ドキュンメイト

白柳テア

第1話 ザイブという男性


東京都北千住。土曜日。雨の日の昼下がり。

どうしてこうも、デートの時だけ、雨が降るんだろう。


「石田三成はねえ、日本史では悪役で有名じゃないですか。彼は本当に志が高い男で、全然人の言う事を聞かなかったんですよ、ってあれ、聞いてます?」


「はあ……」


目の前にいる初対面の男性が、「戦国武士の逸話」について、口早で赤ら顔に語っている。これが、本当に俗に言う「デート」なんだろうか。


日本史の薀蓄を嫌と言うほど聞かされた後は、私が卒業した学部の経営学の話でもしようかと思ったが、どうせ一方通行になってしまうからやめておくことにした。

ああ、話がかみ合わない。会話に「イノベーション」でも起きない限り。


そういえば、世界に冠たる国際企業の「イノベーション」って、大学で習うものでは色々とあったなあと空想を広げる。


1920年代、低価格・高賃金でフォードの大量生産を可能にしたフォーディズム。受注してから生産を行うことで、在庫を持たずに大量の受注を実現したデルのBTO。別に今思い出しても仕方がないけど、全く盛り上がらず、質問の投げ合いになってしまった目の前の状況から早く抜け出したくて、私の頭は猛烈なスピードで空想を始めていた。23分45秒の会話を覆すイノベーションでも起きない限り、完全に詰みだ。規則正しくベルトコンベヤーで運ばれる部品を組み立てられていくのとは正反対で、会話がちっともまとまっていかない。


26歳の私は、学習塾の事務員だ。

大学4年の時に始めた学習塾バイトから声がかかり、いつのまにか正社員になっていた。最近の土日は周囲の結婚ブームから「何となく」マッチングアプリを使用して、デートに出掛ける。会って話して1、2時間で解散なんて、それを「初デート」と言うのかはわからないけど。


目の前の男性は、文学部史学科卒、今は食品メーカーで働いているとか。

職業、趣味、最寄り等フェイスシート項目をあらかた聞いた後は、後程どう「お互いを知る最善の努力を尽くしたか」の判断材料となるための残り時間を稼ぐかが問題になってくる。


「ご出身はどこなんでしたっけ?」


「福岡です」


「へえ」


「正岡さんは、ご出身は?」

正岡は、私の名前だ。正岡侑李。


「私は生まれも育ちもずっと埼玉です」


「へえ。埼玉では何をされているんですか? お休みの時とか」


「埼玉って……私の主な行動範囲は東京ですので、色々……」


「そうなんですか」


「薄井さんは、お休みの日は普段何されるんですか?」


「それ、さっきも確か話しましたけど……基本、本読んだりゴロゴロしてますよ」


「ああ、すみません……」


地獄だ。興味が持てない男性に出会ってしまった時は、3分で分かる。これでも、この3か月で10人程度は会ってきたし、全くピンとくる男性がいないのは、何故だろうか。目の前の男性、薄井さんは細身で角ぶち眼鏡、街中でよく見る青と白が砂嵐の様に混ざった模様のパーカーを着ている。日本史にはかなり詳しいらしいが、それも興味がない私は、もう何にも興味が湧かないのだろうか? 薄井さんも既に疲れた様子でスマホを確認している。ちらっと盗み見をすると、私達が出会ったアプリを開いていた。別にアプリを覗いたって誰も助けてくれないでしょう。目の前のアイスココアを飲み干したら、もう解散を私から申し出る予定だった。


