第18話 一途(SIDE:魔王軍)

「魔王様、大変です!」


 魔王の間に、城内警備の魔族が青い顔をして飛び込んできた。


「なんだ?」


 許可もなしに突然、入ってきたその下級魔族に眉をひそめながら、魔王が尋ねた。

 しかしその魔族は、それどころではないというように慌てふためいていた。


「ち、地下のダンジョンから、大量の不死者の群れが溢れてきております!」

「なに……?」

「今はなんとか、我々警備隊が地下1階で応戦していますが、非常に数が多く、突破されて地上に侵攻されるのも時間の問題かと……」

「なぜ、そんなことになる! 地下に瘴気が溢れぬように管理させていたはずだぞ」

「も、申し訳ございません……」


 警備担当の魔族は、顔からダラダラと汗を垂らし、震えながら答えた。


「じ、実は……前まで地下1階にはスズ様が住んでいたため、地下ダンジョンの清掃は鬼族が率先して行っていたのです。ただ、鬼族の反乱によって城内の鬼たちも姿を消し……本来であれば、私たちが清掃をしなければならなかったのですが、人手不足でそこまで手がまわりませんでした……」

「愚か者めが!!」


 魔王が真っ赤な顔に血管を浮き上がらせ、鋭い眼で魔族を睨んだ。


「貴様らは、地下ダンジョンの奥に何が眠っているのか知らぬのか! もし奴が目覚めるようなことがあれば、この城は地獄の戦場となるのだぞ!」

「はっ……申し訳ございません……」

「第二部隊、第三部隊を集めろ! 地下の不死者の討伐を行う。指揮は私がとる!」

「魔王様が直々に……?」


 隣にいたパンドラが、目を見開いた。


「危険です! 不死者は魔法をもってしても簡単には倒せないのですよ? それが大量に押し寄せているとなれば、正面から戦闘は得策ではありません」

「騒ぐな、見苦しい。問題はない」

「しかし……」

「これ以上、地下に瘴気が満ちて、奴が目覚めることのほうが問題だ。それを防ぐためにも、多少の犠牲はいとわぬ」


 怒りに満ちた目でそう答えると、魔王は剣を持ち、玉座から立ち上がった。




 ◆




 イブの目は、ゼクスを見てすっかりハートマークになっていた。


 (い、イケメン過ぎる……この世界に、こんなイケメンがいたなんて……ゲイルフォンの百倍イケメンだわ……)


