優しい貴方に覚悟を決める
ログはカルメが傷つかないように多少、話をぼかし、うっかり告白じみた真似をしてしまったことなどは言わずに、昨日の出来事を話した。
しかし、それでも、カルメは顔を真っ赤にして悶えていた。
ログの話を聞いている内に、だんだんと昨日の様子を思い出してきたのだ。
自分が何を考えていたのかも、何を要求したのかも。
カルメは上目遣いにログの顔を見上げた。
「本当に、変なこと言ってなかったのか? 例えば、こう、す……みたいな」
「い、言ってないですよ。全く全然。すなんて一言も言わなかったです」
ログが大慌てで否定すると、カルメはホッと胸をなでおろした。
『よかった。心の声が漏れ出たわけではないんだな』
実際は漏れ出ていたが、ログの気遣いのおかげで漏れ出ていないことになった。
「カルメさん、スープできましたよ」
ログはニコニコと笑って、野菜の入った優しい味付けのスープをカルメ座るテーブル上に置いた。
その姿はいつものログで、カルメは首を傾げた。
「どうしたんですか? やっぱり食欲が出ないんですか?」
心配そうにカルメを見る表情も、デートでケンカをする前と一切変わりがない。
『変だな、ログは私のこと嫌いになったはずなのに。いつも通りすぎる』
カルメはカルメで、ログに嫌われたと勘違いしている。
いつも通りの優しさを向けてくるログが、不思議で仕方が無かった。
「いや。ただ、よく私の看病をしてくれたなって思っただけだ」
カルメが頬杖をついて言うと、ログの表情が曇った。
「すみません。カルメさんは俺なんかに看病されたくないだろうな、とは思ったんですが。やっぱり放っておけなかったので」
弱気に発言するログの態度や言葉が理解できず、カルメは首を傾げた。
「いや、看病自体は助かったよ。そうじゃなくて、よく嫌いな相手の看病をしてやろうって気になれたなって、言ってるんだ。その、嫌だっただろ。大変だっただろうし……」
昨夜の自分の行動を思い出して、ため息が出た。
『散々拒絶したくせに、風邪をひくと心細くて仕方なくて、拒否して傷つけた相手に散々甘えて……今だってそうだ。ニコニコ笑うコイツの好意に甘えてる。ログはただ、優しいだけなのに』
心底自分が嫌になって、ため息を吐いた。
カルメは昔から、自分自身の身勝手で我儘なところが心の底から大嫌いだ。
しかし、今度はログが不思議そうに首を傾げた。
「誰が誰を嫌いなんですか?」
「ログが、私を、嫌いだって話だよ。言わせんな」
ログが、と私を、を強調して言った。
「逆じゃなくて?」
「逆じゃない」
言いながらも内心傷ついて、心臓の辺りがズキズキと痛んだ。
『分かっていても結構苦しいものだな。私に嫌いだ、嫌だと言われ続けたコイツは、相当傷ついてきたんだろうな』
今更ながら、カルメは深く反省して俯いた。
項垂れるカルメに、心底不思議そうなログの声が届く。
「あの、俺カルメさんのこと嫌いじゃないですよ。今も以前と変わらずカルメさんの事が好きです」
「え?」
びっくりしてログの顔を見上げるが、彼はキョトンと不思議そうな顔をしている。
その言葉に、表情に、嘘はなさそうだ。
「私、け、怪我、させただろ」
酷い顔色で問う。
ログに怪我を負わせたことは、カルメにとってトラウマになりつつあった。
けれど、ログは何でもないことのように明るい顔で言った。
「あれは事故ですよ。すぐに怪我も治りましたし」
そう言って見せる手のひらは綺麗で、傷なんて存在しない。
それでもカルメの心は痛んだ。
「でも、痛かっただろ」
「まあ、それなりに。でも、本当に嫌いになっていませんよ」
キッパリと言うログを、カルメは胡乱な目で見つめた。
そんなカルメを見て、ログはムッとした表情になると、
「錯覚とかじゃなくて、本当にカルメさんが好きなんです。カルメさんには迷惑でしょうが。それでも俺は、カルメさんへの想いを消すことも、嫌いになることもできません。でも、俺の存在がカルメさんを深く傷つけていたことは、本当に申し訳ないと思っています。だから、もう付きまといません。恋人も今日で終わりです。今まで申し訳ありませんでした。って、そんなことを、あの日の俺はカルメさんに言ったんです。覚えてませんか?」
