独り善がりの後悔、けれど……
カルメと最悪のデートをして以来、ログは勉強も仕事も一切手につかなくなってしまっていた。
この日はデートから三日目の昼になるのだが、相変わらずログは魂が抜けたようになって流れるような時を過ごしている。
見かねたミルクが休みを与えると、ログは村の門から色とりどりの花束と、いつも持ち歩いている救急箱を持って、カルメの家がある方角をボーッと見つめていた。
昨夜は酷い雨で、地面はグシャグシャに濡れている。
けれど、ログは靴が汚れることも恐れず、水たまりに足を突っ込んだ。
そんなもの、今のログの目には見えていなかったのだ。
ガードもログを気遣って、門から離れたところで見張りをした。
頭の中では、カルメがほんのりと頬を染めている姿や素直に笑う姿がふわふわと浮かんでいる。
ぶっきらぼうに料理を褒めてくれたのが嬉しかった。
ログを心配して村へ送って行ってくれたことも、道を整備してくれたことも、嬉しかった。
悪態をつかれて睨まれても、可愛いと思えた。
カルメのぶっきらぼうなところが好きで、本当は優しいところが好きだった。
ログの心を惹きつけたカルメの瞳は、見れば見るほど美しくて、いつでもログの心を奪った。
一緒に同じ時を過ごせば過ごすほど、ますます好きになっていった。
ずっと一緒にいたい、心を許してほしいと願った。
実際、恋人になってからのカルメは意外と上機嫌で、少しずつログに心を開いているようだった。
カルメが時々ログの行動に頬を染めていることにも気が付いていて、少しずつでも本当の恋人になれている気がしていた。
それが独り善がりの恋だったことに、気が付いていなかったのだ。
ログは、自分自身の恋を一ミリも錯覚とは疑わなかった。
カルメに恋を錯覚だと思われることだけは本当に嫌で、「お前の恋は本物ではないから」と振られることだけは許せなかった。
同じく振られるにしても、本気の思いだと理解された上で振られたかったのだ。
だからこそ、ログはいつでも誠実にカルメに向き合い、照れくさくても素直に想いを語った。
カルメに傷つけられても気丈に振舞って愛を請えば、いつか愛が返ってくるのだと信じて求愛を続けた。
その自分の行動すべてが、カルメを深く傷つけているだなんて思ってもみなかった。
嫌われていることには気が付いていたけれど、それだけだと思っていた。
ましてや、カルメが自分を恐れているとは思ってもみなかったのだ。
『馬鹿だったんだ』
ログは自分の行動を振り返り、胸中で呟いた。
『初めからあんなに拒絶されていたのに、嫌がられているってわかっていたはずなのに、諦められなかった』
不意に、とある日のサニーの言葉が頭によぎる。
「カルメさんのこと、考えているようで考えていないんですね」
心臓を握りつぶされたような気がして、一瞬呼吸が止まった。
『本当にその通りだ。嫌がられるどころか傷つけていたんだから』
思い出すのは、ログの腕を振り払った後に見せた嫌悪と恐怖の表情だ。
実際には、あの時のカルメはログを怪我させたことに怯えて狼狽し、絶望していたのだが、そんなことをログは知らない。
ログはあの日、怪我をした自分を見つめるカルメの表情を誤解していた。
すなわち、カルメは自分のことを心底嫌い拒絶したからこそ、酷い顔色と酷い視線でログのことを睨んだのだと勘違いしていた。
『今だって馬鹿だ。あんなに傷つけて、会ってはいけないことも分かっているのに、どうしても顔が見たい。俺はカルメさんにとって害でしかないって、分かっているのに……』
カルメの「私を傷つけないでくれ」という叫びは、あの時ログの手を攻撃した石か木の根なんかよりもよほど鋭く彼を突き刺した。
ログは自分が傷つけられることには耐えられても、傷つけることには耐えられなかったのだ。
だからこそ、二度とカルメの前には姿を見せないと心に決めた。
しかし、それでもログの心からカルメは消えてくれない。
ログは今日も、未練がましくカルメの家の方角を見つめている。
「こんにちは、いい天気だね」
気遣うように、サニーが声をかけてきた。
サニーの後ろには、心配そうにログを見つめるウィリアがいる。
二人はここ二日間、目に見えて落ち込むログを心配しながらも、あえて話しかけずにそっとしておいていた。
