第14話 ミレーネ救出
西のダンジョン、二層目。最初に到達した部屋にて【シャドウ・ボーナー】達の奇襲を退けた後。
此処に来た目的のひとつが、ずっと探していた要救助者が、まさかこの場で見つかろうなどと誰が予想しただろうか?
「ミレーネ! ミレーネ……っ!」
妹の名を必死に呼びながら、デイアンさんの姿が五つ目の土塁の向こうに沈む。その傍では、シェーナが緊張の面持ちで立っている。カティアさんも少し遅れながら彼女達の居る場所へと到着し、ゆっくりとその腰を落とした。
私も、悪戦苦闘しながらどうにか残りの土塁をよじよじと乗り越え、ようやくそこへ辿り着く。そして恐る恐るミレーネさんの様子を窺った。
「わっ、綺麗……!」
思わずそう口に出してしまう程の美少女が、ぐったりと土塁に背を付けた状態で座り込んでいた。ウェーブがかったブロンドの髪も、衣服も、白い肌も、返り血やら土埃やらで汚れてしまっているが、伏せられたその横顔は大変にあどけなく、美しい。しかし何処と無く、デイアンさんの面影があるように見えた。
「ミレーネ……! ああ良かった、自力で此処まで逃げてきたんだな?」
兄の呼び掛けに対して一向に応える気配が無いものの、ようやく探し求めた妹の姿をその目で確認することが出来て、デイアンさんは声を潤ませる。
だがそんな安堵の空気を遮るように、カティアさんがにじり寄っていった。
「離れて」
「え? でも……」
「良いから、早く!」
カティアさんの意外な剣幕に圧され、デイアンさんがやむなくミレーネさんから身を離す。それと入れ替わるように、カティアさんがずいっとミレーネさんの前に進み出た。
「聖なる力よ、この者に魔の気配が無いか探り給え――」
何をするのかと思えば、カティアさんは自分の【聖なる護り石】を手に持ってミレーネさんに向けて翳している。彼女の唱える呪文と共に、石は聖なる白い光を発してミレーネさんに降り注いだ。
「シェーナ、カティアさんは何をしているの? ミレーネさんの治療?」
「いいえ……。彼女に、魔物や魔族の悪影響が出ていないかを確かめているのよ」
シェーナは、若干言い難そうに答えた。デイアンさんが驚きの眼差しでシェーナを見上げる。
「ミレーネに、魔族の悪影響が……!? 一体、どういうことなんです!?」
「魔物の中には人体に取り憑いたり、精神を汚染して人格を歪めたりする存在も居るのだ、デイアン殿」
シェーナは、意を決したようにデイアンさんと向き合った。
「魔族の場合は、魔法で他者の精神に干渉して意のままに操ると言われている。ミレーネ殿が、そのいずれかの影響を受けている可能性は……否定し切れない」
「そんな……!?」
デイアンさんは愕然と目を見開いた。私の背筋にも冷たいものが走る。
「貴殿も見た筈。此処はつい先程まであの魔物どもの巣窟だった。ミレーネ殿がこうして同じ部屋に居るのは、不自然だ」
シェーナの言うことは正論だった。もしミレーネさんが前から此処に居たのなら、あの【シャドウ・ボーナー】達に気付かれていないのはおかしい。普通なら真っ先に標的にされ、私達が此処に辿り着くより前になすすべなく生命を奪われていただろう。気分の良くない話だが、そう考える方が自然なのだ。
戦闘の最中に彼女が入ってきたという可能性もあるにはあるけど、正直言って蓋然性は低い。室内の状況が良くわかっていない段階でノコノコ入ってくることなんて、冒険者の彼女がするだろうか? 仮にオーガに追い立てられて逃げていたのなら、今頃はオーガも姿を見せている筈。それとも、此処でこうして倒れていることから、ひとり前後不覚の状態でどうにか逃げてきて、半ば無意識的に……。
「ねえシェーナ、さっきの《スキル》発動中に、ミレーネさんらしき気配は感じなかったの?」
「感じなかった……と思う。【シャドウ・ボーナー】との戦いに集中していて、気付かなかっただけかも知れないけど」
「戦闘の最中にミレーネさんがふらふら~っとこの部屋に入ってきた、とかは?」
