第9話 慈悲なき襲撃者

 各所の塹壕から、滲み出るように這い出してきた無数の黒い不定形の影。壁の魔灯石や騎士のランタンから発せられる光を反射して、それらは妖しく艶めいていた。


「魔物だ!!」


 騎士の誰かが叫んだ。その声に呼応するかのように、不定形の黒いドロみたいなそれらは次第に形を変化させ、人みたいな輪郭を表し始めた。その有り様を見て、私はあっと声を上げる。


「【心無き者ノン・スピリット】!?」|


「っ!? 魔族の尖兵か! 第一層の、こんな近くにまで!?」


「そんな!? 僕が通った時は、居たのは精々コウモリくらいだったのに……!」


 シェーナとデイアンさんも驚愕する。


 【心無き者】――魔族が使役する、使い捨ての雑兵だ。魔法の力によって造られた、魂を持たない疑似生命体。身体を構成する黒いドロ状の物質は、凝縮された魔素エネルギーが淀んで固形化したものだ。師匠の授業で、私も存在だけは知っていた。


「どうってこと無いわ。あんなの、騎士団の敵じゃない」


 私達と対照的にカティアさんは不敵に鼻を鳴らした。


「来るぞ! 前衛、構え!」


 ブロムさんの指揮で、彼を含む前の五人が後ろの私達を守るように横一列に並んで剣を構えた。一糸乱れぬ、統制の取れた動きだ。ブロムさんと四人の騎士は、そのまま微動だにせず【ノン・スピリット】達の動きを見定めている。


 一方の【ノン・スピリット】達は、連携など最初から考えていないかのように、てんででバラバラな動きでこちらに向かってきた。黒いドロ状の歪な四肢を不器用に動かし、そのくせ周囲の塹壕を器用に避けながら、顔のない頭を左右にふりふり走ってくる。率直に言って、気持ち悪い動きだ。しかし、数だけは多い。


 ブロムさん達前衛はまだ動かない。じっと構えたままの姿勢で、迫りくる黒い歩兵の群れを見据えている。


「ああっ! くる、来ちゃいますよ~っ!」


「黙って、シッスル!」


 焦ってわたわたする私を、シェーナが厳しく叱りつけた。既に彼女は深く腰を落とし、剣の柄に手をかけている。いつでも臨戦態勢に移れる構えだ。さすが、経験が違う……。


 などと感心している間にも、【ノン・スピリット】の軍勢は容赦なく距離を縮めてきた。伸ばした黒い腕の先端が、大振りのナイフかと見紛うような長く鋭利な爪に変化していた。【ノン・スピリット】はあれで猛禽類の如く獲物に襲いかかり、一瞬にして肉を引き裂く。師匠からはそう教わった。それが、あの数だ。


 いくら守護聖騎士とはいえ、まともにぶつかったらひとたまりも……!


「始動せよ! “魔断斗氣レジスト”――!!」


 ブロムさんの重厚な掛け声が上がり、前衛の五人から白い光が噴き出した。


「――!?」


 膜を張りつつ半円の形で膨張するそれは、目と鼻の先にまで到達しかけていた【ノン・スピリット】の突撃を阻み、一瞬で押し返した。白い光の半円に触れた黒い人形が、次々と弾かれて辺りに散らばる。中にはぶつかった箇所が消滅霧散して、原型を留めていない個体もちらほら見えた。


「あれって、聖術!?」


「そうよ、魔素エネルギーに対抗して蒸発させる法力のオーラを展開する術。魔法でその身を支えている魔物なんて、あのオーラに触れるだけで瞬殺されるわ」


 なるほど、とカティアさんの説明を聴いて私は理解する。ブロムさん達が張ったあの光の膜は、魔法を無効化する聖なる力が顕現したものなんだ。……ということは、私も触れれば危ないかも知れない。


 聖なるオーラの力にひとり密かに慄いていると、不意にデイアンさんが前を指差した。


「見て下さい、敵の動きが止まりました!」


 彼の言う通り、黒い濁流の如く押し寄せていた【ノン・スピリット】達の足が止まり、勢いが途切れた。


「今だ! 魔の眷属どもを討ち払え!!」


「応っ!!」


 ブロムさんの号令で、前衛の四人が動いた。豹のような俊敏さで一気に【ノン・スピリット】達に肉薄し、混乱から立ち直れずにいる彼らを次々と斬り伏せていく。


「中堅も前進せよ! 後衛、及び臨時の者達は待機!」


 続いて下された指示で、私達の周りの騎士達も前衛に加勢する。臨時の者達、いわゆる私とデイアンさんは待機だ。私専属の騎士であるシェーナと、治癒専門のカティアさんも動かない。後衛の人達と一緒に、ただ黙ってブロムさん達九人の戦いを見守る。