しかし三日目の今日、そろそろ声をかけるべきだと判断したようで、恐る恐るログのもとへやってきた。
「ケンカしちゃったの~?」
相変わらずアホっぽいしゃべり方だが、そこには相手への気遣いと心配が滲んでいた。
ログは力なく首を振った。
「カルメさんは本気で俺が嫌いで、俺はずっとカルメさんを傷つけていたんだって、ようやく理解しただけ」
「もう、会いに行かないの?」
今度は、サニーが聞いた。
ログは少しだけ間を置いてから、頷いた。
「うん。これ以上カルメさんを傷つけたくないんだ。計画のことも、ごめん。でも、安心してよ。これ以上付きまとったりしなければ、カルメさんは村を出て行かないと思うから」
「それでいいの?」
その言葉に、ログは何も答えられなかった。
サニーはログの瞳を覗かずに言った。
「少し、カルメさんのことで心配なことがあるの。カルメさん、前に食料を取りに来てから結構時間が空いているのに、まだ村に来ないの。今回渡した食料はそんなに量が無かったから、もうそろそろ無くなっていてもおかしくないのに」
「……俺のせいで来られないのかな?」
ログはますます落ち込んだが、ウィリアがそれを否定した。
「それはないんじゃな~い? だってカルメさん、食料が尽きたら、どんなにログが嫌でも村に来てたわよ~。何があったのか知らないけど~、もしも今後村に来れないってことになるなら~、いっそのこと引っ越しちゃうんじゃな~い~?」
「引っ越しちゃったのかな」
茫然と呟く言葉を、今度はサニーが否定した。
「それもないと思う。カルメさん、多分引っ越すときはお父さんに言うと思うし、どこか他の場所に行くなら、この村を通らなくちゃいけないから」
誰にも見られず村を出ることは、不可能ではないが難しい。
サニーの言う通り、村を出たようには思えなかった。
そして、ウィリアの言う通り、食料が尽きてしまっても村に来ないとは考えにくかった。
では、何故カルメは村に来ないのか。
ログの胸に、不安がよぎる。
『もしかして、カルメさんに何かあったんじゃないか? 例えば、酷い病気になってしまったとか』
あの日、カルメとケンカをするきっかけとなったのは、彼女の体調不良だった。
『もし、カルメさんがあの日からずっと病に侵されていたのだとしたら……』
ゾワッと鳥肌が立って、ログはそれ以上思考することなく、カルメのもとへ必死で駆けだしていた。
願うのはカルメの無事ばかりだ。
転んで怪我をしても、ログは構わず走り続けた。
ズボンが破れ、露出した膝が血で滲んでいるのを即座に修復するとひたすらに走った。
水たまりを踏み抜いて、靴や白衣が濡れても無視をした。
目に昨夜の雨水が入り込んだら、強引に拭って前を見た。
視界がぼやけても構わない。
とにかく走った。
そう遠くないカルメの家が、果てしなく遠く感じる。
何とか辿り着いたカルメの家の花壇を見て、ログは酷く狼狽えた。
カルメが毎日世話をしているはずの花が、すっかり萎れてしまっている。
中には、枯れてしまっているものすらあった。
『カルメさんは花をすごく大切にしている。なのに、こんな……やっぱり、何かがあったんだ』
ログは転がり込むようにしてカルメの自宅に侵入すると、必死でカルメを探した。
カルメの家に入ったのは湖にデートに行ったあの日が初めてだから、ログは家の構造に詳しくない。
目につくドアを片っ端から開けて、カルメを探した。
祈るような気持ちで、ようやくカルメの部屋を開ける。
「カルメさん!」
ベッドの上で丸くなって眠るカルメが見えた。
カルメはゼヒュー、ゼヒューと、明らかに健康ではない荒い呼吸をしていて、顔は真っ赤に染まっている。
時折ゲホゲホと咳をすると、苦しそうに喉を抑えた。
全身に汗をかき、目は熱で潤んでいる。
見るからに風邪をひいていた。
それも、酷い風邪だ。
「ログ……?」
焦点の合わない、薄く開いた目がログの姿を捉えた。
かすかに腕が動くが持ち上がらず、ログが慌ててカルメに駆け寄って熱で火照った頬に触れると、彼女は安心したように目を瞑って眠った。
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