300円を失った

TK

第1話

想像していた以上に、これは過酷な仕事だった。

毎朝7時に出勤し、大量のダンボールに詰められた花を丁寧に取り出していく。

取り出した花は茎を3cmほど切って、水を張った容器に入れる。

バラのように棘がある花の場合、注意しないと手が傷だらけになる。

前日から店頭に並んでいる花の水が汚くなっているので、片っ端から水を換えていく。

この水が、マジで重い。

生命の根源であることは承知しているが、この時ばかりは殺意を覚える。

さらに、葬儀や開店祝いなど、イベントに際して必要になった花の注文が多数入っているので、客がいない朝のうちにある程度発送準備を済ませておく。

やっとのことで開店前の仕事を終えても、全く気は休まらない。

配達は新人である私がやらされるし、真心を込めて作ったアレンジメントをボロカスに酷評されることもある。

なぜ心身共に疲弊する花屋で私が働いているかと言うと、見た目がとても華やかだったからだ。

だから、ここで働けば心が満たされるかもと思った。

だが、現実は全く違った。それだけの話だ。


開店時間を迎えると同時に、いつものキモ客が入店してきた。

「いや~、今日も綺麗だね。花じゃなくて、君がね」

「はは・・・。いつもありがとうございます」

キショすぎる。

このブタは毎朝開店と同時に私に話しかけてくるのだが、正直鬱陶しい。

開店前に蓄積された疲労と相まって、私の意識は吹き飛びそうになる。

ただ、金は持っているので、店の売上には貢献してくれるんだよなコイツは。

だから、追い出すようなことはしない。

「じゃあ、エリンジウムを頂こうかな」

「・・・ちなみに、この花の花言葉は知っているかい?」

「すいません。勉強不足なもので、存じ上げておりません」

もちろん、本当は知っている。花屋の店員を舐めるなよ。

ただ、こういう勘違い野郎は常に相手よりも豊富な知識を持っていると思い込んでいるものだ。

その勘違いが吹けば飛ぶようなミジンコサイズのプライドを支えているので、繊細に扱ってあげなければならない。

「エリンジウムの花言葉は、“秘密の恋“だよ」

「僕と一緒に、2人だけの世界で恋をしないかい?なんてね」

今すぐ隕石が落ちてきて、都合よくこのサノバビッチだけをすり潰してほしい。

2人だけの世界で恋をするってどういうこと?意味がわからない。

それに、最後の「なんてね」がA5ランクの気持ち悪さを醸し出している。

どうせキモいことを言うなら、せめてちゃんと言い切ってほしい。

最後に自分を嘲笑するような一言を入れることで、「まあこれは冗談で言っているだけで、本当はまともな人間だよ」と保険をかける様に鳥肌が立つ。

キモいことを言っているくせに、キモくなることに振り切れずもがいている感じが、もう本当にキモすぎた。

「これ、君にプレゼントするよ」

「えーいいんですか!ありがとうございます」

わざとらしく喜んで受け取ると、見栄っ張りで救いようのないナルシストゴミ太郎君は、満足そうな笑みを浮かべて店をあとにした。

奴は角を曲がり、完全に姿が見えなくなったので、貰ったエリンジウムを売場に戻した。


思い返せば私は、物や人に不足を感じたことはなかった。

決してお金持ちとは言えないが、それなりに裕福な家庭で育ったと思う。

ピアノを習いたいと言えばピアノ教室に通わせてくれたし、ハイブランドの服が欲しいと言えば「ちゃんと勉強を頑張ること」という条件付きで買ってくれた。

両親のDNAが優秀だったおかげで、男を惹きつける美貌も獲得できた。

学生時代はしょっちゅうデートの誘いを受けたし、接客業務をすればさっきのようにいくらでも男は寄ってくる。

間違いなく、何もかもを与えられた人生だった。

にもかかわらず、なぜか私の心は一向に満たされない。

優雅にピアノを引けるようになっても、ハイブランドの服を身に纏っても、華やかに見える仕事をしても、男がいくら寄ってきてもだ。

これは、どう考えてもおかしい。

「満たす」という単語を辞書で引くと、「場所や容器などにものをいっぱいに入れること」と書かれている。

つまり、心が満ち足りていなければ、心が喜びそうなものを取り入れればいいはずだ。

なのに、いろんなものを取り入れれば取り入れるほど、虚しさは鋭さを増し、私の心を貫いていった。


***


今日は、母の日だ。

母の日と言えばそう、カーネーションだ。

実はカーネーションは色によって、花言葉が異なる。

青色のカーネーションは、永遠の幸福。

紫色のカーネーションは、気品。

そして、赤色のカーネーションは、「母への愛」だ。

だから母の日に売られているカーネーションは、赤系統のものが多い。

私は、母の日が好きだ。

なぜなら、母の日には下心丸出しの客は来なくなるからだ。

純粋で明るい心を持った客で溢れかえるので、闇属性の人間には居心地が悪いのだろう。


「・・・あのー」

小学校低学年と思われる兄弟だ。

おそらく、お母さんのためにカーネーションを買いにきたのだろう。

「カーネーションを買いにきたの?」

「はい。2本ください」

「2本?」

「はい、弟と僕がそれぞれ1本ずつ渡したいので」

「お金も、ちゃんと持ってきました」

兄がポッケから財布を出して、中にある小銭を全てレジに広げた。

「・・・」

結論から言うと、全く足りなかった。

カーネーションは1本200円。

つまり、2本ほしければ400円が必要だ。

だが、小銭を数えてみると、合計で187円しかない。

2本どころか、1本すら買えないんだよ君たちは。

「うーん、ごめん。ちょっと足りないみたい」

兄も弟も、状況を理解できないといった様子だ。

おそらくこの187円は、彼らの全財産なのだろう。

全財産を叩く覚悟で来たのだから、花の2本くらい買えると高を括っているに違いない。

でも、現実は残酷だ。

君たちは花の2本も買えず、トボトボと家に帰るしかないんだよ。

「・・・」

「・・・」

私は、この兄弟のことを何もしらない。

完全なる赤の他人だ。

だから私は、「お金が足りないよ」の一点張りで突き返してもよかった。

だけど、なんでかよく分からないけど、

ここで彼らにカーネーションを持たせてあげなければ、一生後悔するような気がした。

「あっ、こども料金は1本50円だった!ごめんごめん」

「じゃあ、2本で100円になります」

兄弟の表情は、パッと明るくなった。

「一瞬不安に思ったけど、全財産持ってきたんだからそりゃ買えるよな」といった感じだった。

本当はお金が足りていないことも、私が三文芝居をしたことも、兄弟は気がついていない。

でも、そんなことはどうでもよかった。

足りない分は、人知れず私が出しときゃいいんだ。

私は100円を受け取って、兄と弟に1本ずつカーネーションを渡した。

「お姉ちゃん、ありがとうございました」

「ありがとうございました」


私は今のやり取りで、300円を失った。

だけど、心はいつになく満たされていた。

物理的に「満たすこと」と精神的に「満たすこと」は、全く別物どころか、真反対の性質すら持っている代物だったようだ。

思い返すと、与えられるだけで、与えてこなかった人生だった。

だから、こんな簡単なことにも気がつけなかった。

「・・・そういや、母の日にプレゼントしたことなかったな」

私は仕事終わりに、おとな料金でカーネーションを購入した。

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300円を失った TK @tk20220924

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