と、彼女がショックで全然聞いていなかった話の内容をつらつらと話して見せた。
「覚えていないというか、聞いてなかった」
カルメがそう答えると、ログはガックリと項垂れた。
「そうでしたか。でも、そういうことです。安心してください。俺は貴方への想いを捨てられないけれど、俺が嫌われていることはちゃんと分っているので。カルメさんが元気になったら、もうむやみにカルメさんの前に姿を見せませんから」
ログは寂しそうに笑った。
それを見て、カルメは心臓を鷲掴みにされたような感覚がした。
「違う。ログ、ごめん。本当にそれは違うんだ」
今すぐ訂正しなければ、という焦燥感を覚え、カルメはログの方へ身を乗り出すと、慌てて否定した。
「違う? 何がですか?」
キョトンとするログに、カルメは一度深呼吸をしてから言葉を出した。
「私がログを嫌いって、言った事だ。本当はす、好きだったんだ」
言った途端、顔が真っ赤に染まる。
決死の告白に、ログは「え?」と声を漏らし、心底驚いた顔をして固まった。
「本当だ。怪我させて、独りきりになるまで気が付かなかったけど、本当なんだ」
カルメが真剣にログを見つめると、彼は神妙な表情を浮かべつつも屈み、彼女と目線を合わせた。
ドキッとカルメの心臓が跳ねあがる。
『な、なんだよ。何のつもりだよ』
頬を真っ赤にし、激しく狼狽えながらも大人しくしていると、ログの手のひらがカルメの方へ伸びてきて額を軽く覆った。
空いている方の手は、ログ自身の額を抑えている。
「熱は、もうそんなに無いよな。でも、まだ風邪は治りきっていないみたいだし……」
そんなことをブツブツと呟いている。
カルメにも、何となくログの考えていることが伝わり、
「おい、何のつもりだ」
と、意図せぬ低い声が口から這い出た。
「え? ああ、突然触れてすみません。熱の具合を計っていました」
パッとカルメの額から手を離して距離をとると、ログは取り繕うように笑った。
「お前、私が病気でおかしくなって、ログを好きだとか口走ってると思ってんのか?」
「え? ええ、まあ。だって、カルメさん昨日から様子がおかしいですし」
悪びれもせずに言う。
「お前……確かに昨日の私はちょっと変だったかもしれんが、今日の私は正常だぞ」
カルメが睨むと、ログは困ったように頬を掻いた。
「いや、カルメさんの言う錯覚ではないのですが、その、自分では気が付けないものですし」
ログの言葉にイラっとしたが、
『コイツも、私に錯覚、錯覚って言われてこんな気持ちだったのかな』
と、カルメは少し反省した。
そして、
『私がログにそう思われても仕方のない態度をとり続けてきたことだって、事実だ。ログが私のことを好きでいてくれているだけ、奇跡といえるか』
と、思い直し、ひとまずこの問題は保留することにした。
「おい、私の病気が完治したら、もう一度告白してやるからな。待ってろよ」
キッパリと宣言すると、
「はい、楽しみにしています」
と、ログは全く期待していなさそうに、けれど笑って答えた。
『ログのやつ、本気で信じてねえな』
カルメはログを睨んだが、彼は穏やかに笑うばかりだ。
「カルメさん、おしゃべりはここまでにして、ご飯を食べましょう。もうだいぶ冷めてしまってますよ」
ログに促されたが、カルメは首を振って拒否をした。
「どうしたんですか? お腹、空かないんですか?」
「違う。食べさせてほしいだけだ」
カルメがほんのりと顔を赤くさせながら言うと、ログは怪訝に眉をひそめた。
「え? でも、もうだいぶ動けますよね? 食べられるんじゃ」
先程から見ている限り、カルメはもうだいぶ回復している。
一人で食事をすることなど、訳ないことのはずだった。
しかし、カルメは顔を赤くしたまま首を横に振った。
そして、
「嫌だ。ログは私の病気が治るまで、甘やかしてくれるっていっただろ」
と、いちゃもんのようなものをつけ始めた。