「今日午後は雨って言いますし、そろそろ解散にしますか……」


私が席を立とうとした、その時。

二人用の席に無理やり椅子を持ってきて、私と薄井さんの間に誰かが座った。


「あの、すみません」


呼んでもいない見知らぬ男性が、当たり前のようにそこに座っている。スーツ姿に眼鏡で、髪型はぴったりとした七三分け。身長も180cmくらいはありそうな、モデル体型。

「どちらさまで……」

戸惑う私に、向かいの薄井さんはばつが悪そうに下を向いている。特に驚く様子もなく。その男性は私の顔を覗き込み、私の視線を捉えた。

アキ

「こんにちは。ご指名頂き、ありがとうございます。ご一緒させていただきますザイブマサアキと申します。本日はどうぞ、よろしくお願い致します」


何もフォローを入れない薄井さんに腹が立ち、食い気味に男性に話しかける。


「あの、席間違っていませんか? 私達、あなたを呼んでもいないし、ザイブさんなんて人知りません」


「おや……。どうも間違いではないみたいですよ。私はこの薄井様からご指名を受けましたので」


指名……?薄井さんが?訳が分からず、薄井さんに眉をひそめる。薄井さんがもごもごと何かを私に伝えようとした。


「ごめん……呼んじゃった……」

「え、本当にあなたが彼を呼んだんですか? お知り合い?」

「いや……」


薄井さんはそう言って私に彼のスマホの画面を見せた。スマホには先ほどチラ見していたアプリが開かれている。ピンク色の画面に、左上が私の名前と真ん中のメッセージのやり取りの画面。何の変哲もないトーク履歴。


「何ですか? これを見ても良く分かりません。これがどうザイブさんと?」

「下を良く見てください」

言われるがままにトーク履歴の右下、薄井さんの親指で少し隠れている部分を読むと、「追加コンテンツ」の表示があった。


「追加コンテンツって……課金したら使えるやつですか?」

薄井さんが黙って頷く。

「正岡さんは知らなかったかもしれないけど、最近追加コンテンツに新しい機能が追加されたんです。それでザイブさんを呼びました」

私は黙って薄井さんのスマホを奪い、追加コンテンツの先を開いた。


・高級レストラン予約代行 \1000

・初デートの10のお約束カルテ \300

\2,500

 (カップル成立率 30%上昇!いきなり大好評を頂いております!)


「会話のプロ」外注サービス……?


私達が使用したアプリは「ドキュンメイト」という半年前にリリースされたばかりのものだ。追加コンテンツが豊富だとは聞いていたが、まさかデート中に見ず知らずの自称「会話のプロ」達を呼ぶコンテンツが出来ていたなんて度が過ぎている。薄井さんは沈黙に耐えかねて2,500円を払ったということなのか。それに、ザイブさんの胡散臭さが尋常ではない。


「薄井さん……気まずくて辛いなら言ってくださいよ。無理して続けなくていいんですから」


「僕元から会話苦手意識あって……せっかくならプロにお願いしたくて、今回は初めて使ってみたんです」


「私に相談もしないで……」


「相談したら、お互い地獄じゃないですか」


薄井さんとの、初めての言葉の掛け合いが成立した気がした。ザイブさんという謎の「共通の敵」が現れたことで、団結する二人。いや、薄井さんにとってザイブさんは救世主なのか。


「おや、お二人は既に随分相性がよさそうですね。さて、今日はどんな話をされていたんですか?」

「勝手に話を進めないでください……。私はあなたに話すことはありません」

「正岡さん、そう言わずに、一回この人に任せてみようよ」


薄井さんが妙に積極的になっている。私としては、私達の話が嚙み合っていないことに真正面から向き合おうとせず、お金で解決しようとした薄井さんの自分への自信の無さというか、その場しのぎの解決策が腹立たしい。


「趣味とか、出身話しただけです。初めてでそれ以外あるんですか?」


「うーん。素晴らしいスタートですね。盛り上がる会話の条件「共感」があれば、の話ですけど。人間は結局、自分の話を聞いてくれて、理解してくれる人を探していますから」

「いや、あまりに共通点がない場合はどうすればいいんですか」

薄井さんも私に同意したのか、何度も頷く。


「そんなことないですからご安心を。じゃあ、趣味について再び話してみてください」


「僕の趣味は読書です」


「そうですか……。ほら、ここで終わっちゃうんですよ」


私がじろりとザイブさんを見ると、余裕の笑みを見せて組んだ指を机に置いた。


「それじゃあ、どんな本がお好きなんでしょう?最近読んだ本と、今までで一番好きな本は?あなたの人生を変えた本は?」


何故か薄井さんが少し安堵の表情を浮かべ、すっと息を吸い込んだ。私はまだ、この人が私に黙って「神頼み=ザイブ頼み」をしたことが情けなく、半信半疑で聞いていた。

「えっえっと……。僕は最近ネット小説を良く読んでます。某有名サイトの週間ランキングを追ってて………でも僕が大好きな本は実は海外小説でドストエフスキーの「罪と罰」とかジョージ・オーウェルの「動物農場」とか……人生を変えた本、っていうのは無くて毎回読むたびにそれが人生に必要な要素になっていくというか……、です」


