた。

「ログは、私にしてほしい事とかないのか?」

 ログに抱きしめられながら、ポツリと問いかけた。

「してほしい事、ですか?」

「そう、してほしい事。どうやって甘やかされたい?」

 こんな質問もとてつもなく恥ずかしくて、カルメの顔面は羞恥に染まる。

 カルメの質問にログはうーん、と唸ると、真剣に考え始めた。

「難しいですね。俺としては、こうやってカルメさんを甘やかした時に、カルメさんがそれを受け入れてくれるので十分ですし。してほしい事、うーん、そもそも、どうしてそんなことを思ったんですか?」

 ログは不思議そうに首を捻った。

 すると、カルメは恥ずかしそうに頬を染め、ボソボソと言葉を出す。

「私が、甘やかされてばっかりだから。ログの事、甘やかすって約束したのに」

「カルメさんは俺に甘やかされるのは嫌ですか?」

 ログが少し心配そうに聞くと、カルメは首を横に振った。

「いや。ログに甘やかされるのは、その、素直に嬉しい。嬉しかったから、お返しをしたくなったんだ」

 できるだけ素直に想いを言葉にすると、カルメはどうしようもなく恥ずかしくなって顔を真っ赤にした。

 羞恥心で堪らなくなって、そのまま胸に顔を埋めると、ログが嬉しそうにカルメの頭を撫でた。

「なるほど……」

 ログは顎に手を当て、真剣な顔で考え込んでいる。

『俺は、甘やかすのと同時に甘やかされているようなものだしな』

 そっと腕の中にいるカルメを見る。

 カルメはログの腕の中にすっぽりと収まり、安心しきったように瞳を閉じている。

 一度抱き締めてしまえばカルメは自分を受け入れてくれるし、カルメの方から抱き締める力を強めることだってよくあった。

 このような姿は、少し前までなら全く想像することすらできなかった。

 カルメは確かに、ログほど素直ではないし不器用だ。

 だから「好き」のような言葉は言えない。

 代わりに「抱きしめてほしい」などの要求は伝えることができたし、ログの愛を受け止める姿から、カルメも自分と同じだけの愛情を抱いているのだと知ることができた。

 ログの方だけ愛が重いなんてことも無ければ、その反対もない。

 二人の愛を秤ではかったなら、きっとピタリと釣り合うだろう。

 甘やかされるカルメの姿からはそんなことが伝わってきたから、ログは彼女が素直に甘えてくれるだけで十分だと思っていた。

 ましてや、気持ちを返してもらっていないだなんて思っていなかった。

『でも、積極的に俺を甘やかしに来るカルメさんもいいな。多分、頭とか撫でようとして失敗するんだろうな』

 そんなことも思っていた。

 カルメが上手く自分を甘やかせなくて落ち込むんだろうな、と想像すると、ログはなんだかその不器用さも愛おしくて、少し笑ってしまった。

「あ! 今笑っただろ」

 ログのかすかな笑いに気が付いたカルメが、ログを見上げた。

「ログ、私がログのことを甘やかすなんて、出来っこないって思ってるんだろ」

 カルメがジト目で睨むと、図星を突かれたログはギクリと肩を跳ねさせた。

「できないというか、失敗しそうだなって思いました」

「やっぱり! 別にそれくらいできるからな! 見てろ」

 カルメは怒るとログから離れて立ち上がり、

「座って」

 と、ログをその場に座らせた。

 そして、自分の胸元よりも下がった頭に、ボスッと無遠慮に手のひらを置く。

 この時点で、若干不安が出てきた。

『あれ? なんか変だな』

 そう思いながらも、カルメは手のひらでグリグリとパンでも捏ねるようにログの頭を撫で始めた。

 力は入っていないので痛くはないだろうが、ログはなすがままに身を任せているので、綺麗に整えられた髪が乱れて、モチャモチャになってしまっている。

 カルメは内心、酷く焦っていた。

『あれ? 撫でてなくないか? 捏ねてないか?』

 少なくとも、今自分のしている行為が「頭を撫でる」ではないことに気が付いていた。

 しかし、焦るカルメとは対照的に、ログは嬉しそうに目を細めて柔らかく微笑んでいる。

 まるでログに撫でられた時の自分のようで、余計にカルメは混乱した。

『え? これで合ってるのか? でも、ログの髪、変なことになってるし。え?』

 しばらくログの髪を捏ね続けたカルメは、やがて手を離すと、