流石のログも苦笑いを浮かべている。
「いや、看病ですよ? やっぱりまだ熱があるのかな? 顔も赤いし」
「じゃあ、それでいい。とにかく、食べさせてくれるまでは何も食べないからな」
偉そうに幼児のようなことを言って腕を組んだ。
正直、二十歳の大人が子供のように甘えるのは恥ずかしかったが、風邪による思考のボケと体調不良の時は甘やかされたいというカルメの心が合体して、これまでなら絶対にとらないような行動をカルメにとらせていた。
昨夜、正気を失って甘えたので多少やけっぱちになっていたのもある。
結局のところ、カルメは体調が悪くなると、好きな人にめちゃくちゃ甘やかしてほしくなる性格だった。
ログはログでカルメに甘いので、
「仕方ないな。甘やかすんじゃなくて、看病ですからね」
と、一言だけ文句を言って、カルメにスープを食べさせ始めた。
「フーフーはしないの?」
口をとがらせるカルメを見て、ログはクスクスと笑む。
「冷めてるから必要ないと思いますよ。熱いんですか?」
「いや、なんかそういうイメージだっただけ」
カルメは素直に笑うと、ログから差し向けられたスプーンをくわえて食事を摂った。
病のせいで正確な味は分からなかったが、それでもカルメにとってスープは温かで優しく、とても美味しかった。
「カルメさん、全部食べましたね」
すっかり中身が無くなった器を見て、ログが嬉しそうに微笑んだ。
「偉い?」
期待するような目で上目遣いに問うと、ログは深く頷いた。
「偉いですよ」
「……じゃあ、頭を撫でて」
カルメは少し恥ずかしそうに頭を差し出した。
困惑して固まるログに、ダメ押しで、
「後から文句も言わないし、傷つかないから」
と、声をかける。
しばらくすると、ログはガラスにでも触れるような手つきで、そっと彼女の頭を撫でた。
どうにも嬉しくなってしまい、カルメが目を細めて笑みを浮かべると、ログも仕方がないなと微笑みを返した。
「カルメさん、薬飲めます?」
「苦いやつか」
薬という存在が全般的に嫌いなカルメは、嫌そうに顔をしかめる。
「はい。昨日飲んだものと同じなのですが」
昨夜のカルメは今以上に弱っていて味覚もほとんどなかったから、比較的容易に薬を飲むことができた。
しかし、多少味覚が回復したカルメは薬を飲むことができる自信が無かった。
ログは少し考え込むと、
「もし飲めたら、頭を撫でますよ」
と、今のカルメには非常に魅力的な提案をしてきた。
「飲む!」
カルメは即答し、苦い粉薬を一気に口に入れると、咽ることなく水で流し込む。
薬の苦みに顔を歪めていたが、ログに頭を撫でられ、幸せそうに顔を綻ばせた。
そして、糖度の高い看病を受けているうちに、あっという間に夕方になってしまった。
そろそろ帰らなければ、夜になる。
「まだ、治ってない」
カルメは不満そうに口を尖らせた。
「でも、もうほとんど治ったと思いますよ。流石に今日は帰らなくちゃ」
そう言いながら、脱いで畳んであった白衣を回収しようとすると、それより一歩先にカルメが動いてログの白衣を奪った。
「カルメさん!?」
「明日返す」
白衣を大切そうに抱き締めて、じっとログの顔を見つめた。
「わかりましたよ。容体を確認するためにも、また明日来ます」
観念したログが渋々頷くと、カルメは嬉しそうに頷いた。
次の日、約束通りログは現れた。
ログは食料が尽きたであろうカルメのために、食料や生活用品の入った袋を持ってきていた。
そして白衣を受け取り、カルメの病気が完全に治ったことを確認すると、さっさと家へ帰ってしまった。
カルメと一緒にいたくなかったのではない。
カルメがこれ以上自分のせいで傷つかないよう、ログは彼女を気遣ったのだった。
そしてそれ以降、ログはカルメのもとを訪れなかった。
有言実行。
ログはカルメに宣言したことを守り、カルメへの想いは胸に秘めて生きていくことを決めたのだった。
そして、そんな状況の中、カルメも覚悟を決めた。
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