ラップトップに目を落としながらも全く何も記入していないザイブさんを心底気味悪く感じながら、実は私は少しなるほど、と思っていた。案の定、趣味の対象である「読書」やその小さいカテゴリのジャンルやタイトルは高速で通り過ぎる列車の車体の文字が読めないように、全く頭に入ってこない。


ただ――彼の人生のスタンスが垣間見えた気がしていた。薄井さんは、きっと「行き当たりばったり」を苦にしないタイプだ。私が、周りが二、三年で幾度となく転職を繰り返す中でご縁のあった学習塾にそのまま就職し続けているのも、私もそうだったからだ。薄井さんが私の表情を盗み見た。(喋り過ぎたか……)と心の声が大になって聞こえたが、私は返す言葉に詰まった。得意分野を語る時の熱意のこもった話に感情を揺さぶられ、共感して話が弾む想定なら、ザイブさんの手法はあまりにベタすぎて屈服するのが悔しい。薄井さんとの会話がどうしようもなかったとはいえ、第三者に縋って会話を助けてもらうのは恥ずかしすぎる。


「分かりま……せん」

「はい? 何がですか?」

「ここから何を話したらいいのかわからないんです」


半分本心、半分反骨精神で私はザイブさんにそう伝えた。薄井さん、ごめん。


「なるほど……」

ザイブさんの口角が上がった気がした。


ああ、もう私は「ドキュンメイト」なんてアプリ使うの辞めよう。新進気鋭のサービスとはいえ、これで成立してその後どうなるというのだ。たちまち会話がすぼんで、悲惨な結末を迎えるに決まっている。


「して正岡さん。そうするとあなたには少し努力が欠けていますね。このデートを続行したいという意思が感じられません。お互いの時間が勿体無いですので、ここで私が強制終了としましょうかね」


強制終了。この外注サービスでは、そんな権利も執行できるのか。これではまるで私が原因で上手くいかなかったみたいだ。薄井さんが顔を真下に向け「ズッ」とカフェラテを飲み干した音が響いた。


「待ってください」

ラップトップを閉じかけたザイブさんを呼び止める。


「それとも、彼の話に少しでも共感できるところがあったのですか」

「共感っていうか、私にも似たところがあるなと思っただけです。薄井さん。あなたは、「人生万事塞翁が馬」なタイプの人間ですよね。周りの波に乗り換えることもせず、自分の波だけ追いかけることがモットーですよね」


「……?」

薄井さんは唐突に哲学的な話が始まった私が理解できず、でも私が何か喋ったことで少し気持ちを取り直し、私の次の言葉を待ってくれていた。でもこれ以上、無理だ。私はザイブさんに乗せられるがまま薄井さんに少し寄り添ってあげただけだ。


「この正岡さんという女性は、少々頑固な一面があるみたいですね、薄井さん」


「僕は」

薄井さんがおしぼりを左手でぎゅっ、と握り絞めた。


「正直、僕が勝手にザイブさんを呼んだことへの不信感を抱えながら会話に応じてくれた正岡さんに感謝しています。不信感を抱くのは当たり前です。寧ろ素直な対応をしてくれて嬉しかったです。頑固なんかじゃありませんよ」


薄井さんはグラスをゆっくりとテーブルに置くと、今回は私の目を見たままそう言った。ザイブさんがラップトップの画面を静かに前に倒して閉じながら私の顔を見る。


「ああ、そうですか。よかったですね。正岡さん。お互い素直になれたということで、素晴らしい結果となりました」


何だろう、この展開。最初の数十分の、地獄のような雰囲気で奇跡的なイノベーションを期待していた、あの自分を丸ごと全く別の場所へ転送させたい気分からは脱したけれど、ただザイブさんという隠し玉を見せて、動揺する私に彼を利用して意地悪な質問をし本心を聞き出させた、薄井さんの権謀術数に嵌っただけ……かも。本当に怖いのは、ザイブさんじゃなくて私に会う前からぜーんぶを計画していた薄井さんなんじゃないか。ここまで来て、更に不信感が膨れ上がってきてしまった。