 彼女は、飛行してきたせいでボサボサになっていた髪を整え、ゼクスに微笑んだ。


「あなたは? 見たところ、人間族のようだけど……」

「俺はゼクス。王都テスタリア騎士団の騎士団長だ」


 ゼクスは、右手を背中の大剣の柄にかけたまま答えた。


「ゼクス……そっか、あなたが勇者ゼクスなのね。年齢はいくつなの?」

「年齢?」


 ゼクスは、怪訝そうに眉をひそめた。


「ああ、別に大した意味はないのよ。興味本位で聞いているだけだから。二十歳くらいかしら?」

「ああ、そうだ。お前はここのボスか?」

「ボス……ではないけど。はぁ、若いっていいわね、美味しそう」


 イブがニタニタと笑い、舌なめずりした。


「ボスではないんだな。俺は、この砦を奪還しに来た。大人しく引き渡すなら、命までとるつもりはない」

「奪還、ねえ……それは無理よ」


 その時、イブの灰色の目が、紫色の光を放ち、ゼクスの目にその光が注ぎ込んだ。


「くっ……なんだ、体が……?」

「うふふ……せっかくのイケメンだし、殺すのは惜しいから、私の奴隷として飼ってあげようかしら」


 イブはゆっくりとゼクスに近づくと、彼の肩に腕を回し、彼の耳元に顔を寄せた。


「くんくん、いい匂い……いい男の匂いがするわ……」

「おい、やめろ、離れろ!」


 恍惚とした表情で匂いを嗅ぐイブを、ゼクスは睨んだ。


「嫌なら抵抗したらいいじゃない? うふふ」


 真紅のドレスに包まれた豊満な胸を彼の肩におしつけながら、イブはゼクスのあごに手を当て、真正面から眼を覗き込んだ。


「綺麗な瞳……本当に完璧なイケメンだわ……さあ、私のものになりなさい」


 彼女の目から再び紫の光が放たれ、それを見たゼクスの瞳から、次第に光が消え、やがて真っ暗な空洞のように完全に光が失われた。


 イブは頬を紅潮させ、妖艶な笑みを浮かべた。


「うふふ、これでもう、あなたの心は私のもの……さあ、『私はイブ様のものです』と言いなさい!」

「わ、私は……イブ様の、ものです……」

「いい子ね……従順なペットには、たくさんご褒美をあげないとね。さあ、今度は、『私はイブ様を心の底から愛しています』と言ってみて」

「はい……私は……イブ様を……」


 彼がそこまで言った時、突然、イブの両鼻から真っ赤な鮮血が吹き出し、彼女は思わず手を離して地面にうずくまった。


「え……今のは……?」


 混乱したように目をキョロキョロさせる。

 だが、あたりには二人のほかに、誰もいない。


 イブは、夢魔の能力を使い、たしかにゼクスの心の奥深くまで入り込み、完全に支配する寸前であった。だが、その支配が完了する直前、ゼクスの心の奥から、何か得体の知れない存在が現れ、まるで狼のように、彼女の意識を食いちぎろうとしてきたのだ。


 (あのまま、意識を繋いでいたら、殺されていた……? そんな、ありえない……)


 先ほどまで、欲望に満ちた目でゼクスを見ていた彼女の瞳は、今は完全に恐怖に染まっていた。


「あなた……本当に人間なの……?」

「人間さ。なるほど、お前は夢魔って奴か……初めてだったからビックリしたぜ」

「えっ……」


 ゼクスは、もう完全に術がとけ、大剣を構えていた。


 (たかが人間のくせに……なんで私の術から簡単に抜け出せるのよ! おかしい……コイツ、何かがおかしい……それに、さっきコイツの中にいたあの獣……どこかで……)


「どうして術が効かなかったのかって顔をしてるな。夢魔っていうのは、男を魅了して誘惑する術を使うんだろ?」

「そ、そうよ……なんで、あなたには効かないのよ!」


 (高級魔族であるゲイルフォンですら、魅了できたっていうのに……!)


「まあ、俺もよくわからないけどな。向こうの世界にいた時は、よくダチに言われてたっけ……」

「向こうの世界……?」

「ああ、『お前は、バカがつくほど一途な奴だ』ってな」


 と。


 彼らが立っている場所のすぐ横の床が、いきなり爆発し、真っ黒な炎が青い空に吹き上がった。

 崩れ去った天井の下で、スズとゲイルフォンが向かい合っていた。


「スズ!?」


 ゼクスがスズを見て叫んだ。

 それを見た瞬間、イブは全てを理解した。


 (そうか……このイケメンの心の中にいたのは、アイツだったのね……野蛮で下品な豚女の分際で、こんなイケメンの彼氏がいるなんて……ムカつく、許せない!)


 イブの全身から、紫色の炎が立ちのぼり、それが一斉にゼクスの体に襲いかかった。


「私のものになならいなら、今すぐに死ねっ!」

「くっ」


 ゼクスは大剣を構え、防御の姿勢をとる。


 直後。


 降り注ぐ紫の炎の前に虹色の壁が現れ、ゼクスを守った。


「この魔法は……」


 ハッとしてイブとゼクスが顔を上げると、上空に白い杖を構えた大聖女が浮かんでいた。


「シエル!」


 そう声をかけると、シエルは女神のような微笑をゼクスに向けた。


「お待たせしました、ゼクス。私が来たからには、もう安心ですよ」

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