第13話 スキル
二層目に入ってから最初の部屋。そこで待ち受けていた無数の魔物、【
土塁の向こうから次々と湧いてくる彼らを見て、しかしシェーナは不敵に笑う。
「《
シェーナの長い髪が逆立ち、全身が淡い青色の光に包まれる。
「出たわね、リョス・ヒュム族の十八番」
勝ちを確信したと思しき、カティアさんの声が聴こえた。
それを皮切りに、シェーナが新たな変化を見せる。
「ええっ!?」
私は一瞬目を疑った。シェーナの身体が、二つに増えた。それは最早『分裂』とでも言うしか無い現象だった。
増えた身体、二人目のシェーナが、最も近くに迫っていた【シャドウ・ボーナー】に肉薄する。瞬間移動に等しい、神速の動きで。青い光の軌跡を描きつつ。
そしてそのまま脇をすり抜ける。そこから更に、三人目のシェーナが現れて横の一体に突進する。気付けば、最初のシェーナの姿は跡形もなく消えていた。
二人目が三人目を、三人目が四人目を――。シェーナの身体から次々と分身が生まれ、その都度元のシェーナが消えてゆく。分身のシェーナは、必ず【シャドウ・ボーナー】の近くに迫り、その脇を抜けてゆく。それがあまりに疾くて、【シャドウ・ボーナー】達は全く反応が出来ていない。私ですら、彼女の動きから生まれる青光の残滓でその姿を目で追うのがやっとだ。
やがてそれが十度程繰り返された頃、分身のシェーナが最初の位置に戻ってきた。彼女の全身にまとわり付く青い光が消え、代わりに両手に握り締めた刀の刀身がキラリと妖しく光る。
「んー、まずは十匹か。まあまあね」
横からカティアさんの声がした。いつの間にか、私の隣に立っている。その言葉が終わると同時に……。
――シェーナとすれ違った【シャドウ・ボーナー】達が、一斉に斃れた。
「うそっ!?」
私の驚きを他所に、シェーナは血振りをするように一度大きく刀を振って残心を示した。そして、未だ多くが犇めく残りの【シャドウ・ボーナー】達に向かって怒号を浴びせる。
「貴様らごとき、聖術を使うまでも無い! 我が剣の前に散れ!」
膝を曲げて腰を沈め、再び青い光を身に纏うシェーナ。
そして、もう一度見舞われる青光の乱舞。
私もようやく理解できた。あれは、シェーナの技だ。リョス・ヒュムである彼女ならではの、人間には真似出来ない剣技。
「これが、シェーナの《
通称エルフ、ドワーフと呼ばれる亜人種、リョス・ヒュム族とディク・ヒュム族には魔法に対する適性が無い。魔素エネルギーに適応して魔力を生み出せるのは人間――ミド・ヒュムだけであり、それ故に魔術士となり得るのも人間に限られる。
しかしその代わりに、リョス・ヒュムとディク・ヒュムにはそれぞれ彼らだけしか持ち得ない特別な能力がある。それが、《スキル》だ。
シェーナの――リョス・ヒュムの《スキル》とは、すなわち“身体能力の飛躍的な向上”。一定時間、自分の運動能力の限界を越えて身体を動かすことが出来るというもの。筋力だけでなく、視力や聴力にも効果は及び、《スキル》発動中のリョス・ヒュムを傷つけることは不可能であるとさえ一部では言われている。
ただし、それにも当然ながら個人差があり、十全に《スキル》を使いこなせるようになるには、相当の訓練が必要であるとも聴いている。私達魔術士が、きちんと修練を積まないと魔法を使えないのと同様に。
シェーナのあれは、かなりの鍛錬を自分に課してきた証拠。守護聖騎士として人々を守れるようになるという、彼女の想いと努力の結果だ。
「だから言ったのよ。シェーナが居れば並大抵の障害は問題にならないって」
何故か得意気に、カティアさんが胸をそらした。
「凄いですね……。リョス・ヒュム族の《スキル》、噂には聴いていましたが……」
デイアンさんも戻ってきていた。シェーナの惚れ惚れするような戦い振りを見て、しきりに感嘆の声を漏らしている。
そうしている間にも、【シャドウ・ボーナー】達は次々と斬り伏せられて次第にその数を減らしていった。土塁の向こうから繰り出される新手も最早無く、既に両手で数えられるくらいになっている。
このまま、シェーナが無双して終わる。誰もがそう思った。
ところが、そこで【シャドウ・ボーナー】達が新たな動きを見せたのだ。
「えっ!? き、消えた!?」
青い閃光と化したシェーナの次なる一撃。それが放たれようとした刹那、残りの【シャドウ・ボーナー】達が一斉に黒い液体のようなものにその身を変えて、瞬く間に地面の中へ吸い込まれていった。
「まずいわね、向こうも最後までただやられっぱなしじゃないということか……」
カティアさんが呻くように言う。
標的を見失い、シェーナが足を止める。【シャドウ・ボーナー】達が消えていった地面を、注意深く窺っている様子だ。
その背後で、彼女の影が盛り上がる。
「――! シェーナ、後ろっ!」
「っ!?」
私の叫びに反応して、シェーナがその場を飛び退いた。
直後に盛り上がった影の中から放たれる刺突。再びその姿を象った【シャドウ・ボーナー】が、剣先を突き出した姿勢で忌々しげにシェーナを睨む。
「舐めるなっ!」
反撃に転じたシェーナの刀が、そいつの首を跳ね飛ばした。生命を喪い、今度こそ斃れる【シャドウ・ボーナー】。
「影だ……! 影の中を移動しているんだ……!」
私は連中の特性をもう一度思い出していた。【シャドウ・ボーナー】は影に紛れての移動が可能な疑似生命体。影は、逃げ込める場所にも奇襲に使える足掛かりにもなる!