「流石にそれだったら気付くわよ。彼女は最初から此処に倒れていたと考えるべきだと思うわ、シッスル」
……やはり、無理がある。だけど、それでも私はシェーナに食い下がらざるを得なかった。
「でもシェーナ、だからと言ってまだミレーネさんが魔物の術中に陥っているとは決まっていないんじゃ……?」
「無論よ、だからああやってカティアが聖術で確認しているの」
シェーナは、ミレーネさんに向かって護り石を翳し続けているカティアさんを硬い表情で見つめている。私とデイアンさんも、それに倣うしかない。
皆で、カティアさんの作業を固唾を呑んで見守った。
やがて、彼女が護り石を握っていた手をゆっくりと下に下ろす。額に掛かった自分の赤髪を指先でちょいと払い、カティアさんは静かに告げた。
「……魔の残滓は感じられないわ。どうやら、彼女は大丈夫なようね」
息が詰まりそうなくらいに張り詰めた空気が、一気に弛緩する。
「よ、良かったぁぁぁ~~……!」
「カティア殿、ではミレーネは……?」
「所々に小さな傷は付いてるけど、他に目立った外傷も無し。今彼女の身体を検めたついでに、簡易な治癒術も施しておいたからすぐに目を覚ますと思うわ」
デイアンさんの顔が、見る見る晴れ渡る。カティアさんに顔をくっつけんばかりに身を乗り出して、声を弾ませた。
「ミレーネは、妹は無事なんですね……!?」
「ああもう、顔が近いわよ! 心配しなくてもあんたの妹はちゃんと生きているわよ。あのモードって男よりずっとマシな状態でね」
「なんとお礼を言ったら良いか……! この御恩は一生忘れません!」
「言ったでしょ、私のこれは仕事。治療の代金も納付税から賄われるから気にしないでって。私よりも、もっと他にお礼を言うべき相手が居るんじゃない?」
デイアンさんは、即座に私達に向き直って深く頭を下げた。
「シェーナさん、シッスルさん。あなた達が危険を押して先に進むと言ってくれたからこそ、こうして妹を助けることが出来ました。御二方の勇気と誠心に、心より感謝致します! 《鈴の矢》のメンバー一同、この度の行動を深く反省すると共に、御二方には――」
「ちょ、ちょっとデイアンさん待って待って! そんな話より、今はミレーネさんを連れて此処を出る方が先決ですよ!」
かしこまった謝意を述べるデイアンさんを押し留めて、私は急いで言った。横でシェーナも大きく頷く。
「ミレーネ殿が見つかったのは僥倖だ。これで目的のひとつは達した。二層の偵察は切り上げて、我々はすぐにも地上へ戻るべきだろう」
「そうね、オーガが野放しなことには変わりがないもの。今此処でアイツと遭遇するのは御免だわ。さっさと撤退して、後は元気な他の騎士達に任せちゃいましょ」
「同感です。それでは、ミレーネは僕が……」
「私も手を貸そう、デイアン殿」
と、デイアンさんとシェーナがぐったりしたままのミレーネさんを両脇から抱え上げようとした時だ。
「――っぅ! う、ううぅ……!」
ミレーネさんの身体が、軽い電気を浴びたカエルのようにピクリと動き、か細い声が漏れた。
「ミレーネ!?」
急いでデイアンさんが妹の身体を再び土塁の背に預ける。
「気が付いたのか!? 僕だ、デイアンだ! ミレーネ、僕が分かるか!?」
「ぅ……!? に、にい、さん……?」
ミレーネさんがゆっくりと首を持ち上げ、胡乱な目でデイアンさんを見た。少しの間、目をパチパチと瞬かせていたが、次第にその瞳に色と生気が戻ってくる。
「にいさん……兄さんっ!」
完全に目元に力を取り戻したミレーネさんが、がばっと身を跳ね上げてデイアンさんに抱き着いた。
「無事だったのね!? 良かった……!」
「それはこっちのセリフだ! ミレーネ、済まなかった! お前を置いて、俺達だけで……!」
声を詰まらせながら、ミレーネさんを優しく抱擁してその頭を撫でるデイアンさん。感動的な兄妹の再会に、私も胸が詰まりそうになった。
「デイアン殿、喜ぶのは後にしよう。まずはダンジョンから出ることを優先しなくては」