 最初の衝突で既に彼此の優劣が決まっていた。


 ブロムさんを始め、騎士達はまるで農作物を刈り取るかのように次々と【ノン・スピリット】の群れを屠っていく。【ノン・スピリット】達も自前の鋭利な爪で抵抗するのだが、彼らが爪を振り下ろす前に、騎士達は疾風のような動きで剣を走らせてその身体を斬り刻む。聖術のオーラによって大半が弱体化している敵だ。とても騎士達に太刀打ちできるポテンシャルは残っていないのだろう。


 所々に穿たれてある塹壕のせいで、綺麗な陣形を保ちつつ戦うことは出来ていないが、それでもブロムさん以下全ての騎士が足場の悪さをものともしない技量を発揮して敵を圧倒している。


「この分だと、あんた達の出る幕は無さそうね」


 ちらりと、私達を横目で見ながらカティアさんが言った。


「いや、油断は禁物だ。塹壕に潜んで彼らをやり過ごした敵が、こちらに向かってくることもあるかも知れない」


「戦いでは何が起こるか分かりません。僕も、嫌というほど思い知ってますよ」


 シェーナとデイアンさんは、既に肩の力を抜いたカティアさんに釣られることなく武器の柄に手をかけたまま、警戒を緩める気配がない。


 しかし、そんな二人の心配は結局のところ杞憂に終わる。


 騎士達の優勢さは終始覆らず、彼らの手を掻い潜る敵もおらず、やがて戦局は収束を迎えた。


「これで、終わりだ!」


 ブロムさんの言葉と共に、最後の【ノン・スピリット】が力無く地面に倒れた。間を置かず、その身体は霧状に解けていき、後には手のひらサイズの菱形をした鈍色の結晶片が残される。これ以前に斃された【ノン・スピリット】達も、全てこの結晶片を残して消滅していた。


「団長、【魔痕まこん】はどうしますか?」


 騎士のひとりが、油断なく残敵が居ないか警戒しながら、それでも弾みを抑えられない声で問いかける。


「忘れるでない、此度の目的はあくまでもオーガの討伐と行方不明者の救助だ。瑣末事に心を動かすな。【魔痕】は打ち捨てておけ」


 言下に、ブロムさんは【魔痕】の放置を命じた。


 【魔痕】とは、魔物を斃した後に必ず出てくる遺物だ。形は魔物によってまちまちだが、必ず結晶化しており色彩も暗い。魔物討伐の【任務ミッション】を請け負った冒険者は、これを討伐の証としてギルドに持っていき、報酬を貰うという仕組みになっている。


 【ノン・スピリット】達の魔痕は全て無視されることとなった。地面のあちこちに落ちた夥しい数の魔痕が、この部屋に居た敵の規模とブロムさん達の奮戦の凄さを物語っている。


「あれだけの【ノン・スピリット】を、たった九人で……!」


 改めて、守護聖騎士団の強さを思い知った。魔物特効の聖術を駆使するというのもあるが、やはりひとりひとりの地力が違う。


 これならきっと、オーガだって怖くない!


「分かったでしょ、シッスル。守護聖騎士団は、まさに国の守護者なの。魔物がどれだけ出ようと、魔族が相手だろうと、私達は決して遅れを取らないわ。だから安心しなさい。万が一あなたに危害が及ぶようなことがあっても、必ず私が守ってあげるから」


 ふうと一息吐いて表情から険しさを取り払ったシェーナが、誇らしげに私に言った。彼女も、あれくらいに強いのだろうか? 考えてみれば、私もシェーナが実際に戦っているところは見たことが無い。エルフ呼ばわりされて怒る場面には何度も出くわしたのだが。


「まあ、魔術士のあんたがでしゃばる余地は無いってことよ。おとなしく黙って指を咥えて私達の活躍を見ていると良いわ」


 カティアさんの言葉にはっとなる。確かに、このまま順調にいけば私の出番は無いだろう。騎士団の活躍だけで【任務】を達成できるなら、それに越したことはない。


 だけど、本当にそれで良いのだろうか? 総長であるウィンガートさんに対して参加を表明した手前もあるけど、それ以前に何か釈然としない。けど、幻術しか使えない私が活躍できる状況って……?