「シェーナさん、気をつけて下さい! 残りの奴らはまだ影の中です!」
デイアンさんの声が飛ぶ。言いながら、彼もまた短剣を構え直していた。が、その場から一歩を踏み出せない。影の中では敵の狙いが分からないからだ。いきなりこちらが不意打ちされる危険もある。カティアさんも剣を構えて防御の姿勢をとった。
二人共その場から動けない。これでは、シェーナの援護が出来ない。
「シェーナっ!」
「こっちは良い、カティア! シッスルとデイアン殿を守れっ!」
勇ましく指示を出しながら、シェーナは器用に影の中からの奇襲を躱してゆく。だがそれも、《スキル》によって強化された身体能力のお陰でかろうじて、といった様子だった。魔灯石の光によって生み出された影は広く、長く地面に根を張っている。最初の一体を反撃で斃せたのは幸運があったからのようで、以後の【シャドウ・ボーナー】達の攻撃はきちんと連携が取れており、隙が無い。四方八方から繰り出される彼らの剣先は、今にもシェーナの身体を貫きそうに見えた。
「どうしよう……! どうにかしないと……!」
「そうよ! あんた、何とかしなさいよ! 魔術士でしょ!?」
オロオロするばかりの私を見て、カティアさんが苛立たしげに叱声を飛ばす。彼女の言う通りだと頭では理解しても、私にはまだ躊躇いがあった。どうすれば良いのか分からないというような、全くの思考停止に陥っていたからではない。
幻術を使う――。取るべき手法も、頭の中でシミュレート自体は出来ている。
シェーナの幻影を作り、【シャドウ・ボーナー】達を誤認させる――。幻光を使えば、ものの一秒で彼女の分身は出来る。
だが問題は、それをどう囮として機能させるかだった。今のままでは、シェーナと敵の距離が近すぎる。全員を誤認させるのは無理だ。影の中に逃れている状態の敵にまでは、私の光は届かない。その上、十中八九シェーナをも巻き込んでしまう。私の幻光は、相手を選ばないのだ。昨夜のスリを人気のないところで確保しようとしたのもそれが理由だった。幻術に掛かった状態のシェーナを、無事だった【シャドウ・ボーナー】に狙われたらおしまいだ。
……どうする? リスクを覚悟で仕掛けるか? 目を閉じるようシェーナに言うことは出来る。だが、光というものは目蓋の上からでも僅かながらではあるが瞳に届く。幻術を使えば、此処に居る皆を巻き込むのは必須だ。……ああ、こんな風に迷っている場合じゃないのに!
「せめて、地面の上にある影を減らせれば……!」
「……!」
ひとり頭を抱える私の耳に届いた、デイアンさんの呟き。それが、私に天啓のような閃きを与えてくれた。
――そうだ、その手があった!
「シェーナ! 目を閉じて!!」
叫びざま、私は手のひらを上にかざして例の幻光球を生み出す。さっきのとは比べ物にならないくらい、光量の強いやつを。
ただし、幻術の起点たる仕込みの無い、単一で純粋な光の結晶をだ!
「シッスル!?」
何が何だか分からないと言いたげな声を出しながら、それでもシェーナは私の指示通りに目を瞑ってくれた。単純に光が眩しくて反射的に目を閉じただけかも知れないけど、そこはどっちだって良かった。
私はシェーナの足元付近に狙いを定めて、その幻光球を投げ入れた。
激しい光の津波に浚われ、シェーナの周囲に敷き詰められていた影が一斉に彼方へ押しやられる。地面に我が物顔で居座っていた数多の影は、その尽くが長く伸び、土塁の壁面に貼り付けられた。
「これは……っ!」
「シェーナ! これで敵の攻撃が見えるでしょ!?」
そう。今やシェーナの周囲の影は、全て単一方向――目の前の土塁に集中している。正確には、部屋の壁から放たれる魔灯石の光とかち合って起こった乱反射によっていくつもの新たな影が生まれているが、それらはどれも薄く小さい。【シャドウ・ボーナー】達が潜める余地は無い。連中がその身を隠す大きく濃ゆい影は、全て土塁の表面だ。
「ありがとう、シッスル! これなら……!」
シェーナが首元に手をやる。そこにあるのは、ネックレス状になった聖術の触媒たる【聖なる護り石】。シェーナはチェーンを引きちぎって首元からそれを毟り取り、刀の刀身に押し当ててその上を滑らせた。
「聖なる加護よ! 我が剣に宿り給え!」
シェーナの呪文に合わせて、刀身が聖光を纏う。一層目でブロムさん達が奮っていたのと同じような、見るだけで心を清められるような純白の光。私の幻光球による光波の中で、まるでそこだけが別種の聖域のようにその輪郭がはっきりと見えた。
――ギィィ……!