シェーナが、控えめに横から促した。ミレーネさんがシェーナを見る。
「兄さん、この人は……?」
「守護聖騎士団のシェーナさんだ。それにこちらは同じくカティアさん、それから魔術士のシッスルさんもご一緒して下さった。皆、お前を助ける為に力を貸してくれたんだぞ」
「そうだったんですか……。どうもありがとうございます。この度は――」
「だぁぁ、もう! お礼も挨拶も後にしなさい! とにかく、さっさと帰るわよ!」
カティアさんが痺れを切らしたように地団駄を踏む。
「ほら、とっとと歩く! 遅れたら置いていくから覚悟しなさい!」
「分かった、分かったからそう癇癪を起こすなカティア」
シェーナがプンスカと語気を荒げるカティアさんを宥めつつ、再びミレーネさんの傍にしゃがみ込む。
「ミレーネ、立てるか?」
「ん……。なんとか、大丈夫そう」
土塁に手をついて、ミレーネさんが自力で腰を浮かせる。まだ、僅かながら動ける力は残っているみたいだ。体勢を入れ替えて地面に膝を付き、どうにか身体を伸ばそうとしている妹へ、そっと兄の手が差し伸べられる。
「僕とシェーナさんが肩を貸そう。まだ辛いと思うが、出口まで頑張ってくれ」
「そんなに心配しないでよ、兄さん。私だって《鈴の矢》の一員なんだから。……弓と矢は、失くしちゃったけどね」
デイアンさんとシェーナに両脇から支えられて何とか立ち上がったミレーネさんは、それでも少しおどけた様子でウィンクしながらぺろりと舌を出した。
「はは、冗談を言える余裕があるなら良かったよ」
そんな妹の様子に、デイアンさんの張り詰めた表情も少しだけ緩むのだった。
私達は来た時以上に土塁に悪戦苦闘しながら、それでも時間を掛けてミレーネさんに全ての土塁を越えさせることに成功し、どうにか部屋を後にした。
生命に別状は無かったとは言え、やはりミレーネさんは激しく体力を消耗していたようで、ひとつ土塁を跨ぐごとに顔色が悪くなっていった。部屋を出る頃には、もう一歩進むだけでも辛そうに脚をがくがくと振るわせてしまっていた。デイアンさんとシェーナは、そんな彼女を懸命に両脇から補助して少しずつ足を前に運んでいたが、これでは埒が明かないと思ったのかデイアンさんが提案した。
「ミレーネ、やはり僕がお前をおぶって行こう。その方が早い」
「兄さん……。でも……」
「でもじゃない。歩ける力が残っているならと思っていたが、これ以上お前にそれを求めるのは酷だ。進みが遅くて、皆さんの迷惑にもなってしまう」
「そうだな、それが良さそうだ。こんな時なのだミレーネ殿、遠慮せず兄上殿を頼ると良い」
「シェーナさん……。はい、分かりました。兄さん、悪いけどお願い」
「大丈夫だ、任せろ」
ミレーネさんは少し迷った様子だったがやがて遠慮がちに頷き、目の前でしゃがんだデイアンさんの背中にその身を預ける。妹がしっかりと自分の背中に乗ったことを確認したデイアンさんは、彼女の両腿をしっかりと手で支えながら立ち上がった。
「兄さん、ごめんね。重くない?」
「全然。これでも《鈴の矢》のリーダーだからな。お前ひとりを背負って歩くくらい、別にどうということも無いさ」
泰然とした兄の言葉に、ミレーネさんは何処か安心したようにはにかんで、身体を更にデイアンさんの方へと寄せた。
「えへへ、ありがと」
耳元に囁きかけるようにミレーネさんが言うと、デイアンさんは少し照れくさそうにわざとらしく声を掛けた。
「懐かしいな、昔はこうして良くお前をおぶったものだよ」
「もう! それは子供の頃の話でしょ! 今は仕方無く、なんだから……!」
私達の前で急に幼い頃の話を持ち出されてミレーネさんは顔を赤く染めたが、何処かまんざらでも無さそうだった。
そんなやり取りに、不器用ながらも確かな兄妹の絆が垣間見えたような気がして、私はひとり密かにくすりと笑うのだった。
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