「ログ、私の頭を撫でてくれ」

 とお願いした。

 撫でられることで、正しい頭の撫で方を知ろうとしたのだった。

「いいですよ」

 ログは二つ返事で了承すると乱れた髪のまま、優しくカルメの頭を撫でた。

 優しく丁寧に頭を撫でられて、カルメは思わずうっとりとしたが、

『っと、あぶない。撫で方を調べるんだった』

 と、気を取り直し、ログの手の動きを探った。

 しかし、結局よく分からなかった。

『あったかい事しかわからん』

 カルメが薄目を開けて、ログがどうやって頭を撫でているのか確認しようとすると、トロリと瞳に愛を溶かして、愛おし気に頭を撫でている姿を直視することになってしまった。

 途端にカルメの顔面は真っ赤に染まり、混乱した。

 あまりの緊張に、口角が震え、眉間にしわが寄る。

 もはや自分がどんな顔をしているのかもわからず、混乱はますます深まっていく。

「かわいいですよ」

 追い打ちのように、ログの落ち着いた柔らかな耳が飛び込んできた。

 カルメは己の羞恥の行き場が分からなくなり、ログに抱き着いて顔面を胸に隠した。

 しかし、なおもログはカルメを撫で続けている。

「もう撫でなくていい!」

 カルメが慌ててログの手を止めると、彼は、

「そうなんですか?」

 と、意地悪く笑って、湯気の出る頭から手を離した。

 揶揄い、笑うログを見て、

『ログ、意地悪になったな』

 と思う。

「何かわかりましたか?」

「おかげさまで、何もわからなかったよ!」

 きっかけはカルメによる自爆なのだが、彼女はログに責任転嫁して口を尖らせた。

「とりあえず、私の撫でる、が撫でるじゃなかった事だけ分かった」

 カルメが拗ねると、ログはにっこり微笑む。

「でも、嬉しかったですよ」

「なんで?」

 自分に捏ねられたせいで大変なことになった髪を見ながら、カルメは首を傾げた。

「一生懸命なのは伝わりましたし、甘やかされるのもいいなって思ったからです。気持ちが嬉しかったんですよ」

 心底嬉しそうなログを見て、カルメは少し不貞腐れた。

「撫でられたこと自体は嬉しくないんだ」

「違いますよ。カルメさんの気持ちも嬉しかったですし、わしゃわしゃされるのも嬉しかったですよ」

拗ねたようなカルメの言葉に、ログが慌てて弁明をした。

「いいよ、気を遣わなくても。いつか、もっと練習して、いっぱい頭を撫でてみせるからな!」

 カルメが握りこぶしを作って宣言すると、ログは一瞬固まってから朗らかに笑った。

「どうやって練習するんですか?」

「え? 自分で」

 そう言って、カルメは自分の髪をサラリと撫でる。

「それじゃ練習にならないでしょう。俺の頭を使ってもいいですよ」

 ログはおかしそうに笑って、自分の頭を指差した。

「確かに。じゃあ練習する時、かりる」

 モシャモシャになっている髪を見ながら、カルメはコクンと頷いた。

「今日はもういいんですか?」

「今日はもういい。揶揄うなよ、もう」

 にやけるログから、カルメはプイッと顔を背けた。

 そんなカルメの頭を、ログは無意識に優しく撫でると、

「甘やかしは、カルメさんが俺にやりたい、って思った事をしてくれたらいいんですよ。俺も基本そうですし」

 と、微笑んだ。

 カルメも、頬をほんのり染めると頷く。

「わかった。じゃあ、とりあえず屈んでくれ。髪を直す」

 そう言って、カルメは屈んだログの髪に手を伸ばし、丁寧に髪を元に戻した。

 この手櫛で髪を整えるという行動に少しアレンジを加えれば、カルメの望む「頭を撫でる」になったのだが、どうやら、そのことには気が付いていないようだ。

 綺麗になったログの髪型を見て、カルメは得意げに笑った。

「かっこよくなったな」

 誇らしげに頷いた後で、カルメは自分の発言を振り返り、「かっこいい」と言ったことを思い出して、顔を真っ赤にした。

「ありがとう。カルメさんは可愛いですね」

 ログはそんなカルメの心を察して、悪戯な笑みを浮かべる。

 カルメは羞恥に悶えながらも、不意に「ログにしてみたい事」を思いついた。

 それを本当に実行できるのは、この日からもう少し後になる。

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