「よし、先に進むぞ! 隊列を組み直せ!」


 ひとり悶々と内心で悩む私を他所に、周囲の確認を終えたブロムさんが再出発の指令を下す。騎士達が機敏に動いて瞬く間に元の配置に付いた。


 私も慌てて意識を切り替えようとした時だ。




 ――なにか、妙な気配を感じた。




「……?」


 ゾクッと、指先で背筋をなぞりあげられるような痺れが走る。


 危険な感じは、しない。シェーナを始め、他の皆も特に何も感じていないように見える。では、このむず痒いような感覚は何なのか?


 ――視線だ。私ははたと思い当たった。誰かに、見られている。じーっと、まるで捕まえて箱に入れた昆虫を観察するように、ただただ見つめられている。何処からだ? 私は視線の主を探して首を巡らせた。


「あっ……」


 部屋の角。壁の魔灯石の光から微妙に死角になっている場所に、一瞬だけふわりと舞う衣服の裾のようなものが浮かび上がった。


 一瞬、そう一瞬だけだ。まばたきをした後には、もう何も見えない。いくら目を凝らしても、そこには薄ぼんやりとした仄かな闇が蟠っているだけだった。同時に、視線も消えていた。


 ……気の所為、だったのだろうか?


「シッスル、どうかした?」


 シェーナが心配そうに私の顔を覗き込んできた。


「ううん、なんでも無い。ちょっと、さっきのオーラに当てられちゃったのかも。あはは」


 咄嗟に笑って誤魔化さすと、シェーナも「なんだ」という顔をした。


「脅かさないでよ、なんか心ここにあらずだったから心配しちゃったじゃない」


「どうした? 何かあったのか?」


 こちらの様子に気付いたブロムさんが、わざわざ傍までやって来た。


「申し訳ございません、団長。シッスルが少し放心していただけです。何も問題はございません」


「そうか、なら良いのだが。もし万が一異変を感じるようなことがあったら、遠慮なく報告してくれ。些細なことでも、それが大事に繋がる場合だってあるからな」


「あ……」


 ブロムさんに促されて、私の脳裏に蘇ってくる言葉があった。


『自分が行動した結果、あるいは何もしなかった結果を、責任を持って受け入れなさい』


 ――師匠。


 万が一ということもある。私が報連相を怠ったせいで、何か良くない結果を招くくらいなら……!


「えっと、すみませんやっぱり言います!」


 と、私は前言撤回して、さっきの気配を報告するだけ報告することにした。


「ふむ。そこの部屋の角から不審な視線を感じた、と」


「なによ、やっぱり何かあったんじゃない。変に隠そうとしないの!」


「うん、ごめんシェーナ」


「角に何かあるか調べよ!」


 ブロムさんの指示で後衛の人達が慎重にその辺りを調べたが、程なくして彼らは首を振った。


「何も、異常はありません!」


 呆気なく否定されて私は肩を落とした。やはりただの気の所為で、見間違いだったのだ。


「怖気づくあまり、幻覚でも見たんじゃないの?」


 カティアさんの意地悪な視線がチクチクと刺さる。幻術士が幻覚を見るとかシャレにならないって……。


「まあまあ、何事も無ければそれで良いじゃないですか。異変が無いと確認がとれただけでも収穫ですよ」


 デイアンさんが間を取り持つようにそう言ってくれた。うう、この人は優しいなぁ。


「冒険者殿の言う通りだな。自分が感じたものを隠されるよりはずっと良い。シッスルくん、此度は何事も無かったが、魔術士である貴君ではあればこそ感じ取れる存在というのもあるかも知れん。今のことで気を落とさず、以後も何か気になることがあったら包み隠さず申告してくれ。なあに、責任は私が持つ。たとえ百回見間違えが続こうと責めはせんよ」


 ブロムさんも大きく頷き、「わっはっは!」と豪快に笑いながら私の肩を叩いた。……篭手を嵌めてるせいもあってか、痛い。着込んだチェインメイルが肩に食い込むようだ。


 しかしその言葉で、私の気持ちがすーっと楽になったのも確かだ。つくづく度量の大きい人だと思う。これが団長としての器なのか。


「よし、それではこの部屋を出て先へ進む! 諸君、隊列を維持して我が後に続け!」


 そうして、私達は歩みを再開した。うっかり塹壕に落ちないよう、蛇のように列を曲げながらブロムさんの背中を追う。


 ひょっとしたらまたあの気配がするかも知れない、と部屋を出るまで少し恐々としていたけれど、ついに再び感じることは無かった。

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