「さて……15分ですか。私はそろそろ失礼させていただきます」

ザイブさんがアナログ式の腕時計を確認すると、椅子から立ち上がる。


「え、時間制限あるんですか?」

「ええ。延長しますか?」

「いや、いいです」


薄井さんは断った。意外だと思った。その一言で、ザイブさんは「失礼します」と言って自分でコーヒーの入ったグラスを片付け、消えた。


彼が消えると、私は薄井さんへの怒りが込み上がってきた。彼がいて分かったのは、ただ「人生の価値観というか、これまでの生き方が似ていること」だけだ。


「あの、いかにも「素直に意見をぶつけ合ってそこから信頼が芽生える」みたいな展開作り出そうとしてましたけど、それってザイブさんに頼らないと出来ないことだったんですか? それに、彼は本当にサービス側の人間ですか? あなたの知り合いで、既に趣味や会話の癖を調査済みとか? やけにあなたの会話を引き出すの上手でしたよね」


「それはないですよ! 彼はあくまで会話のプロです。でも、勝手なことしてすみませんでした。だけど、聞いてくれませんか。彼は全くの他人で、僕が藁にも縋る思いで彼を呼んだのは事実です。彼はただ僕のどうしようもなくオタクな部分を無理やり引き出させるのに必要だった。僕はそれすら出来なかったんですから」


「それで? どうしてお金なんか無駄にして引き出す必要があったんです? 私達の相性が最悪なのは分かってたじゃないですか」


「酷いなあ。正岡さん。本当にそうでしょうか? 僕だってこのアプリはもう半年も使ってますし、毎回女性と会話を進めるのに必死なんですから。お互いそうじゃないんですか? それにね、僕はあなたの哲学、凄く共感しますよ」


「私のですか?」


まさか、あの時か。

私が薄井さんの人生へのスタンスを読み解き、自分に似ている、と一瞬でも思ってしまった時。彼はあの時豆鉄砲を喰らったような表情をしていたのに。


「人生の波には逆らわない生き方。好きなものは追求して、飽きたら辞めるけど、それを否定しない生き方。僕たち滅茶苦茶似てるじゃないですか?」


「だからって……私には良くわかりません。私は中途半端な気持ちでマッチングアプリ初めて、理想もゴールもありませんよ。考え方が似ているから、何なんですか。私達、付き合うわけでもないのに」


「そこは、正岡さん。それこそ行き当たりばったりでいいと思っていますよ。情けない僕は堂々と課金サービスを使ったけれど、それに耐えてくれてありがとうございます。僕は次があるなら、彼がいなくても正岡さんとは話せる気がします」


妙に落ち着きが備わった薄井さんを、私はそれでも「魅力的」とは思わなかった。

人間は、自分と似たような考えを持つ人間と一緒にいると、気持ちが大きくなり、普段はできないこともできてしまうという心理学の研究結果がある。

まるで今の薄井さんは、協力な助っ人から一時的な精力を分けて貰った一回り大きなスキンを纏っているように見えた。


「そうでしょうか。全く、不思議な体験をしてしまいましたよ、私は。今日は本当に帰ります。ありがとうございました」



私は薄井さんという男性には、もう会うつもりはなかった。


ザイブさんを呼んだ行為には、やはり何か調査や作戦を徹底的に練ったような怖さを感じたからである。彼がいなくなった後で、戻ってくる会話が自然になるはずがない。ザイブさんがこの世界に本当に存在する成人男性とも思えなかった。彼は一時的に呼び出された、マッチングアプリによくある会話サジェスチョンのAIがそのまま人間になったような、無機質さがあった。一体「ドキュンメイト」はこんな課金サービスを作って、何がしたいのだろう。一時的な助けを得ても、その後が上手くいくはずもないのに。それとも、一生ザイブさんを呼び続けて上手くいかせ、お金をむしり取るサービスなのだろうか……?


あの日すぐに私は「ドキュンメイト」を退会した。

もう薄井さんにもザイブさんにも会うことはないだろう、と思っていた一週間後、私はまた一組のデート中の男女の中に紛れ込む彼を見かけてしまうのである。












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ドキュンメイト 白柳テア @shiroyanagi

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