土塁の影から、【シャドウ・ボーナー】達が飛び出してくる。だが、それらは全てシェーナの前方。死角を衝けるポテンシャルは、とっくに失われた。
「これで――終わりだ!!」
渾身の気合いと共に、聖剣と化したシェーナの刀が一閃する。眩い聖光が長大な刃となって横一文字に走り抜け、その道中に居た全ての【シャドウ・ボーナー】達を一瞬で飲み込んだ。
「きゃっ!?」
「うわっ!?」
爆ぜる光。衝撃の余波がまるで大海嘯のように私達の全身を殴りつけて背後へと走り抜けていった。
そして、次第に暗さと静けさが辺りに戻ってくる。
「お、終わった……の?」
恐る恐る目を開けると、シェーナが残心を示しながらゆっくりと膝を伸ばす姿が見えた。全身を包んでいた青い光が少しずつ薄まってゆく。
「残敵無し。もう大丈夫よ、シッスル」
刀を鞘に納めながら、そう言って私に微笑みかけてくれるシェーナ。その笑顔を見た途端、私の全身から力が抜けた。
「よ、良かったぁぁぁ~……! 一時はどうなるかと……」
「お見事でした、シェーナさん。シッスルさんも、さっきのは素晴らしい援護だったと思いますよ」
へなへなと地面に膝をついた私に、デイアンさんが賛辞の言葉と一緒に手を差し伸べてくれる。
「あ、ありがとうございます、デイアンさん……!」
「ま、魔術士にしてはそこそこよくやったってところね。シェーナの隣に立つ資格くらいは、一応持っていると認めてあげるわ」
気付けば、カティアさんも私を見下ろしていた。その得意気な顔に、私はさっき浮かんだ疑問をぶつける。
「カティアさん……。私の魔法なんて待たなくても、聖術のオーラを展開すればそもそも問題無かったのでは……?」
「そうよ。いくらあの骨野郎達が影から奇襲してこようと、護りの聖術を使えば相手は勝手に斃れてくれたわよ。でも、それじゃつまんないじゃない。此処まで何もしてないあんたに活躍の機会を譲ってあげたの。感謝してよね」
「…………」
こ、この人は……! 勝手な言い草に流石に怒りが込み上げるが、私が此処まで全く働いていなかったのは事実なので怒るに怒れない。ブロムさん達と別れた今、魔物に特効性がある聖術は慎重に使用するべきだ。それにカティアさんには治癒騎士として、怪我の回復に専念しなければいけないという事情もある。だから私に対処を任せたというのは、理屈では正しい。完全な正論だ。
けど、それにしたってもう少し言い方というか、態度というものがあるでしょうに……! これも私が魔術士だからか。私はこれからも、カティアさんの憎まれ口に耐え続けなければならないのか。それを思うと憂鬱だった。
「それで、どうします? まだ、先に進みますか?」
デイアンさんが、私達の顔色を伺うように尋ねる。最初の部屋ですらこれだけの魔物が出たんだから、この四人だけでこれ以上先に進むのはリスクが大きすぎる。状況から言えばここらで引き返すべきだが、妹のミレーネさんがまだ見つかっていない。その葛藤が、彼の口調にはありありと表れていた。
「そうだな……。オーガと会敵する危険性も、当初の見積もりより高まっているだろうし……む?」
考える仕草をしていたシェーナが、ふと耳をそばだたせた。
「どうしたのシェーナ?」
「声が……いや、息遣いが聴こえる」
よく見ると、シェーナの耳元にはまだ微かな青い光が残っていた。《スキル》の残滓がまだ残っていたようだ。
「息遣いって、まさか……!?」
「いや、これは魔物じゃない。……浅く、細く、短い。これは、人の……!」
ハッとなったシェーナが、土塁に向かって駆け出す。
「こっちだ!」
シェーナの言葉に駆り立てられるように、私達も慌ててその後を追う。
ひとつ、ふたつ――。シェーナは軽い身のこなしで次々と土塁を飛び越え、瞬く間に私達との距離を離してしまう。そして、五つ目の土塁に足をかけてその裏を覗いた時に、彼女は何かに気づいて動きを止めた。
「やっぱり……! おーい、此処だ! 早く来てくれ!」
私達は(主に私が)土塁に手間取りながらも急いで彼女の元へ向かった。私が三つ目の土塁を跨いだ時、既にシェーナの傍まで辿り着いたデイアンさんが「あっ!」と声を上げた。
「ミレーネ……!!」
「えっ――!?」
私達の間の空気が、一瞬全ての動きを止めた。
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